原題:The Nagaharu Yodogawa Story : A Cineaste's Life in Kobe

テケレッツのパッ! まるでエイガのようなオハナシなり

2000年/日本映画/カラー/35mm/上映時間1時間46分/スタンダード/配給:PSC

2000年8月24日(木)・9月3日(日) 横浜そごう新都市ホールにて特別上映(トークショー付き) 2000年9月30日より横浜地区にて独占先行ニコニコ2本立てロードショー公開!

公開初日 2000/08/24

配給会社名 0074

解説

ハイ、告さんコンニチワ。
この『淀川長治物語・神戸篇サイナラ』は、あのヴィム・ヴェンダースをして「あなたは映画の天使だ」と言わしめた、史上最高の映画評倫家・淀川長治さんの自伝映画です。
淀川さんは、アーノルド・シュワルツェネッガーをはじめて「シュワちゃん」と呼んだ人。
イタリア製の西部劇を「マカロニ・ウェスタン」と最初に呼んだ人。
それから何といっても、テレビの世界ではじめて映画を取り上げた人。
1966年からスタートしたご存じ「日曜洋画劇場」(テレビ朝日系。
当初は「土曜洋画劇場」)や「淀川長治・映画の部屋」(テレビ東京、後に「淀川長治の部屋」)で、どんな映画でも名調子で解説してくれた。
ご存じ「サイナラ、サイナラ、サイナラ」で一世を風靡したその語り口の上手さに加え、サイレント時代から映画を観続けてきた、記憶力の確かさから、「映画の伝道師」と呼ばれました。
残念なことに、1998年の11月、淀川さんは天国へと召されてしまいました。
テレビをつけても淀川さんのお話を聞くこともできず、寂しい思いをしていた人も多くいましたが、一周忌にあたる1999年の11月、淀川さんはドラマになって蘇りました。
それがこの『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』です。
淀川さんの波乱に満ちた人生の、その最初の時代を映画化したのは、「日曜洋画劇場」のオープニング・タイトルを作った大林宣彦。
脚本は「傷だらけの天使」の市川森一との共作で、「淀川長治自伝」(中央公論社)はじめ、淀川さんが語った数多くの逸話から、その重要なエッセンスを抜き出し、ひとつのお話に仕立て上げました。
ただし、それは故人を単純に美化したものじゃありません。
淀川さんが悩み引きずった、その暗い側面をも忠実に描いております。
お母さんの不遇な身の上、大正時代のハイカラな空気を吸って育った型破りなお姉さん、芸者置屋の子ゆえに直面してしまう大人の男と女の関係、そして激動の時代に翻弄される自分……みんな活動写真のなかで観たことがあるぞ。
そうか、人生は長い長い活動写真なんだ。
そんな淀川さんの思想に基づいて作られました。
また、映画の中には淀川さんを偲ばせる仕掛けがいっぱい施されています。
淀川さんが大好きだった西条八十の歌「残りの花火」の使われ方。
友達の静山君と一緒に丘の上から見下ろす景色は、淀川さんの記念碑と同じフレームで大正時代の神戸の街並みを見渡すことができます。
また、米騒動の晩に、燃え盛る繁華街にぽっかり浮かんだ満月。
それを観て「映画のように奇麗だ」と思う淀川さんなど……この2時間に満たない、僅かな時間に「淀川長治入門」のためのキーワードがいくつも隠されております。
テレビ放映のときは泣く泣くカットされたシーンも、今川は劇場公開ということで復活しました。
というわけで、もしも淀川さんが生きていれば、この作品は90歳のお誕生日の記念になろはずでした。
このあたり、大林監督は粋なことをした。
天国の淀川さんもさぞ喜んでいるでしょう。
という訳で、『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』をぜひお楽しみください。

ストーリー

1909年、神戸で三本の指に入るといわれた芸者置屋の淀川屋に、待望の跡取り息子が止まれました。
その名を長治と申します。
お母さんは借金の肩に淀川家に嫁入りをしてきた身、親子ほど歳の離れたお父さん、お姉さんが二人、淀川家を残すことに執心するお婆さん。
ちょっと変わった家族でしたが、みんな活動写真が大好き。
そんなわけで、お母さんが長治を産気づいたのは活動写真の小屋の中。
筋金入りの映画少年は、かくしてこの世に生まれ出ました。
長治少年は小さい頃から、光るもの、動くもの、不思議なものが大好きでした。
わけても好きなのが活動写真。
一家揃って、週に三回は活動写真を観にいった。
とりわけ4歳のときに観た『クレティネッティの借金返済法』。
借金取りに追われる主人公。
さあ大変だ。
そこで弁士が呪文を唱える。
「テケレッツのパッ」。
するとあら不思義、大の男が鞄の中に人ってスタコラ逃げる。
「ああ、面白いなあ。
お母ちゃん、面白いよ」。
大喜びの長治少年であります。
長治少年は小学校に上がっても、頭の中は活動写真のことでいっぱいでした。
連続活劇の『赤輪』を観たら、学校に行って友達と『赤輪』ゴッコをやっていた。
そうやって遊んでいても、活動写真の不思議な魅力にはかなわない。
何で活動写真はこうも面白いんだろう。
不思議に思う長治少年でありましたが、学校の先生も教えてくれない。
思い切り活動写真の話のできる友達が欲しいなあ……。
そんな折、静山君という友達ができた。
彼も小さい頃、「テケレッツのパッ」を観ていた。
長治少年は喜んだ。
「僕は君とふたりで、映画について考えたいんや」丘の上でお弁当食べながら、時のたつのも忘れて映画のことを話しあうふたりがいた。
美少年だった長治少年は芸者さんにもたいそう可愛がられた。
特に仲の良い芸者さんがおりました。
ふたりで活動写貞を観にいった。
リリアン・ギッシュの『散り行く花』です。
お酒を召された芸者さん、千鳥足でよろめいた。
そこに手を貸した青年、東京から映画の宣伝にやってきたメトロの社員だった。
見つめあう目と目。
その輝きを見た長治少年は、家に帰ってお姉さんにこう言う。
「あのな、活動写真で起こったことは、みんな本当のことなんや」。
活動写真には人生がある。
そのことに気付きはじめた長治少年でありました。
さて1918年、長治少年が9歳の夏、世に言う「米騒動が起きました。
淀川屋も襲われるかもしれん、とみんなでお寺まで逃げた。
長治少年が階段を登る途中で振り返ってみると、燃え盛る神戸の街の上空にポッカリと満月が浮かんでいる。
「ああ、綺麗だなあ。
活動写真のようだ」。
そう思った長治少年。
揺れ動く世相と関係なく、ますます活動写真にのめり込んだ。
米騒動が落ち着いてから、前に出会ったメトロの宣伝部員が家にやってきた。
「今度、我が社では『レッド・ランタン』という超大作を上映します。
そこで楽団の者が言うには迫力のある木魚を使いたい。
ぜひお家にある木魚を貸してくれませんか」。
ところがお父さんの機嫌が悪かった。
大事な木魚を、活動ごときに貸せん。
そこで長治少年は、夜になるのを待って、こっそり木魚を調達するのを手伝った。
「君はどうしてこんなに親切なんだ」と聞く宣伝マンに長治少年は答えた。
「だって、活動が好きやからな」。
後に『駅馬車』を大ヒットさせた名宣伝マン、淀川長治の初仕事であります。
ところが関東大震災が起こって、世の中はメチャクチャになってしまった。
淀川家も、お父さんが慣れない株に手を出していたばっかりに破産してしまった。
お姉さん二人は家出して、弟は突然自殺してしまった。
家の存続は長治少年の肩にずっしり圧しかかってきた。
そこで長治少年は、中学校の授業中も、映画の宣伝文を占いて、家計の助けをしていた。
その現場を学校の先生に見つかってしまい、「活動写真なんかくだらん」と叱られた。
そこで長治少年は負けなかった。
「先生、活動写真は立派な芸術です。
嘘だと思うなら『ウーマン』いう映画をご覧なさい」。
そこに教頭先生がやってきた。
「淀川君、私は活動写真をよく知らないから、わかりやすく説明してくれんか」。
「ハイ、わかりました」。
南北戦争のとき、傷ついた兵士を匿う一人の娘。
追っ手が来た。
何か知らないか娘に尋ねた。
娘、首を横に振る。
追っ手が銀の懐中時計を見せる。
一瞬、娘の視線が兵上の隠れた納屋に行く。
兵士は見つかってしまう。
ああ、女の人は怖いなあ……。
これこそが映画の語り部、淀川長治誕生の歴史的瞬間ですね。
「世の中は活動写真のようにはいかないで」。
友達の静山君はそう言った。
それでも映画と一緒に生きていきたい。
その思いが長治少年を旅立たせる引き金になりました。
ついにある晩、長治少年は東京に旅立つ決意をしました。
ところが大事な跡取りを東京に行かせてなるものかと、鬼婆のようになったお祖母さんが駅で待ち構えている。
さあ、どうやってこの危機を脱すればいいのでしょうか?……続きは劇場でお確かめください。

スタッフ

監督.編集):大林宣彦
脚本:市川森一
撮影監督:稲垣湧三
美術監督:竹内公一
音楽:學草太郎
音楽・編曲:山下康介

キャスト

秋吉久美子
柄本明
ガダルカナル・タカ
厚木拓郎
勝野洋輔
勝野雅奈恵
白石加代子
嶋田久作
大森嘉之
根岸季衣
高橋かおり
宮崎あおい
宮崎将

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