千年先に、いのちを繋ぐ

2011/日本/HD/カラー/88分 配給:太秦

2012年2月4日 ユーロスペース・シネマサンシャイン大和郡山(奈良県)にて 「祈り」のモーニングショー!!

ⓒ『鬼に訊け』製作委員会

公開初日 2012/02/04

配給会社名 0864

解説


そんなことしたら木が泣きよります

西岡家の床の間には今でも「不東」と書かれた軸が掛けられている。玄奘三蔵法師が経典を求めてインドに旅立、途中で危険な西方に行くのを諌められた時、「志を遂げるまで唐には帰らない」と自らに誓った言葉である。同時に法隆寺の昭和の大修理、薬師寺白鳳伽藍復興工事に携わった西岡常一が終生大事にした言葉でもある。

西岡常一、明治41年奈良県生まれ。木のいのちを生かし千年の建物を構築する。戦争による幾度かの応召を挟み、法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔の再建を棟梁として手がけ、飛鳥時代から受け継がれていた寺院建築の技術を後世に伝え、「最後の宮大工」と称せられる。平成7年没。
技術の伝承、とりわけ宮大工の奥儀は、言葉ではなく体で覚えるもの、技術は盗むものといわれ長い時間をかけ、厳しい修練の後にごく一握りの者だけが獲得できるものである。しかし、西岡は宮大工の経験と技術、研ぎ澄まされた感覚を若い人たちに最後の力を振り絞り、残された時間と戦いながらあえて言葉で伝えようとしていた。西岡が言葉に託したものは、技術の取得の領域をはるかに超え、我々日本人の失ったものに対する警鐘と回帰ではなかったのではないか。西岡の言葉である「飛鳥に帰れ」とは、永遠なるものへの思いにほかならない。

「千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ—それが建築の本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工の務めです」と西岡は言う。木は鉄を凌駕する、速さと量だけを競う模倣だけの技術とは根本的に異なる日本人のいにしえの叡智、そして自然への洞察、千年先へいのちを繋いでゆくという途方もない時間へ執念が、所縁ある人々へのインタビューから浮かび上がってくる…。

西岡の「永遠なるものへの想い」、「木との対話」を記録した本作は、我々が顧みることのなくなった根源的な日本人の有り方に再び目を向け、心の復興を願う「祈り」のドキュメンタリー映画だ。

ストーリー





木は鉄を凌駕する。
千年の時間を想う、現代文化に対する西岡棟梁の静かなる反論

早朝5時、勤行が始まる。時の鐘と共に暗闇の中に浮かび上がる薬師寺金堂、読経の声が静寂に包まれた白鳳伽藍に静かに響き渡る。薬師寺は、1300年の間休まずに世の安泰を願い、人々を苦しみの海から救い出すために祈り続けてきた。西岡が手掛けた白鳳伽藍復興とは、まさにこの「祈り」に繋がる。1990年5月、薬師寺木工作業場、若い大工の作業をじっと見守る西岡常一棟梁。そこは一切の妥協が許されない修練の場である。

西岡は祖父常吉棟梁の教えを受け、大工になる前、「土を知る」ために生駒農学校に不承不承入学させられる。遠回りに思える農作業には、『法隆寺宮大工「口伝」』に伝わる伽藍建築の全ての神髄が含まれていることを知る。自然は土を育み、土は木を育てる、その教えの深淵さに身震いすることになる。土を知ることから始まり、何故「法隆寺の鬼」と称せられるようになったのか、そこにあるのは伝統を守ることだけではなく、現代文明に抗いながらも「いのちを繋いでゆく」ことの尊さが、仏教建築の全ての原点であることを自らが悟ることでもあった。復興工事のさなか、危惧していた日本での用材調達が困難となり、樹齢千年以上の檜を求めて台湾に行くことになる。同時に日本の国土の65%を占める森林の、一つの寺さえ作ることできないほどの荒廃した姿、自然に寄り添うことを忘れた私たちの日常が露わになってくる。千年生きる建物とは、千年生きる檜が必要であり、その上で木のいのちを繋いでゆく技術が必要だと西岡は言う。木は鉄を凌駕する。これは建築のみならず安きに流れる日本文化や思想に対する西岡の反論である。

そして『法隆寺「口伝」』に伝わる棟梁の覚悟を物語る「百論を一に統るの器量なきは謹み惧れて匠長の座を去れ」を聞くとき、その秘められた決意の深さに多くの人たちが自らを問い直し、震撼することだろう。私たちは何を失い、いま何を木は鉄を凌駕する。
千年の時間を想う、現代文化に対する西岡棟梁の静かなる反論

早朝5時、勤行が始まる。時の鐘と共に暗闇の中に浮かび上がる薬師寺金堂、読経の声が静寂に包まれた白鳳伽藍に静かに響き渡る。薬師寺は、1300年の間休まずに世の安泰を願い、人々を苦しみの海から救い出すために祈り続けてきた。西岡が手掛けた白鳳伽藍復興とは、まさにこの「祈り」に繋がる。1990年5月、薬師寺木工作業場、若い大工の作業をじっと見守る西岡常一棟梁。そこは一切の妥協が許されない修練の場である。

西岡は祖父常吉棟梁の教えを受け、大工になる前、「土を知る」ために生駒農学校に不承不承入学させられる。遠回りに思える農作業には、『法隆寺宮大工「口伝」』に伝わる伽藍建築の全ての神髄が含まれていることを知る。自然は土を育み、土は木を育てる、その教えの深淵さに身震いすることになる。土を知ることから始まり、何故「法隆寺の鬼」と称せられるようになったのか、そこにあるのは伝統を守ることだけではなく、現代文明に抗いながらも「いのちを繋いでゆく」ことの尊さが、仏教建築の全ての原点であることを自らが悟ることでもあった。復興工事のさなか、危惧していた日本での用材調達が困難となり、樹齢千年以上の檜を求めて台湾に行くことになる。同時に日本の国土の65%を占める森林の、一つの寺さえ作ることできないほどの荒廃した姿、自然に寄り添うことを忘れた私たちの日常が露わになってくる。千年生きる建物とは、千年生きる檜が必要であり、その上で木のいのちを繋いでゆく技術が必要だと西岡は言う。木は鉄を凌駕する。これは建築のみならず安きに流れる日本文化や思想に対する西岡の反論である。

そして『法隆寺「口伝」』に伝わる棟梁の覚悟を物語る「百論を一に統るの器量なきは謹み惧れて匠長の座を去れ」を聞くとき、その秘められた決意の深さに多くの人たちが自らを問い直し、震撼することだろう。私たちは何を失い、いま何をしなければならないか、西岡は法隆寺「口伝」の中から静かに伝えようとしている。
しなければならないか、西岡は法隆寺「口伝」の中から静かに伝えようとしている。

スタッフ

企画:小林三四郎
プロデューサー:植草信和・朴 炳陽
聞き手:青山茂(帝塚山短大名誉教授)・中山章(建築家)・山崎佑次
音楽:佐原一哉
撮影:多田修平
編集:今岡裕之
録音:平口聡
タイトル:上浦智宏
製作:ⓒ『鬼に訊け』製作委員会
配給:太秦
助成:文化芸術振興費補助金
後援:奈良テレビ放送株式会社 奈良新聞社
協力:彰国社

キャスト

西岡常一
西岡太郎
石井浩司
速水浩
安田暎胤(薬師寺長老)

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