原題:Traces of a Dragon: Jackie Chan & His Lost Family

世界的スーパースター、ジャッキー・チェン。 最も愛する父親の本当の名前を、彼はこれまで知らなかった。

2003年/香港/中国語/カラー/96分/ 配給:マグザム

2005年10月07日よりビデオリリース 2005年10月07日よりDVDリリース 2005年3月5日より、新宿武蔵野館にてモーニング&レイトショー

公開初日 2005/03/05

配給会社名 0178

解説



ジャッキー・チェン(成龍)。彼はアクションスターとして世界的に絶大なる人気を持つスーパースターである。年間を通して世界中を飛び回り、映画製作、出演だけでなく、数々のボランティア、そして滞在する香港映画界のために若手育成など社会的な活動`にまで精力的に励んでいる。そんなジャッキーにとって最も大切な存在は両親だ。これまで、自伝やインタビューなどでも両親に語り、また、来日の際に父親を同伴するなど.チェン親子の家族の絆は誰がみても強いものであった。だが、ジャッキー自身、父親の口から語られるまで、両親の本当の歴史を知らなかったのだ。

本作品は、ジャッキーの母親チェン・ユエロン(陳月榮・02年に死去)の病気を契機に、彼の父親であるチェン・ジーピン(陳志平)が初めて過去の真実を話したことをきっかけに撮影された。『宗家の三姉妹』などで知られる女流監督メイベル・チャンが、ジャッキー・チェンーファミリーの封印されていた過去の軌跡を追ったドキュメンタリー映画である。

今回の製作においては、メイベル・チャンの公私に渡る良きパートナーである『七小福』のアレックス・口ウが製作総指揮を手がけ、製作にはジャッキー・チェン本人だけでなく、彼の会社の右腕的存在ウイリー・チェンとソロン・ソーが名を連ねており、ジャッキー・チェン・グループが金面的にバックアップしている。
撮影には『プロジェクト・イーグル』、『メダリオン』でジャッキー・チェンと、『宋家の三姉妹』ではメイベル・チャンとコンビをを組んだ番港映画界の名手アーサー・ウォンが担当。編集を『ラベンダー』のモーリス・リー、音楽を『少年阿虎』のヘンリー・ライ、音響を『インファナル・アフェア』のキンソン・ツァンが担当している。

なお、ナレーションを『男たちの挽歌』で知られ、ジャッキーとは『酔拳2』で共演しているティ・ロンが担当しているのも話題である。 第53回ベルリン国際映画祭ドキュメンタリー部門のオープニング作品として上映され世界的に話題となった本作は、現在、映画化に向けて動き出しているという。

ストーリー

 ジャッキー・チェンの父チェン・ジーピン(陳志平)は、彼の妻でありジャッキーの母親であるチェン・ユエロン(陳月榮)が病気で動けなくなってしまった時、彼ら夫婦が長年ひた隠しにしていたある真実を、息子ジャッキーに知らせることを決意した.映画は、父子がその真実について話した日を回想するインタビューから始まる。
その真実とは、チェン・ジーピンの本名はファン・ダオロン(房道龍)であり、夫婦は再婚同士、彼には二人の息子が、チェン・ユエロンには二人の娘がいること、つまりジャッキーには兄と姉がいるということだった。一人っ子として育ったジャッキーにとって、父から語られる真実は驚くべき話であった。
 1915年中国・山東省で生まれ南京で育ったファン・ダオロンは、結婚して安徽(アンフイ)省で二人の息子をもうけるが、長男が7歳の時に妻が癌で病死、男手ひとつで息予たちを育てることとなる。巷には戦争の影がちらつき始め、彼は生活のために国民党に入り、スパイとして活動することとなる.多くの部下を持ち、上海や南京を行き来する日々。その結果、役人に強いパイプを持つまうになった。聞もなく日中戦争が勃発、彼は国のために働いた.戦争が終わると、今度は共産党と国民党の内戦が始まり、国民党が敗北の色を高めた時、身の危険を感じたファンは、二人の息子を中国に残して香港に逃げる。
 一方、ジャッキーの母親チェン・ユエロンの前夫は、日中戦争で上海が空襲された時、二人の娘を残して命を落とした。その後、家族を養うためにアヘンを売り始め、ある日、港で検査官をしていたファン・ダオロンに逮捕されたのだ。だが、彼女の身上を聞いたファンは同情し、周囲の目を盗んで、アヘンを持たせたまま彼女を逃がした。それ以来、二人は友人となる。家族を養うために上海に移り住んだユエロンは、メードとして働いた。同時に、女性ながらも賭場に出入りし、”三姐”と呼ばれ、街の顔役となった。だが、ファンが追われる身となったため、娘達を預け、二人で香港へ逃亡したのだ。そして、この時から、ファンは彼女の姓を使った偽名、チェン・ジーピンを名乗ることになる。
 命からがら香港に辿り付いたジャッキーの両親は、アメリカ領事館に住み込みで働き始めた。すぐにファンは、より高い給料を得るために、コック長から料理を習って自分もコックとして働くこととなる。その頃、二人の間に息子のジャッキーが誕生する。子供の頃からやんちゃで勉強嫌いだったと、当時の隣人たちがジャッキーについて語る。
 1961年、アメリカ領事がオーストラリアへ転属となり、チェン夫妻も同行することを決める。勉強嫌いで喧嘩好きの息子は、自ら北京戯劇学院に入学することを希望し、10年間の寄宿生活を送ることとなる。ジャッキーが、両親を見送った時のこと、学院を卒業し映画界で芽が出なかった俳優時代の苦しみ、一度は夢を断念してオーストラリアへ向かったこと、父と領事館の厨房で働いた思い出を語っていく。
 両親の過去を知ったジャッキーは、香港に移り住んでいた姉二人と会って交流を持つものの、中国に残された兄二人は消息不明であることを知る。
 今や息子は大スター、悠悠自適となったファンは、意を決して行方不明となった息子たちを探すことにする。伝手を辿って息子たちが中国で生きていることを知ったファン。50年の時間がが灘欝灘縫懸欝籔1…欝 50年の時間が流れていたが、二人とも父の姿を忘れていなかった。
 ジャッキーは語る。「自分に兄がいたちう実感がない。それよりも子供時代に苦楽をともにしたサモ・ハン・キンポーやユン・ピョウの方が家族に近い存在だ。
 ファン・ダオロンは、安難に帰り、二人の息子達たち、そして、孫やひ孫たちの姿を見て、一族の家系図を完成させることにした。そこに記された最後の家族、それはジャッキー・チェンの本名である懸房仕龍(ファン・シーロン)とその妻の林鳳嬌(リン・フォンチャオ)、そして一人息子の房祖明(ファン・ツーミン)だった。

スタッフ

監督: メイベル・チャン 
製作総指揮: アレックス・ロウ 
撮影: アーサー・ウォン 
音楽: ヘンリー・ライ 

ナレーション: ティ・ロン 

キャスト

ジャッキー・チェン
ファン・ダオロン

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