原題:KUNDUN

ダライ・ラマ14世の生涯。

☆1997年アカデミー賞4部門ノミネート(美術、撮影、作曲、衣装デザイン) ☆1997年ゴールデングローブ賞 作曲家ノミネート ☆1997年LA映画批評家協会賞 作曲賞受賞 ☆1997年NY映画批評家協会賞 撮影賞受賞 ☆1997年全米映画批評家協会賞 撮影賞受賞 ☆1997年ボストン映画批評家協会賞 撮影賞受賞

1997年/アメリカ映画/スコープサイズ/カラー/135分 ドルビーデジタル/日本語字幕:戸田奈津子/デザイン:ストイック 配給:株式会社東北新社

2009年07月03日よりDVDリリース 2009年6月27日より7月3日まで渋谷アップリンクにてロードショー 2000年5月25日よりビデオレンタル開始 1999年7月10日より恵比寿ガーデンシネマにて初夏ロードショー公開

© 1997 TOUCHSTONE PICTURES

公開初日 1999/07/10

配給会社名 0051

解説

1937年、チベット。片田舎のどこにでもあるような民家に、僧衣を身にまとった男たちが訪れた。まだ2歳にしかならない幼子の瞳を覗き込んだ彼らは、即座にその幼子こそが、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの生まれ変わりであると確信する。この日を境に、少年の苦難と波乱に溝ちた“運命の旅”が始まることとなった…。
『タクシードライバー』でカンヌ映画祭グランプリを獲得し、その後も『レイジング・ブル』『カジノ』など、一作ごとに世界中を衝撃の渦に巻き込む名匠、マーティン・スコセッシ。幼い頃に聖職看を目指し、映画監督になってからも一貫して聖と俗の葛藤を描いてきた彼があくまでイエス・キリストは我々と同じ人間であると主眼した『最後の誘惑』から10年、映画史上はじめてダライ・ラマにスポットを当てた宿命の集大成がこの『クンドゥン』です。
ごく平凡な家庭で生まれたにも関わらず、何も分からないままチベット全土を治める指導者の地位を与えられたひとりの少年。彼は多くの高僧のもとで政治から宗教に至るあらゆる学問、知識を学びとりながら成長してゆく。しかし1950年、毛沢東率いる中国共産党のチベット侵攻により、国家の存涜を賭けた重大な決断を迫られることになる。『クンドゥン』は、少年がダライ・ラマ14世の転生者であると確認されるところから始まり、チベットを脱出してインドヘと亡命するまでの22年間を、華麗で幻想的な映像と共に事実に即して描いています。これは信じ難い運命に翻弄されたひとりの若者の成長の記録であるだけでなく、非暴カによって大国の圧カに抗う彼の姿を通じて、人間の尊厳とは何か、真の自由とは何かを問う壮大な精神探求のスペクタクルなのだ。
出演は、成人したダライ・ラマ14世を驚くべき静粛さをもって体現するテンジン・トゥタブ・ツァロンをはじめ、全員がインド、カナダ、アメリカに在住する演技未経験の、もしくは演劇学校に通うチベット人で、幾人かは実際に自分の親族である役柄を演じています。ここからも真実のみが特つ崇高さを追及するスコセッシの、この作品に対する熱意がうかがえます。脚本は『ET』で一躍脚光を浴びたメリッサ・マシスン。ハリソン・フォード夫人でもある彼女の手によって、単なる史実ではない血の通った物語が誕生しました。荒涼たる大自然と荘厳な僧院内を鮮やかに捉えた撮影は『デッドマン・ウォーキング』『ショーシャンクの空に』など多くの名作を手掛けるロジャー・ディーキンス。他にも美術と衣装を担当する『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』のダンテ・フェレッティ、デビュー作以、長年スコセッシ作品を支えてきた編集のセルマ・スクーンメーカーといったアメリカ映画界を支えるスタッフが見事な技術を披露しています。さらに『コヤニスカッティ』などで知られる現代音楽を代表する作曲家、フィリップ・グラスの流麗たる旋律が本作の基調を明確に決定づけています。
90年代に入り『リトル・ブッタ』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』といったチベット、またはチベット仏教を題材にとった作品がたて績けに公開されました。また音楽界ではチベット救済を目的とした大規模なフェスティバル、“チベタン・フリーダム・コンサート”が毎年アメリカで開催されています。このことからもいまだに不遇な状態にあるチベットに近年注目が集まっていることが分かります。過去、現在、未来を自由に流れる時間の中で一種のトランス状態へと観る者をいざなう『クンドウン』は、それらのムーブメントの枠を超え、何ものにも汚されない純粋さ、普遍的な人間のあるべき姿を描くことによって、生きることの意味を我々ひとりひとりに問い掛けてくるのです。

ストーリー

1年年、チベットのある寒村に長撮を続ける数名の高僧が訪れた。彼らの目的は4年前に逝去したダライ・ラマ13世の生まれかわりを探し当てること。そこでハモ(テンジンイェシェ・パチュン)という名の幼子に出会った一行は、太鼓、眼鏡、杖といった生前ダライ・ラマが愛用していた遺品とそうでないものを彼の前に2種類ずつ並べる。嬉々としてそのうちの一方を取り上げていくハモを見ていたひとりの高僧が、やがて尊敬と畏敬の念を込めてその幼児に呼びかけた。「法皇猊下<クンドゥン>」_。彼こそが“慈悲の仏陀・観音菩薩”の生まれ変わり、第14代ダライ・ラマだったのだ。
2年後の1939年、ハモ(トゥルク・ジャムヤン・クンガ・テンジン)は迎えの者たちと共に首都ラサヘと旅立った。それは自分の名前や故郷、そして平凡だが幸福な生活との別れを意味していた。これからはダライ・ラマとして生涯をチベットの民のために費やさなければならない。旅の途中、彼を連れてくるよう命じた摂政、レティング(ソナム・プンツォク)に出会い、初代菩薩の誕生の話を聞いた。それは母親(テンチョー・ギャルポ)がよく話してくれた自分の生い立ちとよく似ていた。ラサのポタラ宮殿に到着し、日々指導者としての知識、戒律を一から教え込まれるダライ・ラマ。そんな中、もともと僧仲間から戒偉を守らないとの悪評が絶えなかったレティングが退任を申し入れた。彼を慕っていたダライ・ラマだったが、すぐにタクラ(ツェワン・ジグメ・ツァロン)を新しい摂政に任命し、再び厳しい修行に身を投じることになる。育ち盛リを迎えたダライ・ラマ(ギュルメ・テトン)はあらゆることに興味を持ち始め、望遠鏡で外の様子を覗いたリ、自ら映写機を回し海外の映画を楽しむようになる。またニュースフィルムや雑誌で、第二次世界犬戦の様子や広島の惨劇に接し、自らのことのように胸を痛めるのだった。
ある日、いつものように窓から下界の様子を眺めていたダライ・ラマは、現摂政のタクラの暗殺を企てた罪でレティングが連行されていくのを見てしまう。この一件で僧侶が銃を保持している、ポタラ宮殿内に牢獄があることを知った。彼は醜い部分を報告されない自分の立場に苛立ちを覚える。その頃、中圏では毛沢東(ロバート・リン)率いる共産党が政権を奪い、チベットは中国の領土であることを世界に向けてアピール、チベット政権に対しても同様の主旨を柱とした三つの要求を叩きつけてきた。何とか隣国の不穏な動きに対処しようとするダライ・ラマの心中で、徐々に指導者としての意識が茅生えてくる。
1950年、毛沢東の三つの要求を全て拒否したチベットに、中国人民解放軍が侵攻してきた。ダライ・ラマ(テンジン・トゥタブ・ツァロン)は戴冠式を執リ行い、政府をインド国境近くのドンカル僧院に移す。側近はインドヘの亡命を促すが、非暴力を貫き、民を守るのが自分の使命と考える彼はチベットにとどまる決意を新たにする。しかし解放軍将軍の執拗な訪問や、酉側ばかりか国連からもチベットの独立承認を拒まれる現状に業を煮やしたダライ・ラマは、富ら北京へと向かった。あくまでチベットの民が望むペースで改革すべきだと終始穏やかに語り、自分の母親は仏教徒であるとまで言う毛沢東の言葉をすっかり信じたダライ・ラマ。しかし最後の会見で毛沢東はこう告げる「宗教は毒です。人間を腐らせる阿片です」。チベットヘ帰ったダライ・ラマの元に、解放軍の爆撃が激しくなり、罪なき多くの人々が巻添えになっているとの報告が届いた。苦悩の末、彼はついにチベットを離れる意志を固める…。

スタッフ

監督: マーティン・スコセッシ
脚本・共同製作: メリッサ・マシスン
製作: バーバラ・デ・ティーナ
撮影監督: ロジャー・ディーキンス
美術監督・衣装: ダンテ・フェレッティ
編集: セルマ・スクーンメーカー
音楽監督・作曲: フィリップ・グラス
製作総指揮: ローラ・ファットリ
キャスティング: エレン・ルイス

キャスト

ダライラマ・ラマ(成人): テンジン・トゥタブ・ツァロン
ダライラマ・ラマ(12歳): ギュルメ・テトン
ダライラマ・ラマ(5歳): トゥルク・ジャムヤン・クンカ・テンジン
ダライラマ・ラマ(2歳): テンジン・イェシェ・パチョン
ダライ・ラマの母: テンチョー・ギャルボ
ダライ・ラマの父: ツェワン・ミギュル・カンサル
セラのラマ: ケジェ・イェシュ・ギャツォ
レティング・リンボチェ: ソナム・プンツォク
キチェンの指導者: ロブサン・サムテン
侍従長: ギャツォ・ルカン
タクラ・リンボチェ: ツェワン・ジグメ・ツァロン
リン・リンボチェ: テンジン・ティンレイ
毛沢東首席: ロバート・リン

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