感じていますか。はじける喜びと、小さな幸せを。 見つめてください。ひとつひとつの人生という季節を。

第59回(2004年)毎日映画コンクール『記録文化映画賞』受賞

2004年/日本/カラー/16mm/107分/スタンダード/ 配給:協映

2005年9月3日、渋谷ユーロスペースにてモーニングショー

公開初日 2005/09/03

配給会社名 0640

解説


◎解説にかえて—製作委員会より◎

『わたしの季節』は滋賀県野洲市にある重症心身障害児(者)施設、第二びわこ学園を舞台にしたドキュメンタリー映画です。

びわこ学園の源は、戦後まもなく故・糸賀一雄らによって創設された近江学園にさかのぼります。糸賀は当時、学園の子どもたちと歩みをともにする中で、それまで障害のある人の生活の奥底を見ることの出来なかった自身への問いを通じて、「どんな重い障害があっても、子供たちは誰と取り替えることも出来ない個性的な自己を実現している。人間として生まれて、その人なりの人間となっていくこと」を世に発言し続けました。
そして、その考えは「この子らが光り輝いたものにしていこう」という『この子らを世の光に』という理念の提唱へとつながっていきました。糸賀は54歳、志半ばにしてこの世を去ります。

びわこ学園はこうした理念をもとに、重い障害児に対する医療と教育の機能を持つ重症心身障害児(者)施設として1963年、西日本で最初に開設されました。第二びわこ学園の開設はそれから3年後の66年。学園が開設された約40年前の日本は高度経済成長期で、福祉に対する関心はまだまだ低い状況でした。特に重症児と呼ばれる人たちは福祉制度の貧困と偏見によって、家族にゆだねられるばかりであり、学齢期になっても「就学猶予」の通知とともに放置されていたのが実情でした。学校にも行けず、友達もいないわが子を思う親たちは、学校と病院をあわせたような施設ができたと聞いて期待半分、不安半分の気持ちで子どもを預けたのです。

年月は過ぎ、第二びわこ学園の建物の老朽化が激しくなり、2000年、新築移転計画が動き出したとき、映画制作の話が持ち上がりました。「40年間、彼らが生きてきた証を残したい」という学園職員や家族らの思いが昂じてのことでした。10歳にも満たない子どもたちの中には、20歳まで生きられるかどうか、と医師に告げられた子もいました。そうした彼らが今、40歳から50歳になろうとしています。子どもから大人へ、そして老いを迎えようとしている彼らの
40年の歩みは、どのようなものでしょうか。

この映画は、そうした時代背景を辿りながら、重い障害のある人たちの存在そのものが放つ「光」の意味を改めて問い掛けるものであるかもしれません。障害のある人々と膝を突き合わせるように向かい合い、誰もが、彼らの「存在感」を受け入れるところから始まり、自分の人生を重ね合わせられるような映画にしたい。そんな思いで作った映画です。

ストーリー



 123人が生活する第二びわこ学園には、日々123通りの1日がある。
お風呂に浸かり、一点を見つめて物思いにふける顔。小雪がちらつく中、手をつないで散歩する姿。
器用にちぎった新聞にくるまって笑顔を見せる瞬間。学園で飼っているロバのそばに寝転んで大あくび。ラジオ体操の曲に合わせて鼻歌交じりに腕をぐるぐる…。学園の日常が次々と映し出される。
そして、学園設立当時の8ミリフィルムが挿入される。みんながまだ幼かったころだ。あれから約40年、
それぞれの季節を重ねて来た。しわの寄った顔、白髪交じりの頭、ゆっくりとした足取り…。

そしてまた、学園で暮らす彼らを思う家族たちにも季節は巡る。
明光志郎(みょうこうしろう)さん(48)の場合。
志郎さんは8歳のときに学園にやってきた。ある日、志郎さんと父(81)、学園の担当者による三者面談が行われた。障害者が自治会を組織して生活している施設に移ることを希望し、施設を見学した志郎さんに対し「行ってしまえ。そのかわりもう子どもでも親でもない」と怒る父。息子との話し合いはいつも平行線だ。父は頑固なのではない。息子のことを思う気持ち、学園への信頼がそう言わせている。自宅から2、30メートルほど歩くと、学園のそばにそびえる三上山が遠くに小さく見える。「あのふもとに息子がおる」。父は毎日、そこまで歩み出て、じっと眺めている。

七里大輔(しちりだいすけ)君(13)の場合。
いわゆる重症児の大輔くんが周囲の呼びかけに応える方法は、眼球をくるりと動かすこと。大輔君は学園に併設されている養護学校に登校し、名前を呼ばれると目で返事をする。大輔君は生まれてすぐに人工呼吸器を必要とし、8年間、大学病院で暮らした。母(44)は「せっかく人間に生まれてきたんだもの地球のいいとこ感じてほしい(詩より)」と、第二びわこ学園を希望した。毎日面会にやってきて、お風呂の日には、職員と一緒に大輔君の入浴を介助する。職員との世間話、大輔君に話し掛ける母の声はいつも明るい。今はまだ、大輔君の外出には職員の付き添いが必要だ。でも、いつかはうちに連れて帰って一緒に暮らしたい。それが母の願いだ。

戸次公明(べっきこうめい)さん(51)の場合。
4歳年上の兄が面会に来た。スーパーに一緒に買い物へ行き、近所の公園のベンチに腰掛け缶コーヒーで乾杯。幼いころ、興奮状態、他児への危害が激しくなり就学猶予。いろいろな病院、施設を経て13歳で学園に来た公明さんは、粘土作品にその才能を開花させた。ひとり静かに粘土に向かう公明さんの姿は芸術家のそれだ。そんな公明さんも兄にとってはいつまでも弟。公明さん里帰りの夜、布団に入った弟のそばであぐらをかいていた兄が、そっと弟の布団にもぐり込んだ。静かな夜がふたりを包む。

新築移転した第二びわこ学園から、次々と現れる人たち。小走りに、ゆっくりと、車椅子で、移動ベッ
ドで、みんなカメラに向かって進んでくる。学園にやってきたばかりの人、40年近くいる人、学園に来
て才能を伸ばした人、自分の意志で学園を出て行こうとする人…。新しい季節がまた始まる。

スタッフ

監督:小林茂

企画・製作:「わたしの季節」製作委員会
代表:山崎正策・びわこ学園理事長

製作:協映 田辺信道
編集:佐藤真、奏岳志
撮影:小林茂、松根広隆
録音:田辺信道
助監督・スチール:吉田泰三
企画取材:酒井充子
製作事務局:江口和憲
音楽制作:川村年勝

主題歌「帰ろうかな」
作詞・作曲・歌:青木カナ

キャスト

LINK

□公式サイト
□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す