原題:Life Show/生活秀

闘わなければ、こぼれていくから。

2002年/中国/カラー/35mm/アメリカンビスタ/ドルビーSR/106分 製作:中国電影集団公司 第二制作公司 提供:電通テック、テレビ朝日、小学館 配給:日本ヘラルド映画

2004年09月25日よりDVD発売開始 2004年09月15日よりビデオレンタル開始 2004年09月15日よりDVDレンタル開始 2004年2月7日より日比谷シャンテシネにてロードショー

公開初日 2004/02/07

配給会社名 0058

解説



大地を踏みしめて歩く男がいる。そのことがこの世でいちばん貴いかのように思える歩き方で彼は歩く。彼が歩くことによって人はそれぞれに小さな幸福を配達してもらえる。男は郵便配達だったーー。興行的にも大成功を収めた「山の郵便配達」。どんな時代でも大地に足をつけて歩けば何かが見えてくる、それを忘れてはならないそんなメッセージを作品に託した監督の窪建起と脚本の思蕪のカップルは予定通りというか、当然というか、今度は都会に生きる人間像に焦点を絞る。
 古都、重慶の旧市街、そこに名物の”鴨の首”を売りものにする一軒の屋台店があった。経営者のションヤンは美人で人気者だ。しかし彼女は彼女なりのさまざまな悩みを抱えている一。山村の郵便配達員から、大都会の屋台の美人経営者へ。彼女もまた路地にしっかりと足をつけて生きるということにおいて、前者となんら変わることはない。雀建起監督の中では山村から大都会へと、その人間像とテーマはみごとに受け継がれたのである。吉慶街は古い路地にたくさんの屋台が軒をつらねる庶民の歓楽街である。当然のことながら競争は激しい。その中の一軒、美人のションヤンが切り盛りする”ジュージューの酒家”は人気があった。売りものの鴨の首の美味もさることながら、なんといっても若くて気風のいいションヤンの魅力に男たちが集まってくるのである。映画はこのションヤンの酒家を舞台に展開していく。自由主義経済の光と影は、今や全中国に及んでいる。この居心地のいい吉慶街もそれから逃れることはできな」開発の対象にされ、怪しげな”地上げ屋”が暗躍する。中国の大都市には似たり寄ったりでこうした風景が日常にあるのだろう。霧建起はそこにカメラをしっかりと据える。いま現在の中国とそこに生きる人たちを描くのである。ヒロインのションヤンは一度の離婚歴がある。子供はいない。孤軍奮闘する彼女のまわりに何人かの係累が配置される。株取引に舞い上がってしまった妻と気弱な夫の…うまくいっていない兄夫婦。そのため彼らの一人息子を引き取って面倒を見ている。大学は出たが麻薬に溺れてしまった実の弟。文革のドサクサで持家を人にとられた父親、そしてションヤンにとっては義母となるその妻。その家を取り戻すべく持ちかける住宅管理所の役人の息子は失恋した挙句に精神を病んでしまっている。ションヤンに惚れ、毎日通ってくる開発業者の男も屋台のテーブル越しにランタンの下からションヤンを覗くだけだ。ションヤンのまわりを囲む男たちはすべてこのように、どこか問題を抱え、自信なげで弱々しい。今の中国を眺める石建起の視点がここにある。したがって、路地にしっかりと立ってテキパキと仕事を続けるションヤンの勤さがひと際カッコよく見える。ションヤンは闘っている。係累たちがすべて何かの形でションヤンに頼っている以上、彼女もまたいつも清く正しく振る舞えるわけではない。自分たちの持家を取り戻すために、彼女は相当に強引な手も使ったりする。
映画はこうした、どこにもある、誰もが経験するような日常的なエピソードの集積で描かれていく。ヒロインのションヤンはその言動の全てを肯定してもいい存在として、スクリーンに登場し、むせるような女の体臭を画面いっぱいに振り撒いていく。観客は文字通り彼女の「生きざまショウ」(原題)を見続けることになる。なんといってもションヤンを演ずる女優の陶紅がすばらしい。美人で勝気。しかし、時折弱さも見せ、思わず男にすがりたくなるような女心など縦横に演じて、”うまいっ”と声を掛けたくなる。日本映画の全盛時代、各社の看板女優たちは名監督と組んで、強烈な女性像をスクリーンに刻んできた。
映画は女優によって確固たる歴史を持つことができた。中国映画も生身の女性が登場して新時代を拓くのだろうか。陶紅は本来が舞台女優で、テレビドラマでも活躍中。2002年の上海映画祭で主演女優賞、金鶏賞で最優秀主演女優賞を獲得している。ションヤンに惚れて通い続ける男に陶沢如。キャリアの長い俳優で「歓楽英雄」、「陰陽界」などに出演。撮影は重慶で行なわれているが、雨上がりの路地の感触や旧市街の家並、霧の河の風景など余韻あふれる映像である。まるで、蜷川幸雄芝居のときの朝倉摂さんの精繊な舞台美術のようである(「近松心中物語」や「にごり江」のときの)。雀建起の美的センスが十分に発揮されるところだ。ここ数年の中1玉1映画は生きていくうえでの”原則”を美しい風景の中に描く、といった作品が主流だが、この「ションヤンの酒家」のように目の前のそのままの現実を描き、生き生きしたあるいは生々しい人間を描く作品に、中国映画の転機があるように思われる。監督とその脚本家の妻は「山の郵便配達」の次に、「都会に生きる女」を描いた。

ストーリー




深い霧を切り抜けた先には辺り一面にきらめく灯りと楽しげに酒を酌み交わす人々の喧騒。古い街並みをそのままに、軒をつらねる屋台の居々で毎夜毎夜繰り広げられる”生活劇場”。そして、空を見上げれば賊虐し始めて久しい高層ビル群が立ち並ぶ。ここは、急激な都市開発が進行中の古都・重慶。ションヤンは一軒の屋台を営んでいる。”ジュウジュウ”という名の小さな店だが、名物`鴨の首”が人気だ。毎日のように通ってくる男もいる。”鴨の首”もさることながらお目当てはションヤンだ。ションヤンは自分の家族にほとほと手を焼いていた。兄は気弱な男で妻に頭が上がらない。株にはまっている妻は十歳になる息子を毎日のようにションヤンの家に預け、外を跳び歩いている。「面倒な事は何でも押しつけるんだから」兄夫婦には腹が立つが、甥のトアルは可愛い。とはいっても、ときにはトアルに八つ当たりしてしまうこともある。
 子供の頃、母親が亡くなった。それから父は京劇の女優に入れあげて、家を出て行った。弟はションヤンが母親代わりとなって育てた。そんな苦労を注いだ弟ジュウジュウは薬物中毒になり更生施設に入っている。「俺は生きる屍だ」
施設を出た後、弟はどうするのか。一番の悩みだ。店を手伝うアメイは、田舎出の純真な女の子。ジュウジュウに思いを寄せている。しかし、施設に収容されていることは知らない。ションヤンはアメイをジュウジュウに会わせる。それはアメイにジュウジュウを諦めさせるためだ。この旧市街にも、開発の話が広がり始めている。屋台街を取り壊し再開発しようというのだ。それが現実のものとなったとき、店はとうするのか、弟はとうするのか、そして自身はーー。大きい負荷が、長女のションヤンにのしかかる。家を出て行ってから一度も会っていなかった父親を訪ねる。恨みがましい素振りなど見せない。あくまでも家の権利を自分のものにするため。仕上げは住宅管理所の所長に取り入る算段。本当は父親の名義である家の権利だが、文革のどさくさにまぎれて借家人が自分の名義に井き換えている問題を処理してもらわなければならない。所長には精神を患う息子がいる。ションヤンはその息子とアメイの結婚話を持ちかける。アメイにとっても田舎から戸籍を移動するチャンスだ。中国では簡単に戸籍は移せないのだから。
結果、ションヤンは首尾よく名義変更できた。思い出の家を取り戻したのである。一年以上店に通いつめていた中年男、卓は風采はあがらないが、都市開発の波に乗り、羽振りがよかった。おずおずと彼女に好意を見せる男にションヤンもいつか魅かれていた。しかし一線を越えることはない。兄嫁と派手なケンカのあと誘う男にションヤンは答える。
「今度遠出しない?」
週末、郊外の保養地、スマートなホテルで一夜を過ごした二人。ひとしきりの愛の交歓のあと、結婚を願うションヤンに男は言う。「このままでいいだろ?」
愛人の関係が一番いいというのだ。「私は女よ、自分に優しくてくれる男と結婚したいわ」
土砂降りの街道で、ションヤンは男の車を降り、別れを告げた。いつものように活気にあふれ、煤びやかな街。そして、いつものように店の前に停んでいるションヤン。そして男が現れる。若い絵描き。
「絵を描いていいですか」
男に見られながら、ションヤンは苦笑いを浮かべる。いつもこうなんだから、私って。この貧乏絵描きさんとまた恋をするのかしら。まぁ、それも悪くないわ。この道は花もあれば嵐もあるんだ。それが女の生きる道。
苦笑いは静かな微笑みに変わっていた。明日はどうなるとも知れない。しかし、確かにこの街でひとりの女が懸命に生きている。

スタッフ

監督:霍建起
原作:池莉
脚本:思蕪
プロデューサー:黄誠堅

キャスト

陶紅
陶澤如
潘粤明
張世宏
呉瑞雪
李嘯塵
楊易
羅徳遠

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