原題:Festival Express

配給:ポニーキャニオン、ファントム・フィルム

2005年07月29日よりDVDリリース 2005年07月29日よりビデオリリース 2005年2月12日、シネセゾン渋谷にてレイトショー公開

公開初日 2005/02/12

配給会社名 0068/0442

解説

1970年、列車は当時最高のロック・アーティストたちを乗せてカナダを横断した。ジャニス・ジョブリンを筆頭にグレイトフル・デッド、ザ・バンド、バディ・ガイ、フライング・ブリトー・ブラザーズなど、70年代を代表する豪華な顔ぶれだ。列車でツアーするこのコンサートは”フェスティバル・エクスプレス”と名付けられ、今なおロック史の中で伝説となっている。にもかかわらず。その存在は今まであまり知られていなかった。ミュージシャンたちは特別にカスタムメイドされた列車に乗せられ、共に寝起きし、リハーサルを行ったりしながら、卜ロントからカルガリー、そして最終目的地のウィニペグまで運ばれて行く先々で大規模なコンサートを開いた。そしてその5日間に及ぶツアーの一部始終は、公開を目的にフィルムに収められていたのだ。ミュージシャンたちの初出となるライヴ・パフォーマンスはもちろんのこと、列車内での様々なセッション風景など、他では決して見られない映像が撮影されていた。だが、その貴重な記録はツアープロモーターと当時の映画プロデューサーが衝突して映画化が不可能となり、フィルムもプロモーターやカメラマンが持ち去ったりして、カナダ国内外に散らばってしまった。その後.伝説のフィルムとしてその存在がささやかれていたが、95年にカナダ国立図書館(カナディアン・ナショナル・アーカイブス)で保管されていた全長75時間のうち、46時間分のフィルムが奇跡的に無傷で見つかったのである。しかし、興行権問題の処理、インタビューの撮影など、ロックの歴史的事件を映画化するためには、それからさらに10年もの歳月を要した。フィルムはその映像価値を証明するために、現代の技法を敢えて排除し、時代性を感じる当時のスタイルで編集された。

監督は、イギリスのTVシリーズ「ザ・ビートルズアンソロジー」とミュージック・ドキュメンタリー「ジミ・ヘンドリックス/バンド・オブ・ジブシーズ」でグラミー賞を2度受賞しているボブ・スミートン。プロデューサーはギャビン・プールマン(1970年当時一`フェスティバル・エクスプレス”のプロデューサーを務めていたウィレム・プールマンの息子)とジョン・トラップマン、撮影は後に『ミシシッビー・バーニング』でアカデミー賞を受賞した若き日のピーター・ビジウ、音楽はジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、サンタナなどのプロデューサーやレコーディング・エンジニアを務めた人物として有名なエディ・クレイマーが担当した。

ストーリー

“カナダ版ウッドストック”とも呼ばれる”フェスティバル・エクスプレス”だが、そのたった5日間は1969年〜70年にかけて行われた数々のロック・フェスティバルとは明らかに一線を画している。それはミュージシャンやスタッフや機材がすべて一緒の列車で移動し、本当の旅をしたことである。このツアーは当時のカウンター・カルチャーの風潮によって、入場料無料を訴える若者達の暴動が起こり、興行的には失敗に終わるが、ミュージシャンたちのツアーへの情熱が失われることはなかった。カナダを横断する列車の中では、豪華なジャム・セッションが途切れることなく続いた。ジャニス・ジョプリン、ジェリー・ガルシアなど、今となっては見ることの出来ないアーティスト達の素顔も垣間見ることができる。ローリング・ストーン誌が”100万ドルのバ力騒ぎ”と呼んだこのツアーは、そこで自由に歌い、酒を飲み、セッションするミュージシャンたちの生き生ぎとした姿が赤裸々に描かれている。すばらしい映像と音楽を体感することができる、最初で最後の”ロックの旅”へ出発しよう。

スタッフ

監督:ボブ・スミートン
プロデューサー:ギャビン・ブルーマン/ジョン・トラップマン
音楽:エディ・クレイマー

キャスト

ジャニス・ジョプリン
グレイトフル・デッド
ジェリー・ガルシア
ボブ・ウィアー
フィル・レッシュ
ミッキー・ハート
ザ・バンド
マシュマカーン
バディ・ガイ・ブルース・バンド
フライング・ブリトー・ブラザーズ
ジャ・ナ・ナ
イアン&シルヴィア&グレイト・スペックルド・バード
ケン・ウォーカー
エリック・アンダースン
ケニー・グラドニー

LINK

□IMDb
□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す