原題:MADAME BOVARY/Spasi I Sokhrani

幻の映画が遂にスクリーンに! 鬼才アレクサンドル・ソクーロフ(「太陽」「エルミタージュ幻想」)が挑む背徳の文学! フローベール没後130周年記念ロードショー

モントリオール世界映画祭国際批評家連盟賞受賞

1991年/フランス/カラー/140分/ 配給:パンドラ

2011年11月26日よりDVDリリース 2010年05月25日よりDVDリリース 2009年10月3日(土)シアター・イメージフォーラムにてロードショー

公開初日 2009/10/03

配給会社名 0063

解説


世界文学の最高峰『ボヴァリー夫人』が現代に問いかける幸せの行方
修道院で教育を受けた貞淑なエマ・ボヴァリーが、凡庸な夫に失望し、情事やぜいたくな浪費に耽った末、破滅に至るまでを写実的手法で描いたフランス文学の傑作『ボヴァリー夫人』。原作者フローベールは、何気ない日常の出来事を詳細に記述する中で、ひとりの女性がゆるゆると自滅してゆくドラマを作り上げた。発行当時、風俗紊乱の罪に問われた原作者フローベールが、「ボヴァリー夫人は私だ」と語ったことはあまりにも有名であり、日本でも時代を超えて愛読され、研究書も多数出版されている。

ロシアの鬼才ソクーロフによる独自なエマ像
『太陽』『エルミタージュ幻想』『チェチェンへ アレクサンドラの旅』など、絵画的で斬新な映像感覚あふれる作品で熱烈なファンを獲得し、世界的に高く評価されているロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が、フローベールの原作のエッセンスを忠実に映画化。独自の解釈で、不吉なエロティシズムを湛えた新たなエマ像を生み出した。

ソクーロフ版の「ボヴァリー夫人」の物語は、エマが凡庸な夫に失望し空虚な日々を送る中で、商人ルウルーの勧めるショールや扇子を品定めをする場面から始まる。唐突な導入に戸惑う間もなく、舞台となる村の情景にひきつけられる。岩山が聳える荒涼とした風景は、あたかも西部劇のようだ。ヒロイン、エマの手の動きと声も印象に残る。小さくて鳥の鳴き声のような、あるいは幼女のような声で手をひらひらさせながら話す。動かす手の彼方に夢を求めるかのように。映画が進むに従い、奇声を発したり、ぞんざいになったりと変化してゆく様からエマの変化が読み取れる。

次の展開にまた驚く。男の臀部の上下運動、このセックスシーンはセクシーでもなければ、美しくもなく、支配的で即物的である。ボヴァリー夫妻のそれぞれに求めるものの違いが如実に現れているようだ。珍しくて高価なものをツケで売りつける商人ルウルーとのやり取り、医師シャルルの手術例を論文で発表するためにせっせと患者を紹介する薬剤師オメー、密通相手の隣家のロドルフ、青年レオン、そして夫のシャルル。何の説明もなく映画が展開するので、原作を読んでない観客には物語の展開を理解するのは難しいかもしれない。だが人物の造形は分かりやすい。ルウルーは小ずるくて胡散臭く、医師に寄り添い几帳面にメモをするオメーの仕事ぶりは、自分の実績をつくることに励む優秀なサラリーマンのようだし、ロドルフのドンファンぶりもそれらしく、レオンはいかにも年上の女性に憧れそうで、でも別れた後は可愛い妻と子供が二人ぐらいいる平凡な家庭を築きそうだ。シャルルはエマを「かあちゃん」(ロシア語でマーモチカと言っている)と呼ぶように、妻を子供の母親やセックス相手としてしか見ていない。妻を大切に思うが、妻の求めるものや心の動きに気付かない。どこにでもいそうな気の利ない夫の姿ではないか。

現代のエマに向けて
エマも特別な人間ではない。しかも150年前の女性だ。女性の行動に今よりもはるかに制限の大きかった時代である。原作者フローベール自身も、父や兄のように医者になるつもりはなく、かといって希望する文学で身を立てられる当てもなく、悶々と引きこもっていたのだ。ニート生活のなかで、自らの経験にエマを重ねて執筆したからこそ、「ボヴァリー夫人は私だ」と言えたのである。だが、彼にあっただろう自らへの信頼と自信、それを背景にした勇気、それがエマにはなかった。最後まで、ありのままの自分を受け入れることができなかったのである。自分の在処を見つけられず、理想と現実のギャップに苦しんだまま、エマは破滅していった。やり場のない思いをもてあまして、過食やアルコール依存、買い物依存、セックスや暴力などに捌け口を求める現代の人々の姿と、ぴったり重なってみえる。自己実現を求めてかなわず、現実の生活に汲々とするのが多くの人の人生ではないか。ここにはない自分を求めた彼女の苦悩は、性別に関係なく、いつの時代、どこの土地にもいる人間の姿である。人は大なり小なりボヴァリズム的要素を抱えて生きてゆく。

エマの衣装はディオール
 脚本は長年、ソクーロフとコンビを組んでいるユーリィ・アラボフ。撮影も数多くのソクーロフ作品を手がけるセルゲイ・ユリズジツキー、音楽はロシアの作曲ユーリィ・ハーニン。また、監督への取材によるとエマの衣装はクリスチャン・ディオールである。エイジレスで斬新なセンスは、この作品のテーマが時代を超えて普遍性をもつことを表現するのに、一役買っている。

1989年に完成した167分の旧バージョンは、当時のロシア国内の政治変動=ソ連崩壊のために、小規模な公開に終わっていた。フローベール没後130周年にあたる2010年に先駆けて、日本のファンのために監督自身が再編集したディレクターズカット版による公開であり、ソクーロフ自身は「過去は振り返りたくない。新たな版を見てほしい」と語っている。

ストーリー

フランスの小さな田舎町トスト。厳格な修道院で育ったエマは「ボヴァリー夫人」と呼ばれる新しい世界に淡い憧れを抱き、年の離れた町医者のシャルル・ボヴァリーと結婚する。しかし、凡庸な夫との田舎での単調な結婚生活は、エマにとって死ぬほど退屈なものになっていく。徐々に生気を失い、ふさぎこんでいくエマを心配した夫は、新たな町、ヨンヴィルでの開業を決意する。地元の薬剤師オメーの助言を得て、仕事をはじめる夫。オメーは足繁くボヴァリー家を訪れ、シャルルに患者を斡旋した。新たな地で女の子を出産し、新しい生活に希望を見出すエマであったが、彼女の心が満たされることはなかった。
そんな日々を変えたのは青年レオンとの出会いであった。お互いの情熱を分かち合い、強く惹かれる二人だったが、結ばれることのないまま、レオンは勉学のためパリへと旅立ってしまう。レオンに去られ、悲しみに暮れるエマは、ある日、使用人の治療のため訪れてきた裕福なドンファン、ロドルフに出会い、彼との情事に溺れていく。 エマは輝きを取り戻し、ロドルフとの逢瀬に身を焦がしていった。一方、夫のシャルルは薬剤師オメーの紹介する患者の手術に挑み、その治療例をオメーが発表することで、医者としての名声をあげようとしていたのだが、手術は失敗に終わってしまう。エマはそんな夫に失望するばかりであった。夫への嫌悪感は日ごとに増し、思いつめたエマはロドルフに一緒に逃げようと誘うが、そんな気のないロドルフは別れの手紙を残し、姿を消す。手紙を受け取ったエマは、そのショックで寝込んでしまう。
何も知らないシャルルは、エマを元気づけようと観劇へ連れ出す。そこで、思いがけずレオンとの再会を果たす。再び燃え上がるふたりの想い。ついに結ばれた二人は、愛欲の日々に埋もれていく。週に一度、音楽教室に通うと偽り、レオンとともに過ごす時間だけがエマに喜びを与えるのであった。その時間をかけがえのないものにしようと、エマは贅沢を求め、レオンとの逢瀬にお金を費やしていった。しかし、以前からの浪費もたたり、膨れ上がった借金の返済に窮し、ついには裁判所から差し押さえ命令を出されてしまう。エマはレオンにお金を貸してくれるよう懇願するが、エマの愛を重荷に感じ始めていたレオンは別れを告げる。しかたなくロドルフのもとへ助けを求めに行くが、あっけなく断られてしまう:・・・・。

スタッフ

監督:アレクサンドル・ソクーロフ 
脚本:ユーリィ・アラボフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー
美術:E.アムシンスカヤ 
録音:ウラジーミル・ペルソフ
編集:レーダ・セミョーノワ
音楽:ユーリイ・ハーニン 

キャスト

セシル・ゼルヴダキ
R.ヴァーブ
アレクサンドル・チェレドニク
B.ロガヴォイ

LINK

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