原題:NA PUTU

2010年 ベルリン国際映画祭コンペティション部門 正式出品作品

2010年/ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア合作映画/カラー/104分/ 配給:アルバトロス・フィルム

2011年2月19日(土)岩波ホールほか全国順次ロードショー

© 2009 Deblokada / coop99 / Pola Pandora / Produkcija Živa / ZDF-Das kleine Fernsehspiel / ARTE

公開初日 2011/02/19

配給会社名 0012

解説


サラエボは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都である。かつてこの街は、人々にとって理想的な街だった。美しく、古い歴史があり、市民のだれもがこの街を誇りにしていた。街角では愛が語られ、歌声や笑いがたえることなく、異なる民族と宗教が共存する、コスモポリタンの街として知られていた。旧ユーゴスラヴィアの社会主義政権下でも、他の国々とは一線を画すおおらかな自由があった。
旧ユーゴスラヴィア連邦の共和国、スロヴェニア、クロアチアに続くボスニア・ヘルツェゴビナの独立にともなって、1992年に始まったボスニア紛争は、1995年に一応終息するまでに、市民に甚大な被害を与えた。首都サラエボは3年半にわたってセルビア勢力に包囲され、市民は、狙撃手の銃弾から逃れながら、食料や水など、生活必需品が窮乏する日々のなかで、生きるために厳しい闘いを強いられた。
第二次大戦後、ヨーロッパで最悪といわれる紛争が残したものは、爆撃や銃撃で瓦礫となった街と、数えきれないほどの墓標、人々の絶望とトラウマ、そして民族や宗教がからむ憎しみだった。それでも人々はサラエボの復興へむけて立ちあがる。
『サラエボ、希望の街角』は、長編第1作『サラエボの花』で、2006年ベルリン国際映画祭金熊賞に見事輝いたヤスミラ・ジュバニッチ監督の待望の第2作である。ジュバニッチ監督は、1974年、サラエボ生まれ。紛争の最中に十代を過ごし、多感な心でこの街が破壊されてゆくさまをつぶさに見てきた。『サラエボの花』は、紛争後10余年を経て、市民の心に残る戦争の痛々しい傷跡を、母娘の葛藤をとおして描いている。
本作『サラエボ、希望の街角』は、現代に生きる若い女性ルナの愛の行方をとおして、過酷な紛争の記憶が今もなお残るなか、サラエボの街がこれから歩むべき未来をしめそうとしている。若いルナのしなやかな心、自分に正直であろうとする生きる姿勢は、不安を増す時代に対して、人間らしくありたいと高らかに表明しているようだ。そこにはジュバニッチ監督の人間への変わらぬ信頼と、サラエボへの深い愛がある。
ルナは航空機の客室乗務員、友人も多く、充実した毎日を送るサラエボっ子。彼女は恋人アマルと同棲中。かつての紛争で、ルナは目の前で両親を殺され、アマルは過酷な戦場を経験し、弟を失った。ふたりとも戦争のむごい記憶を拭うことができない。
愛しあうふたりは子どもを望んでいるがなかなか妊娠できず、人工授精を薦められる。ある日、アマルはアルコール依存症のために、停職処分になった。彼は厳格なイスラム教徒となったかつての戦友と出会い、仕事を世話されたことを機に、宗教に傾倒してゆく。ルナは信仰に急速にのめりこんでゆくアマルとの溝が深まるなかで、悩み苦しむ。ある日、ルナは妊娠を告げられた。その彼女が最後に下した大きな決断とは‥。
かつてのサラエボは、イスラム教を中心に、セルビア正教、カトリックなどがゆるやかに混在した街だった。しか
し紛争によってイスラム教徒が、人口の大半を占めるようになる。イスラム教の規律もかつては寛容なものだったが、近年、人々はより厳格なものを志向するようになってきている。国もボスニア連邦とセルビア人共和国に二分された。
そのために現在のサラエボは、かつてはなかった民族や宗教の不寛容が生じて、人々の不和がしだいに深まっている。しかし、社会が寛容性を失ってゆく傾向は、とおいボスニアだけの話ではなく、9.11以降の世界的な現象である。本作は、不寛容に抵抗し、社会の不条理に対して必死に生きようとする人々の思いを重ねている。
本作の原題『Na Putu』?英語題『On The Path』(は、「道の途上」という意味で、その道とは、サラエボの道であり、主人公ルナの道でもある。両者は、よりよい未来へ歩むために、困難な状況のなかで自身を見つめ直そうとしている。
戦争によって変わってしまった美しい街サラエボ、この街はどのようにしてかつての歓びをとりもどせるのか。ジュバニッチ監督はその答えを、ルナの生きる姿勢に託した。第1作「サラエボの花」では、紛争中、レイプによって生まれた敵兵の子への母の愛が描かれたが、本作の主人公は、愛する人の子をようやく身ごもっても、相手への失望から、それを拒絶する選択をする。自分に正直であろうとするルナの厳しい美しさ。
何度もずたずたになって挫けそうになりながらも、決して夢を見失わず、前向きに生きようとするルナのひたむきな姿は、新たな歴史を刻むサラエボの、未来への希望を体現しているかのようだ。
ジュバニッチ監督は、紛争の傷跡がようやく修復されたサラエボの街並みを、透明感あふれるナチュラルな映像で映しだす。人々でにぎわう市場やカフェ、若者たちが集うクラブなど、街の豊かなバイタリティと親密な雰囲気を、愛情をこめて表している。
また、キャラクターの繊細な描写に抜群の冴えを見せるジュバニッチ監督は、アルコールに依存し、信仰に救いを見出そうとするアマルが戦争後遺症を患っていること、ルナが紛争で家族を奪われた過去を、物語の流れにそって静かに描き出してゆく。とりわけ終盤、紛争で手放した生家を再訪した場面で、ルナの涙を、戦争を知らない新世代の尐女の無垢な瞳と対比させる精妙な演出は、観る者の胸を締めつけずにおかない。
「ルナの内側にある女性としての強さと脆さ、その両面の美を見てほしい」と語るクロアチア出身の主演女優ズリンカ・ツヴィテシッチの迫真の演技も特筆もので、ラスト・シーンで彼女が披露する凛々しくも澄みきった表情はしばし忘れられない。

ストーリー

サラエボのアパートメントで同棲生活を送るルナとアマルは、結婚を前提に交際している若いカップル。キャビン・アテンダントとして空を飛び回るルナは快活な女性で、一刻も早くアマルとの子供を授かることを望んでいる。空港の管制室に務めるアマルとは心から愛し合っているが、彼が時折アルコールに溺れ、夜遊びではめを外しすぎることが気がかりだった。
そんなある日、アマルが勤務中に酒を飲んでいることが発覚し、社内の規律委員会から6ヵ月間の停職処分と禁酒セラピーを受けることを言い渡される。ところがアマルは、セラピーへの参加を頑なに拒否。この一件でショックを受けたルナは、担当医からこの先妊娠する見込みが乏しいので、人工授精を考えてはどうかと告げられ、さらなる悩みの種を抱えてしまう。ボスニア紛争で両親を亡くしたルナは、独り暮らしをしている祖母の家に立ち寄ってケーキ作りを手伝い、「私を訪ねてくれるのはお前だけ。お前にはアッラーの恩寵があるよ」と優しく慰められるのだった。
そんなルナを驚かせたのは、停職で時間を持て余していたアマルが「仕事を見つけた」と言い出したことだった。子供向けのパソコン教室の先生だというその仕事が、バフリヤという男性からの紹介だと聞いたルナは一抹の不安を覚える。アマルの戦友であるバフリヤは、イスラム原理主義の教徒で、数日前に「すまないが女性とは握手できない」とルナに言い放った人物だった。仕事場のヤブラニッツァ湖がサラエボから遠く離れていることも気がかりだったが、アマルは「断って。私を置いては絶対に行かせない」というルナの懇願に耳を貸さず、「数日で帰ってくる」と言い残してアパートメントを立ち去ってしまう。
ルナの嫌な予感は的中した。一時は音信不通となり、何度もかけて繋がったアマルの携帯に出たのは別の教徒で、ルナは自ら現地に向かうことを決意する。サラエボまで迎えに来たナジャという女性が運転する車とボートを乗り継ぎ、彼らのコミューンにたどり着いたルナ。そこはジャーナリストとして活躍する親友シェイラから聞かされたような“テロリストのキャンプ”ではなかった。しかし女性たちが黒いベールで全身をすっぽりと覆い、男性から完全に隔離されて暮らしている生活様式は、リベラルなイスラム教徒として育ったルナの目にはかなり奇異な光景に映った。
夜になってやっと対面したアマルは、このコミューンでの生活にすっかり馴染んでいた。彼は戦争体験の後遺症でアルコール依存症に陥っていたが、信仰に安らぎを見出した今はすっかり酒を断ったと言う。翌日、コミューンを後にしたルナは、帰りの車中でナジャから「イスラム女性の義務は出産よ。西洋の女性はキャリアの奴隷になっていて出産をしない」と告げられ、複雑な思いを抱くのだった。
数週間後、ルナはようやくサラエボに戻ってきたアマルと抱擁を交わすが、その喜びは長く続かなかった。親戚一同が集まって断食明けを祝う場で、アマルが突然語気を強めて信仰についての説教を始め、祖母の怒りを買ってしまったのだ。それからアマルは礼拝のため熱心にモスクに通い、アパート内でも欠かさず祈りを捧げるようになった。さらに正式な結婚をするまではセックスをしない、子供も作らないと主張する。それでもルナは自らモスクへと足を運び、以前とは別人のようになったアマルを理解しようと努めるが、心の溝を埋めることはできなかった。ある夜、酒に酔い、シェイラとともにサラエボの街をさまよい歩いたルナは、紛争で両親も家も失い、避難民になった過去と向き合うはめになる。それは彼女が、長らく心の奥底に封印していたトラウマでもあった。
しかしルナにとって何より大切な問題は、未来のために今どのような選択をすべきかということだった。自分は本当にアマルを愛し、彼との子供をもうけることを願っているのか。幾度となく自問自答を繰り返してもがき苦しんだルナは、決然たる表情で前を向き、アマルに自らの意思を告げるのだった……。

スタッフ

監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ
撮影:クリスティーン・A・マイヤー
編集:ニキ・モスベック
美術:ラダ・マグライリッチ、アミル・ヴーク
衣装:レイラ・ホジッチ
音楽:ブランコ・ヤクボヴィッチ
プロデューサー:ダミル・イブラヒモヴィッチ、ブルノ・ワグナー、バーバラ・アルバート、カール・バウムガルトナー、ライモント・ゲーベル、レオン・ルチェフ

キャスト

ズリンカ・ツヴィテシッチ
レオン・ルチェフ
ミリャナ・カラノヴィッチ
エルミン・ブラヴォ
マリヤ・ケーン
ニナ・ヴィオリッチ
セバスチャン・カヴァーツァ
イズディン・バイロヴィッチ
ルナ・ミヨヴィッチ

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