原題:Daughter from Yan'an

お父さん 私はなぜ生まれたのですか?

アジアフォーカス・福岡映画祭2003正式出品作品 第37回カルロビバリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞 第7回釜山国際映画祭正式出品作品

2001年/日本/中国語/カラー/35mm/120分 配給:蓮ユニバース、パンドラ

2008年07月25日よりDVDリリース 中国映画の全貌 2007にて上映::http://www.ks-cinema.com/schedule.html 2003年11月11日から12月11日まで東京写真美術館にてロードショー

(c)2002 NHK

公開初日 2003/11/11

公開終了日 2003/12/11

配給会社名 0409/0063

解説



2003年4月18日、新型肺炎SARSの流行で観光客の途絶えた香港。閑散とした表通りとは違い、シティーホール劇場は感染の危険を冒してまで集まった人々で溢れていた。そして人々は1本の映画に割れるような拍手を心からの賛辞とともに贈り、マスクの間からのぞく真っ赤に泣きはらした目と目で感動を共有したのである。「延安の娘」が香港映画祭で上映された時のことだ。「延安の娘」はこのようにして世界各地の観客を魅了していった。
「ワイルド・スワン」「大地の子」そして「延安の娘」。黄土高原が果てしなくつづく「中国革命の聖地」延安。貧しい農村の娘・海霞(ハイシア)は生まれてすぐに自分を棄てた実の親を捜していた。彼女の両親は文化大革命の時代、毛沢東の指令によって北京から下放された紅衛兵だった。「私は、なぜ生まれ、棄てられたのか?」。彼女の激しい思いが引き金となり、かつての紅衛兵たちの間に忌まわしい記憶がよみがえる。その一人、海霞の親探しに奔走する黄玉嶺(ホアン・ユーリン)には、拭い去ることのできない痛ましい過去があった。実は彼にも海霞と同じような境遇の子ができていたのだ。しかし、恋愛さえ御法度という時代の中、彼にはく反革命罪>が宣告され、
相手の女性は中絶させられた。30年の封印を解き、いま海霞と黄玉嶺は真実を明らかにする旅にでる。
 いつの時代ももっとも弱い者が権力の犠牲者となる。毛沢東が全国の中高生を煽動して自身の権力奪還闘争のために繰り広げた文化大革命。30年の時を経て、いま50歳の働き盛りを迎えたかっての紅衛兵たちの中には、政治・経済の両面で大きく変貌を遂げた中国社会から見捨てられようとしている者も多い。「命を賭けたあの革命とはなんだったのか?このままでは自分たちの存在が歴史の闇に葬り去られてしまう」。海霞の親探しは彼らにとっても、自らの存在と人間の尊厳を問う旅でもあった。
「延安の娘」は当初、NHKのハイビジョンチャンネルのために制作された。2年にわたる取材の結果、記録したハイビジョンテープは170時間に及んだ。撮影は黄土高原の壮大な風景と主人公たちの溢れる心情を見事に対比させ、力強い映像を生み出した福居正治。編集は、歴史のうねりに翻弄された人間の複雑な心理を、喜怒哀楽を絡ませ詩情豊かに切り取った2003年度の芸術選奨受賞者・吉岡雅春。音楽は、「あの子を探して」「初恋の来た道」でチャン・イーモウ監督とコこタビを組み・情感溢れる美しい旋律でいまや中国を代表す与三
宝(San-Bao)。そして監督の池谷薫は、89年の天安門事件以降ひたすら中国を撮りつづけ、異様なまでの執念でタブーとされた文革に挑み「延安の娘」を完成させた。壮大なスケールで描かれたこのドキュメンタリーは、ベルリン、モントリオール、シカゴ、プラハ、釜山、香港、シンガポールなど世界各地の映画祭で上映されどの会場も国境を越えた感動の渦に包まれた。

ストーリー



中国大陸の奥深く、黄土高原が果てしなくつづく挾西省延安。ここは、かって毛沢東(1)率いる共産党軍(紅軍)が、”長征(2)”の果てに辿り着いた「中国革命の聖地」と呼ばれて
いる。この延安の貧しい農村に海霞(ハイシア)という娘がいる。彼女の本当の両親は文化大革命(3)の時代、毛沢東の指令によってこの地に下放(4)された紅衛兵(5)だった。そして彼女は生まれてすぐに自分を棄てた実の親を捜していた。
1966年、文化大革命を発動した毛沢東は共産党内部の壮絶な権力闘争を勝ち抜くために、おもに10代半ばの中高生によって組織された紅衛兵に造反運動(6)を奨励した。紅衛兵は反革命的とみなした者に容赦のない暴力を振るい、徹底的な破壊活動で都市の機能を麻疸させた。
2年後の1968年、毛沢東は今度は一転して全国の都市に暮らす若者たちに下放を命じた。「学生たちは農村に行き、貧しい農民たちから再教育を受ける必要がある」。10年間に延べ1600万人以上が農村に送られた。下放先では重い労働のノルマが課せられ、集団生活は厳しく管理された。戸籍も親とは別に農村に移され、勝手に都市に帰ることは許されない、まさに片道切符の半ば強制的な移住政策だったのだ。蜘莚姿だも都会育ちの若書箔も嘉多数送り込まれた。延安は水も電気もない辺都なところだ。若い男女は、ひもじさに耐えながら助け合って暮らした。だが、文革の嵐が吹き荒れるなか、下放青年同士の恋愛や妊娠は封建主義、資本主義の悪しき産物として厳しく取り締まられ、もし見つかれば反革命罪が宣告され、労働改造所に送り込まれた。
こうした状況の中で海霞の両親は他ならぬ仲となり、彼女は「罪の子」として生まれたのだった。海霞の両親は北京の下町・長辛店の中学校の同級生だった。下放から4年後、処罰を恐れ密かに海霞を出産した二人は娘を子供のいない農家に預けると文革が終わる1年前に北京へ帰っていった。養父母の手で育てられた海霞には過酷な運命が待っていた。炊事洗濯のかたわら畑仕事にも行かされ、小学校には3年しか通わせてもらえなかった。養母は自分の子を産むと海霞の面倒をみなくなってしまったのだ。海霞が実の親が北京から来た下放青年であることを初めて知ったのは18歳の時だった。「一目、実の親に逢いたい。気にかけてくれる人が欲しいから」。22歳で結婚し、翌年、農村では待望の男の子を出産した海霞は北京に住む本当の両親の手がかりを求めて延安に残留したかつての下放青年たちを訪ね歩き始めた。その一人、海霞の親探しに奔走する黄玉嶺(ホアン・ユーリン)には拭い去ることのできない痛ましい過去があった。実は彼にも、海霞と同じ境遇の子ができていたのだ。し
かし、下放青年を管理するため北京から派遣された共産党幹部に妊娠が発覚すると彼には反革命罪が宣告され、お腹の子は中絶させられた。労働改造所に送られた彼は看守の一言に自尊心をズタズタにされる。「お前は人間じゃない。畜生だ」。
北京では海霞の実父・王露成(ワン・ルーチョン)が娘が自分に会いたがっていることを知らされ激しく動揺していた。下放から帰った彼は海霞の母親とはすぐに別れ、いまは5年前に結婚した妻と二人で暮らしていた。ボイラー工場の夜警をしているが、収入は北京市民の平均の3分の1に満たなかった。「たとえ娘に会っても何もしてやれない」。しかし、下放仲間の度重なる説得により、次第に娘に会う決心を固めていく。
 一方、延安では海霞が北京に行くことに養父母が断固、反対していた。北京の親が会いに来るのが筋だというのだ。父親の代わりに養父母を説得しようと何度も足を運ぶ黄玉嶺。容赦なく罵声を浴びせる養父母に黄玉嶺は「私たち下放青年を許してください」と思わず口にする。下放は都会の若者たちを受け入れた農民にも大きな悲劇をもたらした。黄玉嶺が下放した村に暮らす王偉(ワン・ウェイ)はかつて下放してきた女性と恋愛関係に陥り、その「罪」で労働改造所に10年間収容されていた。黄玉嶺と王偉は、当時、北京から来た同じ共産党幹部に罰せられ、同じ労働改造所に入れられていたのだ。30年ぶりに再会した黄玉嶺に王偉は自分の罪が冤罪だと強く訴える。いまだに名誉回復を果たせない王偉を知り、黄玉嶺は北京に行って当時の幹部に会い、真相を確かめることを決意する。「文化大革命の落とし子」ともいえる海寓その親探しがきっかけとなって、かつての下放青年だちの間に次々と広がる波紋。30年の封印を解ぎ、海霞と黄玉嶺は真実を明らかにする旅にでる。

スタッフ

監督:池谷薫
撮影:福居正治
編集:吉岡雅春
音楽:三宝(San-Bao)
取材:大谷龍司、李岳林、張景生
録音:鈴木正実
エグゼクティブプロデューサー:北川恵、中西利夫
プロデューサー:権洋子

キャスト

海霞
黄玉嶺

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