原題:Ray

レイの魂に触れるジェイミー・フォックスの偉大な演技は、 “アカデミー賞 主演男優賞”確実である。----- ROLLING STONE

2004年10月29日アメリカ公開

2004年/アメリカ/カラー/152分/Dolby Digital / DTS / SDDS 配給:UIP映画

2007年09月13日よりDVDリリース 2005年06月10日よりDVDリリース 2005年1月29日、日比谷みゆき座、渋谷シネマライズほか全国ロードショー

公開初日 2005/01/29

配給会社名 0081

解説



レイ・チャールズは、誰もがそう呼ぶ〈天才ミュージシャン〉である前に、音を楽しみ、恋に胸躍らせた〈生きることの天才〉だった。
盲目というハンデを克服したように、彼はあらゆる音楽のジャンルという壁を乗り越えた。
そして、様々な音を”ソウル(魂)”を貫くことでひとつのスタイルとしたように、女性に対しても、ビジネスに対してもストレートに自分の生き方を通した。

2004年6月10日、レイは逝った。彼の存在は、音楽シーンだけに多大な影響を与えたのではなく、音楽に”生きる”人々に影響を与えたのだ。そして紛れもなくその”ソウル(魂)”は、本作を通して、今を生きる我々に響いてくるに違いない。

★ レイ・チャールズは〈ソウルの神様〉と呼ばれた。彼はピアノの前にすわり、サングラス姿で身をのけぞらせ、満面の笑みを浮かべて歌った。ジャズ、リズム&ブルース、ロックンロール、ゴスペル、カントリー&ウエスタンといった音楽スタイルを自分の芸術の中に取りこみ、官能性と精神性、激しさと優しさ、緊張と軽みを心に響くひとつのサウンドにまとめ上げ、文字通り世界を揺さぶった。彼の音楽は多くの若いミュージシャンに影響を与え、ロックンロール革命から現在にいたるまで、世界のミュージック・シーンを導く閃光となった。
20世紀の音楽界を代表する巨人レイ・チャールズ。グラミー賞を12回も受賞したこの〈天才〉は、映画『ブルース・ブラザース』に出演し、サザンオールスターズの”いとしのエリー”をカバーして日本のファンにも親しまれた。
しかし、そんな彼の”ソウル(魂)”と、波乱に富んだ人生の物語を知っている人はそう多くはないだろう。これは、レイ・チャールズが孤独と苦悩を克服し、成功を収めるまでの真実を描いた感動のヒューマン・ドラマ。全米で公開されるやマスコミに大絶賛され、一気に賞獲りレースの筆頭に躍り出た。特にレイに扮したジェイミー・フォックスの魂のこもった演技は圧巻。アカデミー賞主演男優賞の最有力候補といわれている。

★ レイ・チャールズの音楽に対する愛と情熱はどのようにして生まれたのか? その成功の影にあったドラマチックな私生活とは? 幼い頃の失明、弟の死、人種差別、薬中毒、女性たちとの関係……。彼は自らの感性と感情にストレートに、イノセントに生きた。つらいことがあった時、いつも彼を支えたのは亡き母の大きな愛だった。彼は人生の中でいくつもの大きな困難に直面しながら、破滅の淵で踏みとどまり、音楽への愛に導かれるようにそれらを乗り越えていった。どんな難局にあっても、ポジティブに、決して諦めることなく、自分の運命を切り開いていった。そして、誰もがそんな彼の才能と魅力的な個性を愛さずにはいられなかった。
『Ray/レイ』の映画化に奔走してメガホンをとったのは、アカデミー賞5部門にノミネートされた『愛と青春の旅立ち』の実力派テイラー・ハックフォード監督。ドキュメンタリー映画『チャック・ベリー/ヘイル・ヘイル・ロックンロール』(監督)や、リッチー・ヴァレンスを主人公にした『ラ・バンバ』(製作)など、音楽に造詣の深いことでも知られるハックフォードは、映画化に際して「天才の複雑さや欠点を隠すことなく、すべてを見せたかった」と語っている。彼は15年間にわたってレイ・チャールズとの親交を深め、本人へのインタビューをもとにこの作品のストーリーを書き上げた。そこには、闇との出会いを明るい光に転じたレイ・チャールズの明確なポートレイトを見てとることができる。レイは、どんな逆境からも立ち直れることを自らの生き方で証明して見せた。レイは、音楽だけでなく、恋や人生をも謳歌した正真正銘の〈天才〉だった。

もちろん、音楽の豊かさは言うまでもない。作品の中では40タイトルもの曲が使われ、それを聞くだけでもレイの偉大さが伝わるのだが、ハックフォード監督はこれらの曲を使ってストーリーを語るという的確にして巧妙な手法をとった。レイの音楽は人生そのものとシンクロしている。だから、映画の中で音楽が流れると、その曲が彼の感情と人生のドラマを自然に生み出してゆくのだ。
『Ray/レイ』は決して単なる自伝映画、音楽映画のジャンルに収まる作品ではない。ハックフォードはレイ・チャールズという人間とその真実を、てらいのない温かな視線でみつめる。ミュージシャンとしてだけではなく、彼の”人間”としての大きさと魅力を再認識させてくれる感動的なドラマなのである。

★ レイ・チャールズ本人の指名によってレイ・チャールズ役に決定したのは、トム・クルーズを食うような『コラテラル』での好演が記憶に新しいジェイミー・フォックス。3歳のときから始めた得意のピアノを披露するだけでなく、その独特の身振りや仕種などレイ本人が甦ったかのようなオーラを発してスクリーンを圧倒する。そして、レイの妻デラ・ビー役のケリー・ワシントン(『白いカラス』『16歳の合衆国』)、レイの愛人マージー・ヘンドリックス役のレジーナ・キング(『ザ・エージェント』『エネミー・オブ・アメリカ』)、ロード・マネージャーを務めたジェフ・ブラウン役のクリフトン・パウエル(『ラッシュアワー』)、アトランティック・レコードの重役ジェリー・ウェクスラーとアーメット・アーティガンに扮したリチャード・シフ(『アイ・アム・サム』)とカーティス・アームストロング(『卒業白書』『ジングル・オール・ザ・ウェイ』)らがジェイミー・フォックスをまさしくサポートし、素晴らしいアンサンブルでレイのカリスマ性を最大限に引き出して見せる。
また、『戦場のピアニスト』でオスカー候補となった撮影監督パヴェル・エデルマン、『ゴスフォード・パーク』でオスカー候補となったプロダクション・デザイナーのスティーブン・オルトマン、『スター・ウォーズ』でオスカーを受賞した編集のポール・ハーシュ、『ムーラン・ルージュ』でゴールデン・グローブ賞を受賞した作曲家クレイグ・アームストロングら一流のスタッフが揃い、レイの生きた時代と音楽シーンを印象深く再現している。

★ 15年前の監督との出会いから始まってこの作品に深く関わってきたレイ・チャールズ。誰よりも”観る”ことを楽しみにしていた彼だったが、2004年6月10日、映画の完成を待たずして他界した。

ストーリー


1948年。17歳のレイ・チャールズ・ロビンソン(ジェイミー・フォックス)は、南部からバスでシアトルへと向っていた。当時、黒人はバスの座席が隔離され、停留所の売店もトイレも白人とは別だった。
レイはジョージア州で生まれた。体の弱い母アレサ(シャロン・ウォレン)は洗濯女をしながらレイと弟のジョージを育てていた。二人は仲のいい兄弟だった。しかしある日、ジョージが大きな洗濯桶に落ちて溺死する。驚きのあまりこれを呆然と見ていたレイにとって、弟の死は生涯のトラウマになった。レイが視力を失ったのはそれから9ヵ月後のことだった。しかし、気丈な母はレイに「誰にも盲目だなんて言わせないで」と言い続けた。
シアトルに着いたレイは間もなく才能を認められ、ステージ、ツアーと大忙し。初めて出したレコードもチャート入りした。しかし、クラブの女マネージャーたちが世慣れぬ自分を利用して荒稼ぎしていることに気づいたレイは町を出ることにする。

1950年。盲目の天才と呼ばれるようになった彼は、L・ファルソン・バンドの一員としてツアーを行った。身の回りの世話をしてくれたツアー・マネージャーのジェフ(クリフトン・パウエル)と、仲間のミュージシャン、ファットヘッドはレイが心を許す親友になった。しかし、彼が麻薬を覚えたのもこの頃だった。時おり、トラウマから”水”の幻覚を見ることもあった。何か辛いことがあると、いつも思い出すのは母の言葉だった。
母はレイを決して甘やかさなかった。「盲目でもバカじゃない。施しは受けるな。自分の足で立て」。涙を隠して厳しく教育した母のおかげで、レイは”耳で見る”ことを学んだ。

1952年。アトランティック・レコードのアーメット・アーティガン(カーティス・アームストロング)がレイのもとを訪れた。良い契約条件を切り出すアーメットを逆に品定めするレイ。これまで盲目ゆえに何度も煮え湯を飲まされてきた彼は、いつの間にか抜け目のないビジネスマンになっていた。しかし、レイの音楽はまだナット・キング・コールとチャールズ・ブラウンの物まねに過ぎなかった。

1953年。レイはゴスペル・シンガーのデラ・ビー(ケリー・ワシントン)と出会った。仲間から「手首を触って美人を見分ける」と言われていたレイはあっという間に恋に落ちた。レイは彼女のために、神聖なゴスペルで恋の歌を歌った。デラ・ビーは不謹慎だと眉をひそめたが、カテゴリーにこだわらないレイの音のパワーは圧倒的だった。54年、”アイ・ガット・ア・ウーマン”によってゴスペルとR&Bを融合させた〈ソウル・ミュージック〉が誕生した。
レイはデラ・ビーと結婚した。ビーは子供を作りたがったが、ツアーに追われるレイは、3つの家庭を持っていた父の記憶のせいもあって良い父親になる自信がなかった。ヘロイン依存も進んでいた。やがて妊娠したビーは、ヘロインをみつけてレイを激しく問い詰める。しかし、彼は「やめない」と平然と言い放った。今の彼の音楽にとってそれが必要なものだったからだ。
やがて息子ジュニアが生まれたが、レイはバック・ボーカルのメアリー・アン・フィッシャー(アーンジャニュー・エリス)と愛人関係にあった。ステージで愛の歌”メアリー・アン”を歌いながら、家では良き父親を演じていた。57年、レイはボーカル・トリオ、レイレッツと契約し、その一員マージー(レジーナ・キング)を新しい愛人にした。マージーはレイが止めるのも聞かずヘロインに手を出し、酒に溺れていった。

59年、一家はロスに移り、二人目の息子も誕生した。レイはABCレコードから移籍の話を持ちかけられ、マスターの保有権と純益の75%という破格の好条件で契約を結んだ。60年には”我が心のジョージア”を発表。評論家が「大衆化した」と評したこの曲は、レイに初のグラミー賞をもたらした。
名声の裏で、ヘロイン浸りの荒んだツアー生活が続いた。やがてマージーが妊娠するが、レイが離婚に応じなかったために去っていった。61年、ジョージア州オーガスタで差別反対デモに出くわしたレイは、黒人を隔離するコンサートの中止を決意する。契約違反で大金を失い、ジョージア州から永久追放を宣告されたが、公民権運動の先駆者となった。

62年、レイはカントリーに転じた。大方の予想に反して公演は大入り。64年にかけてヨーロッパ・ツアーも成功させた。一家はプールつきの豪邸に引っ越した。そんな時、マージーの死の報が入る。クスリが原因だった。妻の前でも涙を隠さないレイ。彼はマージーが生んだ子供に毎月養育費を送っていた。
レイは新しいマネージャー、ジョー(ハリー・レニックス)の薦めにより、さらにビジネスにシビアになっていった。遅刻したファットヘッドに罰金を課し、使い込みをしていたジェフを追放した。忙しすぎて家庭を顧みることもなかった。65年、モントリオールからボストンの空港に降り立ったレイは、麻薬の密輸で逮捕される。レイは自発的に更正クリニックに入った。つらい禁断症状の幻覚の中に、弟ジョージへの思いが”水”となって表れた。「心が盲目だった」という母の言葉を聞いて、レイは改めて母の大きな愛を感じる。
レイは麻薬から立ち直った。この時から40年間も音楽界の頂点に立ち続け、グラミー賞を12回受け、世界で最も敬愛されるミュージシャンとなった。1979年、ジョージア州議会はレイの名誉を回復して帰郷を認め、”我が心のジョージア”を州歌にした。
そして、彼の心の中にはいつも母がいた。

スタッフ

監督:テイラー・ハックフォード
プロデューサー:スチュアート・ベンジャミン
撮影:パヴェル・エデルマン
編集:ポール・ハーシュ
音楽:クレイグ・アームストロング

キャスト

ジェイミー・フォックス
レジーナ・キング
ケリー・ワシントン
アーンジャニュー・エリス
シャロン・ウォレン
クリフトン・パウエル
ハリー・レニックス
リチャード・シフ
カーティス・アームストロング

LINK

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