原題:芬●的微笑

第4回彩の国さいたま中国映画祭上映作品 03年ベルリン国際映画祭正式出品 02年モントリオール国際映画祭正式出品

2002年/中国/カラー/105分 配給:ワコー

2004年11月25日よりDVD発売開始 2004年11月05日よりビデオレンタル開始 2004年11月05日よりDVD発売開始 2004年5月29日より新宿K'cinemaにてロードショー 2004年1月10日(土)・11日(日)・12日(月・祝日)、17日(土)<4日間> 〜映画で祝う 中国の旧正月〜 ●会場SKIPシティ・彩の国ビジュアルプラザ(川口市)

公開初日 2004/05/29

配給会社名 0321

解説


1934年12月オーストリアから恋人を追って中国男性に嫁いだワグナー夫人が、激動の時代を迎えた中国で過ごした日々を実話に基いて、中国近代史とともに描いた大河ドラマ。
夫人が海を渡った2年前32年3月、日本は清朝最後の皇帝溥儀を担ぎ出し「満州国」を建国している。37年には盧溝橋事件が起こり日中戦争に突入。終戦。中華人民共和国建国。文化大革命。歴史の荒波は容赦なく夫人を襲った。夫人はこの間、チャンスはあったが56年間一度も帰国せず、中国にとどまった。

この中国の激流の只中で生きた外国婦人をドキュメントしたテレビ番組を、98年女性プロデューサー兼脚本家ワン・チーピンが見たのが映画『愛にかける橋』が誕生するきっかけだった。ワン・チーピンは取材を重ね3年がかりで脚本を書き上げ、監督を第5世代の代表的女性監督フー・メイに託した。フー・メイ監督は84年映画『女児楼』で監督デビュー、86年の『戦争を遠く離れて』で海外でも知られるようになった。映画の他に多くのテレビ・ドラマを演出。99年歴史ドラマ「雍正王朝」で歴史的視聴率を記録、テレビのあらゆる賞を独占して人気を不動のものにしていた。また、元駐中オーストリア大使夫人で、中国映画の上映を通じて中国・オーストリア交流の架け橋となっていたウスラ夫人がウィーンロケをコーディネートした。中国、オーストリア4人の女性の力が本作を完成に導いた。
主演した二一ナ・プロルは『NORDRAND』で99年ベネチア国際映画祭新人賞を受賞した実力派の新星。『北京ヴァイオリン』のヴァイオリン教師役が印象的な、中国では実力派の二枚目として人気が高いワン・チーウェンがファニーの夫を演じている。撮影のリュイ・ユエは、『狩り場の掟』(監督:ティエン・チョアンチョアン)『上海ルージュ』(監督:チャン・イーモウ)等を担当した第5世代のカメラマン、自らも『趙先生』で監督デビュー、98年ロカルノ国際映画祭グランプリを獲得した。なお、国際マーケットを視野に入れてオーストリア・シーンは全て英語で撮影されている。

ストーリー

1931年7月ウィーンの警察学校に留学した中国人青年マー・ロンユンは教官の娘17歳のファニーと恋に落ちる。結婚を父に反対されたファニーは、帰国するマーの車にこっそり乗り込むが父である教官に見つかり連れ戻される。1年後、18歳になったファニーの元にマーから中国行きの切符が届く。ファニーは単身マーの待つ中国江南地方へ旅立ち、結婚式をあげてマーの母と暮らし始める。
封建制の残る中国社会の妻としての厳しさを実感するファニー。それでも二人は子供たちに恵まれ、ファニーも次第に中国の風俗や生活習慣に慣れてゆく。しかし1日中戦争、中華人民共和国建国、文化大革命と中国の体制は大きく変わり、歴史の波がファニーとマーを翻弄する。ファニーは、逆境に立たされたマーを必死に支えながら子供たちを育てる。やがて、名誉回復した夫との静かな日々がやってくる。二人の愛は終生変わることなく続き、夫の死後もファニーは祖国へもどることなく、第二の故郷中国に骨を埋める意志を固めていた。

スタッフ

監督:フー・メイ
脚本:ワン・チーピン

キャスト

ニーナ・プロル
ワン・チーウェン
ズーズィ・ニコレッテ

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