原題:Dream Cuisine

“私の料理は絶対砂糖を使わない。” この「ラブストーリー」は決して甘いものではない。

2003年ベルリン国際映画祭正式出品作品

2003年/日本/カラー/35mm/134分/ 配給:イメージフォーラム、メディア・スーツ

2004年12月20日よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー

公開初日 2003/12/20

配給会社名 0066

解説



この映画は“変化”と“不変”についての「ラブストーリー」である。

その「愛」は、「妻と夫」、「料理と人生」についての感情である。
そして、日本と中国、また伝統文化と現代文明についての感情でもある。
我々は、現在、変化に対応できなければ、生きてゆけない時代に立っている。
この映画の主人公は、「変化」を好まない人物だ。
「きれいな花の盛りは短く、青春は夢のように過ぎ去る。」
このテーマソングの意味がわかったとしても・・・。

撮影スタッフはいつも主人公夫妻を「お母さん」「お父さん」と呼んでいた。
今、この映画はやっと生まれたのだ。
「お母さん」「お父さん」ありがとう!

人生に必要なのは不変の味なのだ。

◆歴史の荒波の中で失われてしまった中国食文化の秘伝を、
日本で守り伝える料理人の悩み

佐藤孟江さんは、中国山東省より「正宗魯菜伝人」の認定を受け取った
唯一の日本人女性。中国料理の源流といわれる魯菜=山東料理。
「砂糖・ラード・化学調味料を一切使わない」という秘伝を
60年前の日中戦争中に中国山東省で習得した。
戦後の1948年に日本に持ち帰ったその秘伝を今も保ち続けている。

1966年1976年の中国文化大革命。
伝統的な文化や思想を捨て、かつてない新しい社会を打ちたてようと
「破旧立新」のスローガンが叫ばれる時代の中では、
美食文化もブルジョアの思想として糾弾され、
伝統料理を受け継ぐ名門店もほとんどが破壊された。

孟江さんは夫の浩六さんとともに、中国では文化大革命中の1969年に
伝統的な山東料理の専門店「済南賓館」を東京に開店。
1990年、中国政府に「正宗魯菜伝人」として認定されて以来、
毎年山東済南に招待され、若い料理人たちに指導を行っている。

2002年、78歳の孟江さんと72歳の浩六さんは体力の限界を感じ、
店をどう存続されるかの問題に悩んでいる。
孟江さんは、人生の最後には生まれ故郷の山東省済南に戻って、
本当の山東料理の伝統を再び中国に根付かせようと、
長年考えてきた。しかし、東京生まれの夫は反対。
残りの人生で、もう一度夢を追いかけることができるのだろうか?

◆中国への旅と中国食文化の「ニューウエーブ」

中国は今、急激な経済成長期に入っている。
山東省「東方美食学院」院長劉広偉さんは中国で
食文化の「ニューウエーブ」を提唱している。
「料理は時代とともに変化する文化で、骨董品ではなく、
古い味ほど価値があるわけではない。
経済の発展とともに料理はどんどん変化しなければならない。」

孟江さん夫妻はこの学院の客員教授でもあり、毎年通っている。
2002年の旅は、劉院長との対立の旅でもあった。
「料理は命の糧だ。これ以上大事なものはない。
時代がいくら変わろうとも、適当にお客に合わせて
儲かればいいという考えは、僕は絶対許せない。
これは中国だけでなく、日本や世界にも言えることだ。」

そして、孟江さんが数十年間探し続けていた
青春時代最良の友の消息がやっとわかったが、
すでに30数年前の文化大革命で迫害され亡くなっていた。
その中国人の友との友情が、孟江さんの料理人生の原点だった。
孟江さんがいつも彼女と一緒に歌っていた歌がある。

◆「いつの日に君また帰る」

きれいな花の盛りは短く
青春は夢のように過ぎ去る
苦しくても笑顔を見せて
心を涙で染める
今夜別れた後
あなたはいつ帰ってくるのでしょう
さあ 杯を飲み干して
さあ 料理を食べて
人生で何度心から酔えるのでしょう
さあ楽しみましょう

この歌は孟江さんが少女時代から覚えている唯一の中国語の歌である。
中国を離れた後もずっと歌い続けている。
「いつかまた中国に帰れる」と思って。

中国の旅で山東省済南に帰ろうという決意を再確認した孟江さん。
妻であり人生のパートナーである孟江さんの気持ちに感化され、
中国で挫折しても行動を共にしようと考えを変化させた浩六さん。
だが、日本に戻った二人を待っていたのは、
日々の現実と意外な出来事だった・・・。

孟江さんと浩六さん、合わせて150歳になる二人の人生は、
新たなスタートを踏み出せるのだろうか?

◆日本と中国の絆。そして世界へ

佐藤孟江さんは日本と中国の絆となっている人物だ。
彼女の父親は1912年に中国へ移住。
貿易会社を経営し、中国に骨を埋めた。
孟江さんは生まれてから23歳まで中国で暮らしていた。
78歳になった現在も、中国で過ごした青春時代の夢は忘れられない。
政治的な「日中友好」などは、彼女とは無縁だ。
彼女の心にあるのは、山東料理の味が好きで好きでしょうがない
という思いだけなのだ。料理への純粋な愛情は、
時代を超え、国境を越え、そして家庭生活も超えて、
人生の糧となっている。

中国人映画監督の李纓は26歳から14年間、日本に暮らしている。
彼の第一作映画『2H』は東京に暮らす中国人のある老人を通して、
普遍的な人間の生と死を描いた。
今回、孟江さんとの出会いで「味」が生まれた。

この作品は、新たな日中の絆となるとともに、
その中に描かれた人生の「味」は、その絆を静かに越えていくだろう。

◆ハイビジョン特別企画
この映画はNHKハイビジョン作品として撮影された。

ストーリー


二人の年齢を合わせると150歳という佐藤さん夫妻は、
東京で隠れ家のような中国料理店「済南賓館」を
自分たちだけで切盛りしている。

妻の孟江さんは、戦前の1925年に生まれてから
戦後の1948年に引き上げるまでずっと中国山東省の済南で暮らしていた。
彼女が青春時代にそこで習い覚えた伝統的な山東料理は、
なんと本場では中国文化大革命によって廃れてしまっていた。
中国政府に「正宗魯菜(山東料理)伝人」と認定された佐藤さん夫妻は、
中国に招待され毎年料理人達に指導を行う事になった。
二人の料理人生に、新たなドラマが始まった。

2002年、孟江さんは本物の山東料理復活に人生の最後を賭け
中国済南に移住しようとするが、夫が反対する。
また、中国では料理界も、次々と新しいものを追い求める
高度経済成長の時代に入り、伝統は返り見られない。
夫妻も年を重ね身体が思うように動かない事も。
彼女の直面する現実は全て厳しい。

しかし、孟江さんの心には、中国語で唯一覚えている
ラブソングが流れている。「いつの日に君また帰る」と・・・。

スタッフ

制作統括:磯部 信夫、岡崎 泰
プロデューサー:張 怡、立石 篤
監督:李 纓
撮影:堀田 泰寛
編集:李 纓、宮近 重徳
録音:内海 浩義
照明:伴野 功、張 啓凱
VE:佐藤 喜彦
技術:水上 智仁
音声:濱田 豊
音響効果:丸山 孝之
助監督:中村 高寛
デスク:山口 千咲
HDレーザーシネマ:高野光啓
カラータイマー:平林弘明
光学録音:内田昇一、福田 誠
テーマソング「いつの日に君また帰る」
歌:周旋 作詞:黄嘉謨/作曲:劉雪庵
タイトル文字製作:東京美術
タイトル:津田輝王
技術協力:イマジカ、TSP、+M
共同制作:NHKエンタープライズ21、龍 影
制作・著作:NHK

キャスト

佐藤孟江
佐藤浩六
劉広偉

LINK

□公式サイト
□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す