原題:tonari no yamada kun

五人の家族(プラス一匹)が織りなす笑いと涙と感動とえ〜と、あとなんだっけの毎日。

1999年日本映画/104分/カラー/ドルビーステレオ/配給:松竹・スタジオジブリ(徳間書店) /SMALL>

2010年12月22日よりDVDリリース 1999年7月17日より全国松竹・東急洋画系にて公開

公開初日 1999/07/17

配給会社名 0003

解説

家内安全は、世界の願い。
ジブリの前作「もののけ姫」は、日本のアニメーション史上空前の高い評価と観客動員をかちえ、幅広い層の人々に感動を与えました。当然、ジブリの次回作に熱い注目が集まっています。そこで、ジブリが決めた企画が大方の予想を裏切る、あの“となり”シリーズ第2弾(?)「ホーホケキョ となりの山田くん」。「なぜだ!?」と、この企画に疑問を投げ掛けるムキも多いと思われます。以下はその理由を説明します。
いま日本では、グローバル・スタンダードという言葉が流行っています。長引く不況のさ中、規制緩和&ビッグバンで第二の開国をして、世界の基準に日本も適応しようというわけです。きびしい国際社会の荒波の中で、政治家・企業人はもちろん普通の人までが、日本が置いてけぼりを食らうのではないかという不安と焦燥に駆られています。
浮き足立つ日本。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。そんなに浮き足立つ必要が、本当にあるのでしょうか。英語とインタ−ネットを覚えて、あわてて髪を金髪に染めてみたところで所詮は付け焼き刃。似て非なるものです。温故知新。こういうときこそ、足元にあるこの国「日本」に目を向けてみませんかというのが本企画「ホーホケキョ となりの山田くん」なのです。この国だって捨てたもんじゃない。いいところがいっぱいあったはず。捨てちゃうのはもったいない。
テ−マは、日本人はこう生きて来たし、いまもこう生きている。これからもこれでいいんじゃない?です。
合言葉を決めました。“これが日本のスタンダードだ!” ジブリが声を大にして、日本から世界に発信します。
原作はいしいひさいち。朝日新聞朝刊に連載中のみなさんご存じ、5人の山田一家を描く4コママンガです。あらためて家族をご紹介すると──。
たとえば母・まつ子。悩みといえば晩ご飯の献立くらい。父・たかし。。日曜日はパチンコかごろ寝。祖母・しげ。口の悪さは相当のもの。長男・のぼる。何をしてもぱっとしない。
長女・のの子。かわいいけど大食い。犬のポチ。吠えないし尻尾も振らないしお手もしないけど噛み付く。とまあ、決して偉かったりカッコ良かったりはしません。でも、日本人にありがちな、憎めない人たちばかりです。
山田家の人たちは、高邁な目標や大義を掲げてそれを達成すべく必死の努力をしたり、今の私はまだ本当の自分じゃない、と自分探しを始めたりはしません。近代人特有の内面とか自我から発する心の呪縛から自由なのです。なるようになる、そのうちなんとかなるだろうと、歌のフレーズのように「いい加減」に毎日を生きています。
「山田家のひとたちが身近にいてくれるのを感じると、なぜかラクになります。元気が出ます。頬がゆるみ、息がつけて、今日一日もなんとかやって行けそうな気がします」(高畑監督の企画書より)この映画は、日本人の大半がかつてそうであり、実は今もそうであるはずの「庶民」を描いた作品なのです。
脚本・監督は高畑勲。いまさら説明の必要もない、アニメーション映画監督の巨匠。「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」と既成の映画の枠組みを超えた映画作りに取り組んできた高畑監督は、今回、演出に弱冠33歳の新鋭・田辺修の力を得て、またしても斬新な映画作りに挑戦します。この映画は平凡な人たちを描きますが、しかし、映画自体はまったく平凡ではありません。ポイントを3つにしぼると。
まず、ストーリー。4コママンガのテンポ、リズムを生かしつつ長編映画化するにはどうしたらいいか。高畑監督が辿りついた答えは、誤解を恐れずに断言するなら、ストーリーを無くす、でした。エピソードの積み重ねだけで映画全体を構成しようというのです。
次にキャラクター。今までのジブリ作品とは大きく異なり、いしいひさいちの原作に極めて近い、非常に単純化されたキャラクターです。背景もそれに合わせて大変シンプル。しかし、キャラクターの動きはいつも以上のジブリ。緻密にして極めてリアルです。胴長短足の典型的な4コママンガのキャラクターが、驚くほど生活感のある動作と表情をするのが見どころ。たとえば、あの短い脚でどうやって畳に座るのか。しかも不自然でなく。観客はいつしか「あ、この感じ分かる」という気持ちになり、どんどん山田家への共感が膨らみます。
そして画面全体が水彩画風であること。ジブリは今回から、セルを一切使わない、フルデジタル処理に踏み切りましたが、ただ単に従来の工程をコンピューター化したのではありません。高畑監督の指示のもと、この作品のテーマにふさわしくて新しいデジタルならではの技法をと、試行錯誤した結果、まるでひとりの人間が水彩ですべての絵を描いたような、まったく新しい画面作りに成功しました。不思議な暖かみと懐かしさ、手作りの感触はこの作品のテ−マとも合致しています。
音楽は矢野顕子。ニューヨーク在住10年の彼女は、コスモポリタンな印象が先行しがちですが、身近なちょっとした出来事を題材にした佳曲も多い人。今回は映画音楽初挑戦で、独特の自由なピアノ演奏と歌唱が、家族の暖かさを表現します。
声の出演ですが、今回も高畑監督はプレスコ方式を採用。声を先に収録して、それに合わせて作画することで、出演者の能力を最大限に引き出します。
まつ子には朝丘雪路。朝丘さんは宝塚市在住の経験があるので関西弁も達者そのもの、ただのズボラな主婦ではない人柄の良さがまつ子に加味されました。たかしは益岡徹。実直でいながらどこか抜けた感じのたかしを抜群のバランス感覚で演じます。しげには荒木雅子。そこまで言うか、という毒舌もこの人にかかると面白いのに自然です。披露宴でスピーチをするキクチババにミヤコ蝶々。かなり長いセリフもつい聞き入ってしまうこの貫禄。
俳句の朗読に柳家小三治。つやのある語り口で映画の要所要所を引き締めます。
笑いが中心の映画ですが、演技はあくまでも自然に普通に、リアリズムが重視されています。
「山田くん」の世界は、ファンタジーや冒険物語によくある、豪華に作り上げられた映像マジックとは正反対です。一見単純素朴、しかし、徹底的なリアリズムに根差したアニメーションの存在感が、生きることと人生そのものへの大きな感動を生み出そうとする大野心作なのです。
今、日本から世界へ。
これが日本のスタンダードです!

ストーリー

スタッフ

製作総指揮:徳間康快
製作:氏家齊一郎/東海林隆/マイケル・O・ジョンソン
原作:いしいひさいち
(徳間書店・朝日新聞社・チャンネルゼロ刊)
脚本:高畑勲
音楽:矢野顕子
プロデューサー:鈴木敏夫
制作:スタジオジブリ
絵コンテ:田辺修/百瀬義行
作画監督:小西賢一
美術監督:田中直哉/武重洋二
彩画監督:保田道世
撮影監督:奥井敦
動画監督:斎藤昌哉/舘野仁美
演出:田辺修/百瀬義行
監督:高畑勲

製作担当:奥田誠治、藤巻直哉、星野康二
宣伝:村居俊彦(松竹)、メイジャー

キャスト

まつ子:朝丘雪路
たかし:益岡徹
しげ:荒木雅子
のぼる:五十嵐迅人
のの子:宇野なおみ
ジブリ応援団:富田靖子、古田新太、斉藤 暁
藤原先生:矢野顕子
俳句朗読:柳家小三治
特別出演:中村玉緒、ミヤコ蝶々

徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ放送網・博報堂・ディズニー提携作品
©1999いしいひさいち・畑事務所・TGNHB

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