スワップ・スワップ 〜伝説のセックスクラブ〜
そこは、誰もが極上のシアワセを味わえる35$のユートピア 1977年、ニューヨーク。夢のセックスクラブを実現させた男の生き様と スワッピング文化の栄華と衰退を赤裸々に描くドキュメンタリー
2008年トロント国際映画祭正式出品作品
2008年/アメリカ/ビスタサイズ/カラー/81分/ 配給:クロックワークス 宣伝:デイライト
2009年10月17日(土)よりシネマート新宿にてレイトショー
(C)2008 HDNet Films,LLC.
公開初日 2009/10/10
配給会社名 0033
解説
さあ、伴侶を取り替えよう
これはゲームだよ
サバーバン・ルーレットという名の
『スワップ・スワップ』で使われている「サバーバン・ルーレット」という歌は1968年の同題映画の主題歌である。そんなサバーブ(郊外)の夫婦交換を描いた風俗映画で、監督は血みどろ映画で知られるH・G・ルイス。主題歌も彼が作詞している。
夫婦交換を日本では「スワッピング」と呼ぶが、英語では「スウィンギング」という。スウィングには「自由にふるまう」という意味がある。同じように、結婚に縛られずに自由に性関係を結ぶことを日本では「フリー・セックス」というが、英語では「フリー・ラブ」と呼ぶ。ここではアメリカにおけるフリー・ラブの歴史を軽く振り返ってみよう。
フリー・ラブという言葉は、19世紀中頃、ジョン・ハンフリー・ノイスによって提唱された。1848年、ノイスは、ニューヨーク北部のオネイダという土地に、神を迎える地上天国を作ろうとした。食器やカンヅメなどを製作して、利益を平等に分配する原始共産主義的な共同体だ。彼らは財産だけでなく、セックスも共有した。
98年に筆者はオネイダを訪れたが、白いヴィクトリア様式の家がぽつんぽつんと建っているだけの普通の田舎町だった。ここで最盛期には300人がフリー・ラブを実践していた。オネイダ共同体にも共に暮らす伴侶を特定する「結婚」は存在した。当時は避妊具が未発達な時代なので、婚外子を防ぐために男性は射精をコントロールする筋肉を徹底的に鍛え上げたという。ノイスが死ぬと共同体はすぐに内部から崩壊し、有名なオネイダの銀食器工場だけが残った。
フリー・ラブは1950年代に蘇った。キンゼイ報告で知られるインディアナ大学のキンゼイ教授が、あらゆる種類の性行動を実践するために、妻を研究員に抱かせ、研究員と同性愛を試した。それは実験に過ぎなかったが、キンゼイ報告は、キリスト教に縛られていたアメリカの性意識に革命を起こした。
60年代、ピル(経口避妊薬)が合法化され、セックスと生殖が切り離された。さらに既成の制度や概念に反抗するカウンター・カルチャーが爆発し、ヒッピーや学生は国家や差別の元である家族制度への反抗としてフリー・ラブを提唱した。その風潮に大人たちも影響され、中産階級の住む郊外の住宅地で夫婦交換が密かに流行していった。
69年にはハリウッド映画までが夫婦交換を肯定的に描いた。『ボブ&キャロル&テッド&アリス』ではハリウッド・スターのナタリー・ウッドがフリー・ラブを実践する。彼女はわずか8年前には『草原の輝き』(61年)で恋人の欲望を拒否したために捨てられ、自殺する処女を演じていたのだから、隔世の感がある。
ヒッピー・ムーブメントは60年代末には早くも崩壊してしまったが、セックス革命だけは続いていた。72年には既婚者のピル使用が認められ、73年には性器の結合を見せるハードコア・ポルノも解禁された。
そして77年、ニューヨークはマンハッタンに二つのクラブがオープンした。ひとつはスタジオ54。アメリカでも最高級のディスコで、ハリウッドの映画スターや億万長者、ファッション・モデルなど、リッチでゴージャスでビューティフルなセレブたちがVIPルームでコカインとゆきずりのセックスを楽しんだ。無名人が入場するには入り口で服装とルックスの審査をパスしなければならなかった。スタジオ54のセックスは選ばれた者だけのものだった。
これに対して、『スワップ・スワップ』の主役であるプレイトーズ・リトリートは、25ドル払えば誰でも入ることができた。貧しく、美しくない人々でもセックスを楽しむことができたのだ。
しかし二つのクラブはまったく同じ道をたどった。どちらのオーナーもまず脱税で逮捕された。さらに81年から始まるエイズ・パニックでプレイトーズは閉店に追い込まれ、スタジオ54のオーナーはエイズで死んだ。
当時のレーガン大統領は「家族の価値」への回帰を訴えて、モラルを破壊したセックス革命を否定し、圧倒的な支持を得た。フリー・ラブやスウィンギングは急激に衰退した。
フリー・ラブ運動は常に失敗するものだ。セックスと恋愛を切り離すことはできないし、恋愛から所有欲を切り離すことはできないからだ。
とはいうものの、『スワップ・スワップ』を観ていると、やはり「うらやましい」と思ってしまう。
現在、セックスを支配しているのはフリー・ラブではなくフリー・マーケット、自由市場主義だ。金のある者、容姿の美しい者にセックスが集中し、貧しく醜い者は結婚すらできない超格差状態。ところが『スワップ・スワップ』では、決して豊かでも美しくもなかったおじいさんやおばあさんたちが好きなだけセックスを楽しめた時代を懐かしそうに回想する。そんなユートピアはもう二度とないかもしれない。
ストーリー
1977年、不況や治安の悪化によりニューヨークはどん底状態にあった。ところが、市が財政崩壊の危機に直面しているさなか、夜の世界を彩るナイトクラブは空前の盛り上がりを見せていた。入場チェックが厳しいことで有名なミッドタウンのディスコ「スタジオ 54」には、コカインでハイになったセレブが集まり、ダウンタウンのライブハウス「CBGB」に集まるパンクロッカーたちは、ポップカルチャーを敵視して社会に対する不満や怒りをぶちまけていた。そして、保守的なアッパー・ウエスト・サイドの芸術的建造物「アンソニア」の地下にあるナイトクラブ「プレイトーズ・リトリート(プラトンの隠れ家)」には、ごく普通のカップルたちが集い、ダンスフロアーで踊り、プールで泳ぎ、そして・・・見知らぬ相手とのフリーセックスを楽しんでいた。
この革命的なナイトクラブは、この店のオーナー、ラリー・レビンソン独自の発想から火がついた。「プレイトーズ・リトリート」は、個人的な快楽を求める自己中心的な世代に支持され、公然とセックスを楽しめる場として急速にその名が知れわたっていく。それまでのフリーセックスは秘密裏で行われ、魅力あふれる富裕層の娯楽とでもいうべき位置づけだった。ところが、「プレイトーズ・リトリート」は階層に縛られることなく、どんな人でも歓迎したのだ。カップルたちはたったの35ドルで、この“裸の楽園”に足を踏み入れ、その実情を目にした上で参加するかどうか決めることができた。店の内部では、映画俳優がOLたちといちゃつく中、初めてフリーセックスに目覚めた客たちがバスドライバーの目の前で事に及ぶ、といった光景が繰り広げられていた。ラリーやそこに集う者たちにとって、「プレイトーズ・リトリート」はユートピアだった。中には、「タイムマシーンのように忘却のかなたへ連れ去ってくれる場所だった」と言う者もいる。
『スワップ・スワップ〜伝説のセックスクラブ〜』は、当時、「プレイトーズ・リトリート」へ客として出入りしていた人々、従業員、ラリーの家族の独占インタビューと、これまで誰も目にしたことがない数々の驚くべき映像で構成されている。このドキュメンタリー映画は、その多くが闇に包まれていたセックス・クラブの裏側を、スクリーン上に余すことなく描き出した初めての作品である。
スタッフ
監督 & 製作:マシュー・カウフマン、ジョン・ハート
原案:ジョン・ハート
プロデューサー:グレッチェン・マッゴーワン、クリスチャン・ホーグランド
編集:キース・リーマー
撮影監督:クリスチャン・ホーグランド
音楽:マーク・モリス
キャスト
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