原題:Our Last Tango

山形国際ドキュメンタリー映画祭2015インターナショナル・コンペティション部門上映作品

2015年/アルゼンチン・ドイツ/カラー/85分/ 配給:アルバトロス・フィルム

2016年7月9日(土)Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー!

©WDR / Lailaps Pictures / Schubert International Film / German Kral Filmproduktion

公開初日 2016/07/09

配給会社名 0012

解説


タンゴから愛と憎しみを授かった女、マリア
タンゴに新たな息吹を与えた男、フアン

アルゼンチン・タンゴに革命を起こした伝説のタンゴダンサー、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペス。14 歳と17 歳で出会ってから 50 年近く踊り続け、世界に名声を轟かせた名コンビだ。しかし、名声の裏では幾度となく愛、裏切り、和解が繰り広げられていた。どこでボタンを掛け違えたのか。愛憎を芸術的なタンゴ・ダンスに昇華できたのは、タンゴへの情熱と互いへの尊敬の念があればこそだ。しかし、1997 年、ついにコンビを解消する。他のダンサーでは理想の踊りができないと骨の髄まで知る彼らに、いったい何が起きたのか。以来、対面すら避けていたふたりだったが、後継者となる若きタンゴダンサーに波乱万丈の人生とタンゴへの愛を語り始めた。残された時間は、あとわずか……。
マリアとフアンの闘いの日々を官能的で幻想的なダンスで表現するのは、アルゼンチンを代表する名ダンサーたちだ。壮年期のコペス役のパブロ・ベロンはサリー・ポッター監督の『タンゴ・レッスン』で本人役を演じた世界的ダンサー。青年期のコペス役のフアン・マリシアは、2014 年のタンゴダンス世界選手権ステージ部門の覇者。2015 年にはラ・フアン・ダリエンソ楽団来日公演に同行し、甘いマスクと完璧な踊りで日本のファンを魅了した。壮年期のマリアを演じたアレハンドラ・グティは日本でもデモンストレーションを行っている人気ダンサー。そして若きマリア役のアジェレン・アルバレス・ミニョはアルゼンチンの芸術大学在学中ながら 2015 年のタンゴダンス世界選手権ステージ部門のファイナリストに選ばれた新星だ。

ヴィム・ヴェンダース製作総指揮!
孤高のタンゴ・ダンサーの半生を浮き彫りにする

製作総指揮はドイツの名匠、ヴィム・ヴェンダース。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 』(99)、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち 』(11)などドキュメンタリーの名手でもある彼が、愛弟子のヘルマン・クラル監督をサポートした。アルゼンチン出身のクラル監督は、大学の卒業制作『不在の心象』(98)で山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞を獲得した俊才だ。本作では苦い過去に口をつぐむマリアとフアンに粘り強い取材を敢行。また、ふたりの心の揺らめきをタンゴ・ダンスで再現したことで、ドキュメンタリーの新境地を切り拓いた。
映画全編に流れる音楽は、マリアとフアンのタンゴ人生に寄り添う名曲ばかりだ。開巻早々に彼らが披露するラスト・ダンスでは、ふたりが世界的に注目されるようになった“タンゴ・アルヘンティーノ”公演のフィナーレ曲「ケハス・デ・バンドネオン〜バンドネオンの嘆き」が。演奏はふたりと縁が深い六重奏団セステート・マジョールで、全 20 曲のうち 13 曲は、彼らが新たに録音したものが使われている。他に、少女時代のマリアがホウキと戯れる場面の「ジョ・ソイ・エル・タンゴ〜私はタンゴ」は、アニバル・トロイロ楽団が 1940 年代に録音したバージョン。エンディング直前、マリアが笑顔で踊る場面に、フアン・ダリエンソ楽団による「デ・アンターニョ〜昔風に」と、多様なスタイルのタンゴ音楽が使われている。
天使のように舞う初恋のダンス、口論のごとく激しく脚を絡め合う憎しみのダンス。そして、ゆったりと上品にステップを踏む悠々自適のダンス。秘めた想いをダンスで表現する彼らにとって、タンゴは人生そのものなのだ。ままならない男と女のドラマをファンタジックなタンゴ・ダンスで魅せる傑作ドキュメンタリーが、この夏、開幕する!

ストーリー






ネオン輝くブエノスアイレスの夜。2台の車がある場所へ急いでいた。タクシーの後部座席に座るのは、タンゴの母ことマリア・ニエベス、80 歳。細く整えられた眉、赤く染め上げたショートヘア。勝ち気そうな瞳で流れゆく夜景を眺めている。一方、自らハンドルを握るのは、タンゴに革命を起こし、今なお現役でステージに立つフアン・カルロス・コペス、83 歳。つややかなオールバックで苦み走った表情、堂々とした立ち姿から伊達男の遍歴が匂いたつ。
ふたりは世界中で喝采を浴びた不世出のタンゴダンサーだ。彼らの出会いは「アトランタ」というミロンガだった。当時マリアは 14 歳、フアンは 17 歳。彼のリードでタンゴを踊り始めたマリアは、才能を開花させていった。
少女時代のマリアは極貧を極めており、母はゴミを漁って食事を作っていた。しかし、マリアは空き瓶を人形に見立てたり、ラジオから流れる音楽に合わせてホウキと踊ったりと想像の世界で遊べる少女だった。姉が連れて行ってくれるミロンガで、本物のタンゴを観察するのも大好きだった。

出会った直後に最高のダンスパートナーとなり、最高の恋人になったマリアとフアンは、ダンス漬けの日々を過ごすようになる。ところが、タンゴブームはあっけなく終息する。踊る場所を失ったフアンは仲間をかき集めて、ショー形式のタンゴを考案し、公演を行う。マリアも一緒にステージに立つが、他のショーダンサーたちに目移りするフアンに気が気でなかった。
マリアは野心的なフアンに連れられ、アメリカ公演に旅立つ。故郷を離れ、金もない辛い日々が続くが、小さなテーブル上で踊るタンゴが大ヒット! ツアーが成功を収めたところで、ふたりはラスベガスで結婚式を挙げた。
温かな家庭を夢見るマリアに対して、フアンの心は次の世界ツアーにまっしぐらだ。嫌がるマリアをアルゼンチンに残して、フアンはツアーに出るが、あうんの呼吸で踊れるのはマリアしかいないと痛感して帰国するのだった。マリアはフアンからの突然の申し出に、新しい恋人とタンゴへの情熱の狭間で苦しむが、マリアの答えはタンゴを踊ることだった。憎しみを超越するタンゴへの情熱が、ふたりをもう一度最高のパートナーとして結びつけたのだ。1年後、ダンスクラブ「カーニョ 14」にふたりの姿があった。「コペス・タンゴ・ショー」には彼らの名物ダンスとなったテーブル上のタンゴを一目見ようと、タンゴファンが殺到した。

4年後。大盛況だったショーはブームが去り、フアンは自殺を考えるほどに追い詰められる。そんな彼を救ったのはマリアではなく、20 歳年下のミリアムだった。フアンに娘が2人もいると知ってもマリアは憎しみと怒りが渦巻く心に蓋をして、プロとして完璧なタンゴを踊り続ける。マリア曰く、それは憎しみのダンス。自己を抑えて相手を輝かせることに専念したマリアは、ダンサーとして絶頂期を迎えた。
理想のタンゴを踊るふたりはニューヨークのブロードウェイで公演した“タンゴ・アルヘンティーノ”でもコンビを組み、最高のペアとして伝説を残した。しかし、どんな賞賛もふたりの心をつなぎ止めることはできなかった。心は離ればなれのまま、冷たい緊張の中で踊るだけ。

1997 年の日本公演を最後に、マリアとフアンはコンビを解消した。50 年間フアンに人生を捧げてきたマリアは失意のどん底に落ち、表舞台から去ってしまう。
数年後、弾ける笑顔で踊るマリアの姿があった。タンゴを踊ることしかできない女は、過去を嘆く日々と決別したのだ。彼女の勇気ある復活に、観衆は今も拍手を送り続ける。
全ての喜びと悲しみを昇華させて、自然体で踊る新しいタンゴを手に入れたマリア。家族を守るために名パートナーに別れを告げたタンゴの革命家、フアン。人生の最終章に入ったふたりは、タンゴと共に歩んだ人生を振り返る。国民的ダンサーのふたりが再び手を取り、タンゴを踊る瞬間は訪れるのだろうか!?

スタッフ

監督・脚本:ヘルマン・クラル
製作:ニルス・ドゥンガー、ディーター・ホレス、ヘルマン・クラル
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース、ロドリゴ・フュルト、ヤコブ・アブラハムソン
撮影監督:ヨー・ハイム(ドイツ撮影監督協会)、フェリックス・モンティ(アルゼンチン撮影監督協会)
編集:ウルリケ・トルトーラ
音楽:ルイス・ボルダ、セステート・マジョール、ゲルト・バウマン
音響:セレステ・パルマ
美術監督:マティアス・マルティネス
衣装デザイン:ジゼル・ペイゾヨヴィッチ
振付:メリーナ・ブルフマン、レオナルド・クエジョ、サブリナ&ルベン・ベリス、ブレンダ・アンヒエル

キャスト

マリア・ニエベス
フアン・カルロス・コペス
パブロ・ベロン:フアン・カルロス・コペス(壮年時代)
アレハンドラ・グティ:マリア・ニエベス(壮年時代)
フアン・マリシア:フアン・カルロス・コペス(青年時代)
アジェレン・アルバレス・ミニョ:マリア・ニエベス(青年時代)

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