原題:Leni Rififenstahl-Ihr Traum von Afrika

伝説の女性レニが、100歳を超えて到達した美の世界。……それは豊かなる生命の海。

2002年/ドイツ/カラー/45分 配給:東京テアトル、エスピーオー

2003年12月21日よりビデオレンタル開始 2003年12月21日よりDVD発売&レンタル開始 2003年8月23日よりシネセゾン渋谷にてモーニングショー 同時公開『アフリカへの想い』

公開初日 2003/08/23

配給会社名 0049/0116

解説


『ワンダー・アンダー・ウォーター原色の海』
20世紀を生きた、最も創造的でセンセーショナルなアーティスト—レニ・リーフェンシュタールは昨年、100歳の誕生日を迎えた。ミック・ジャガーや石岡瑛子など親しい友人が訪れたパーティーで、彼女は、完成させたばかりのフィルムを披露した。『意志の勝利』(ユ35)、『民族の祭典』(ユ38)の伝説的女性監督レニが、54年公開の「低地」以来、実に48年振りに発表した新作『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』である。
コクトー、ウォーホール、ファスビンダーからコッポラまで、世界中の芸術家を魅了しつづけ、同時に、つねに大きな批判と論争の対象でありつづけた伝説の人レニ。そのレニが最後にたどり着いたのが、海の生命の美だったのである。
1973年71歳のレニは、年齢を51歳と偽ってダイビングのライセンスを取得した。そして、これまで2000回におよぶダイブでカメラにおさめた膨大な映像を1年余りの月日をかけて編集し、この驚きと感動の映像詩を完成させた。
モルディブ、セイシェル、紅海、カリブ海、ケニア、タンザニア、パプアニューギニア”世界中の海でレニが出会った生命たち。悠々と海底を泳ぐマンタや鮫、小さなエビやクマノミ。その色とデザインは、まるで天才デザイナーが繰り広げるファッションショーのようでもあり、一流クリエイターのオブジェのようでもある。けれど、自然が生み出したものは、人間が創りだすモードやアート以上に創造的だ。
一切の説明やナレーションを加えずに、めくるめくように画面に現われる海の生命の美。
レニが長い人生の最後に到達したアートの世界は、いつのまにか生命それ自身が持っている潜在的な力を心地よく物語りはじめる。
レニと共に撮影担当したのは、レニの40年来のパートナーであり、アシスタントであるホルスト・ケットナー。音楽は『ミッドナイト・エクスプレス』『フラッシュダンス』でアカデミー賞を受賞したジョルジオ・モロダーが担当している。

『アフリカへの想い』
1973年に発表された写真集「THE LAST OF THE NUBA (最後のヌバ) 」は、世界中にセンセーションを巻き起こした(日本版はその後刊行された「PEAOPLE OF KAU」とともに「NUBAヌバ」として80年に出版された)。それは、戦後「ナチの同調者」との烙印から激しい非難を浴び、映画製作を断念することを余儀なくされていたレニ・リーフェンシュタールが、アーティストとして見事な復活を遂げた瞬間だった。
写真集は、国際的に評価され、石岡瑛子氏をはじめ世界中のアーティストを魅了した。真っ黒な体に真っ白な灰をすりこんだ男たちの肉体。魅惑的に光り輝く少女たちのダンス。顔や体にほどこされたアーティスティックなペインティング。そこには誰も目にしたことのないヌバ族の美しい姿があった。
『アフリカへの想い』は、かつてレニが60年代に訪れたスーダンのヌバ族の村を20数年振りに再訪するライフドキュメントである。
2000年、98歳となったレニは、パートナーのホルストと共にスーダンへと旅立った。かつて自分を優しく受け入れ、時を共有したヌバ族との再会を果たすために。しかし、スーダンは内戦による混乱が今も続き、旅は何度となく中断を余儀なくされる。困難の末、彼女はやっとのことでヌバの村に辿り着く。しかし、友人のヌバ達の多くが戦争のためにすでにこの世を去り、生き残ったもの達の生活も大きく様変わりしていた。ヌバとレニは再会を喜びあうが、突然、予期せぬ別れの時を迎える。
アフリカの大地、ヌバ族との感動の再会、ホルストとの穏やかな関係。本作は、20世紀を生きたレニの歴史の一部を振り返ることのできる貴重なドキュメントに仕上がっている。監督には1993年に3時間に及ぶドキュメンタリー『レニ』で数々の賞を獲得したレイ・ミュラーがあたっている。

ストーリー

『ワンダー・アンダー・ウォーター原色の海』
70年代初め、70歳に手が届こうかというレニ・リーフェンシュタールは初めてのシュノーケリングで、海の世界を覗いたという。そして、世界的に有名な水中写真家ダグラス・フォークナーの写真集「The Living Leaf(生きている珊瑚礁)」を見た彼女は、自分もこんな写真を撮りたい、海中の世界をもっと知りたいと思いをつのらせた。
71歳の時、レニはパートナーでアシスタントでもあるホルストとともにケニアへ向かった。目的は、インド洋でダイビングのライセンスを取得することだった。モンバサの北にあるホテルに、ドイツ人の潜水学校があった。しかし、自分のように高齢の生徒を受け入れてくれる先生がどこにいようか、と考えた末、彼女は年齢を51歳と偽って願書を提出。20代の若者たちにまじって見事に合格した。ライセンスが授与される際に、真実の年齢を告白し、潜水学校の先生や生徒から大歓声がおこったという。
念願の海の世界に飛び込んだレニは、カメラを手に、年に2、3回のペースで世界の様々な海を訪れ、海の生命の美を記録していった。76年にはカリブ海を訪れ、そこに集まっていた水中写真家や海洋学者と毎晩のようにスライドを映しながらの勉強会を経験し、興味以上の学問的知識を学んだという。
77年に来日したレニは、水中撮影の第一人者である写真家・舘石昭氏にコンタクトをとった。二人は親交を深め 、共にダイビングや水中撮影を楽しむだけでなく、96年4月には池袋で二人のコラボレーション写真展を開催。その友情は今も続いている。
水中撮影の技術を磨いたレニは、78年には写真集「CORAL GARDENS(珊瑚の庭)」を発表、91年には写真集「WONDERS UNDER WATER(水中の驚異)」を発表し、コダック賞を受賞。そして本作『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』では映画として映像を残した。
100歳にして発表した新作が、自ら海に潜って撮影した海の世界。誰が聞いてもただそれだけで、この伝説の人物のパワーに圧倒される思いだが、同時にここには、自分の命の灯があるかぎり、愛するもののために行動を起こしていきたい、という想いがある。「もしサンゴ礁の破壊をくい止めなければ、私たちは失ってしまう。それに気づいてほしい」。映画の冒頭でレニは言う。
ナチスという20世紀の悪夢の中で、波乱の生涯を生きた、この歴史上の人物は今小さな生き物達の命に未来を見ているのかもしれない。

『アフリカへの想い』
レニのアフリカへの憧れは、1953年のある晩、ヘミングウェイの小説「アフリカの緑の丘」を読んで心奪われた時からはじまった、という。彼女のアフリカ熱は、アフリカの奴隷売買を描く映画「黒い積荷」の製作に結びつくが、映画のロケハンで初めて訪れたアフリカで、彼女は自動車事故による瀕死の重傷を負ってしまう。頭部から動脈が飛び出したというから、助かったのが奇跡だろう。映画は頓挫するが、この事故が、彼女にまた強いアフリカへの情熱を与えるのである。
ナイロビの病院に入院中、レニはドイツの「シュテルン」誌でジョージ・ロジャーが撮影した「コルドファンのヌバ」という写真を見つける。レニはその写真のイメージに夢中になった。そして6年後、彼女はついにヌバに会う。1962年12月のことだった。
彼らマサキン・ヌバは美しく、そして優しかった。彼らはレニを受け入れ、朗らかに笑い、子供達は「レニ・ブナ・ヌバ、ヌバ・ブナ・レニ(レニはヌバが好き、ヌバはレニが好き)」と歌った。20年かけて完成させた「低地」は無視され、ヴィットリオ・デ・シーカが協力した「赤い悪魔」をはじめ映画の企画はすべてが頓挫、ナチとの関係を非難する声にさらされていた当時のレニにとって、ヌバのシンプルな好意はきっと何より幸福なものだったに違いない。
この年から、彼女は毎年、ヌバを訪ねた。探検隊の同僚の裏切りに遇おうが、スーダンで革命が起きようが、撮影したフィルムを破壊されようが、ヌバへの想いの方が強く、70年代に入ると顔に美しいペインティングを施すカウ・ヌバが住む村も探し当てた。
しかし、ヌバの村にも都市の文明は押し寄せる。変わりゆくヌバ、消えゆくヌバの文化を見つめることはレニにとって辛いことだったろう。『アフリカへの想い』でレニがマサキン・ヌバを訪ねるのは75年以来だ。変わりゆくヌバを見たくないという気持ちがあったのかもしれない。「美」だけを追い求めてきたレニならば当然のことなのかもしれない。けれど、映画の中で互いに齢を重ねたレニとヌバが抱き合う時、おそらくはレニの心にも「美」以外の様々な感情が沸き上がっていたのではないだろうか。

スタッフ

『ワンダー・アンダー・ウォーター原色の海』
製作・監督・編集:レニ・リーフェンシュタール
撮影:レニ・リーフェンシュタール、ホルスト・ケットナー
音楽:ジョルジオ・モロダー
『アフリカへの想い』
監督:レイ・ミュラー
製作:レイ・ミュラー、ラインハルト・クロス

キャスト

レニ・リーフェンシュタール
ホルスト・ケットナー

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