原題:THE ATOMIC CAFE

1982年アメリカ映画/88分/スタンダードサイズ/ステレオ 配給:竹書房

2004年12月17日よりビデオレンタル開始 2004年12月17日よりDVD発売開始 9月18日(土)よりユーロスペースにてレイトショー公開!

公開初日 2004/09/18

配給会社名 0454

解説


 身を守る手段としてはサングラスひとつ、放射能測定バッジを胸に実験動物よろしく原爆実験場に放り込まれる米国兵たち。彼らに向かって将校が言う「これは単なる実験だ、君たちに危険はない・・・・・・。」あるいは可愛いらしい亀のバート君の登場するアニメーション。いつも用心深いバート君が子供たちに話しかける「さあ、もしピカッと閃光が走ったらどうする?そう、首を引っ込めて、もぐるんだ。」地震訓練さながら一斉に机の下にもぐり込む小学生たち。
 今から見ると噴飯ものの、40年代から50年代にかけてのニュースフィルムやアメリカ政府製作の広報フィルムだけで構成された極めてクールかつブラックなエディトリアル・ドキュメンタリー。その精緻な編集テクニックはその後のアメリカン・カルチャー全体に隠然たる影響を与えた。新しくはマイケル・ムーアが監督ケヴィン・ラファティを師と仰ぎ、この映画からの影響を公言している。
 表面上はシニカルな反核映画に見えるこの作品だが、3人の製作者が本当に意図したのはこうした映像を通して浮き彫りにされるアメリカ政府によるプロパガンダ、大衆操作の恐ろしさである。そのために彼らは、第一次世界大戦からベトナム戦争にいたる優に1万本を超えるプロパガンダ映像を、アメリカ陸・空軍基地の倉庫にまで押しかけて探し出し見まくったという。そしてその中から取捨選択を繰り返す過程で、最終的に原爆に焦点を絞ることに決定したのだった。
 彼らがこの映画の制作を通じて貫き通した原則は以下の2つ。その1、新たに撮影した映像は一切使用せず、既存の映像と音(楽)のみで構成する。その2、一切ナレーションは使用しない。
 ナレーションの助けも借りずに、既存の映像の編集のみを通じて製作者の意図、視点を伝えるという難行のために、この映画の制作には結局なんと5年以上もの歳月が費やされることとなった。しかしこれにより「アトミック・カフェ」が、冷戦や反核ムーブメントなど、その時代ごとのコンテクストを逃れ、今なお鋭い輝きを放っていることもまた紛れもない事実なのである。

ストーリー



今だから分かった、「アトミック・カフェ」を巡る幾つかの因縁

<その1 マイケル・ムーアとの因縁> 
 アーカイヴ映像の細かい編集にかぶさるポップソング——「ボーリング・フォー・コロンバイン」「ロジャー&ミー」などムーアの作品を見れば「アトミック・カフェ」からの影響は一目瞭然である。いや、影響などというレベルではなく、実は彼に映画の作り方を教えたのが、「アトミック・カフェ」生みの親の一人ケヴェン・ラファティなのである。「アホでマヌケなアメリカ白人」(マイケル・ムーア著・柏書房刊)で本人がこう言っている。「〜その頃のケヴィンは「アトミック・カフェ」というすごい映画を撮っていました。私はふざけて訊ねましたよ、『ミシガン州のフリントまできて、俺に映画の撮り方を教えてくれないかい?』。驚いたことに彼は、ああいいよ、と言ってくれました。(後略)」こうして後に出来上がったのが彼の処女作「ロジャー&ミー」(1989)であり、実際にこの作品ではケヴィンが撮影を務めてもいる。

<その2 ブッシュ大統領との因縁>
 そのケヴィン・ラファティと「アトミック・カフェ」のもう一人の監督ピアース・ラファティであるが、実は2人はブッシュ現アメリカ大統領のいとこなのである。やはり上記「バカでマヌケなアメリカ白人」の文中、ムーアが昔、ブッシュ(父)の大統領就任を見に行った折、ブッシュ現大統領と一緒に、自分の師であるラファティが並んでいたのを発見して肝を潰した、というくだりがある。
 ケヴィンはその後、クリントンとブッシュ(父)との一騎打ちになった92年大統領選で、おじさんを尻目になんとクリントン陣営の勝利に至るまでを追ったドキュメンタリー「クリントンを大統領にした男」(1993)に参加している。

スタッフ

監督・製作・編集:ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ

キャスト

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