原題:Playtime

1967年/フランス・イタリア/カラー/125分 配給:ザジフィルムズ

ぼくたちの伯父さん ジャック・タチ フィルム・フェスティバル 2003年7月19日よりヴァージンシネマズ六本木にてロードショー

公開初日 2003/07/19

配給会社名 0089

解説


ぼくたちの伯父さん
ジャック・タチ フィルム・フェスティバル

没後20周年を迎えた2002年、カンヌ国際映画祭やフランス映画祭横浜でオマージュを捧げられた、監督/脚本家/俳優のジャック・タチ。パントマイム芸人出身のタチは、ヨレヨレの帽子に丈の短いコート、パイプをくわえて前のめりに歩く“ぼくの伯父さん”のユロ氏という映画史に残るキャラクターを生み出した。ユロ氏独特のナンセンス・ギャグと酒脱な作風は一世を風扉し、世界中で愛され続けている。
アメリカ・モダニズムの影響を受けたタチのセンスはクールで新しく、その世界観は今も映画のみならず最先端の建築/インテリア、美術、音楽、サブカルチャーに大きな形響を与えている。
存在感が希苅で正体不明の不思議なユロ氏のキャラクター。超モダンなハイテク住宅やユーモラスな魚の噴水。ガラス張りの空間や窓などで作り上げた偏し絵のギャグ。ラウンジブームを先取りしたノスタルジックで軽快な音楽、映像と音のずれによって生み出されるオフビート感。これらは一度目にしたり、耳にしたりしたら決して忘れられないものだ。ピエール・エテックスによるシンブルでキュートなポスターデザインも、タチのハイセンスなイメージを確立するのに大きな役割を果たした。日常に潜む人間の可笑しさを描き、きらりと光るおしゃれ感を漂わせて、現代人の触覚をも震えさせる要素を満載する万華鏡ワールド、それがジャック・タチの世界だ。
タチはヌーヴェルヴァーグの映画作家たちにも愛された。フランソワ・トリュフォーは批評家時代、有名な論文「フランス映画のある種の傾向」の中で、タチの『ぼくの伯父さんの休暇』を“作家の映画”としてロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』と並び絶賛した。1967年、『プレイタイム』が批評家たちに酷評されたとき、憤慨したトリュフォーはタチ宛に熱い支持表明の書簡を送った。さらにトリュフォーは、70年の監督作『家庭』の中で、ユロ氏を登場させた。またタチと同じくアメリカ・モダニズムに影響を受けたゴダールは、自作『右側に気をつけろ』で、タチの『左側に気をつけろ』にオマージュを捧げている。なお、タルコフスキーの遺作『サクリファイス』の冒頭、子供が郵便配達の自転車を木に結び付け、郵便配達が転びそうになるシーンは、タチが生んだ人気キャラクター、郵便配達フランソワを意識したものだ。日本でも、『男はつらいよ』の車寅次郎のキャラクターはユロ氏に多大な影響を受けており、『ぼくの伯父さん』と副題がついたエピソードもある。
日常を淡々と描きながらも現代文明を鋭く批評し、時代を先取りしたタチの世界は、カンヌでの回顧上映をきっかけに再評価された。散逸していた幻の超大作『プレイタイム』のプリントは、ファッションデザイナーのアニエス・べーの協力の下、デジタル修復と音声トラックが録音し直されて一般公開された。
パリ、シャイヨー宮にあるシネマテークでの上映に際しては、ソワレにてタチの親戚で人気演出家のジェローム・デシャン一座によるパフォーマンスと舞踏会が行われ、連日満員札止めの大盛況となった。タチの映画のサウンドトラックや音源をサンプリングしたDJ、Mr.Untelによるりミックス盤は人気を呼び、この音楽に合わせて踊るというイベントも、公開期間中に開催されて若い人々の間でもタチ人気が沸騰した。
さらに、作品に表れるユニークな建築デザインにスポットを当てた展覧会の開催、研究本の出版など関連したイベントは数知れず。フランス映画祭横浜2002でもタチヘのオマージュとして『ぼくの伯父さん』の上映が行われ、ジェローム・デシャンとパートナーのマーシャ・マケイエフが来日したことも記憶に新しい。タチブームに沸いたパリの熱気をそのままに2003年初夏、“ぼくたちの伯父さん”ユロ氏のぴょこぴょこ歩く姿が、ニュープリントで蘇る。

ストーリー


空港にはアメリカからの団体観光客が、24時間のパリ見物に到着する。その中の一人が若い娘バーバラで、同じ頃、バスでパリ市内に降り立
ったユロ氏とは、幾度かすれ違うことになる。バーバラたちのパリ観光は、アメリカと変わらぬガラス張りのビルめぐり、一方ユロ氏はそのビルの一つでジファール氏と待ち合わせをしているのだが、迷路化した空間の中で相手を見失ってしまう。その後、ユロ氏は、昔の友人シュネデール氏と出会い、ガラス張りのマンションに招かれる。辞去した後、夜の街で偶然、会いそびれたジファール氏と会う。その後、ユロ氏は、開店したばかりのレストラン、「ロイヤル・ガーデン」のドアマンをやっている昔の友人に誘われるままに、準備不足で混沌とした店内にやってくる。いつしか夜会は無礼講の宴と化し、たまたま居合わせたバーバラとユロ氏はダンスを踊る。夜が明け、まもなく空港行きのバスに乗らねばならないバーバラにユロ氏は、かろうじて人づてにスカーフをプレゼントする。箱の中の鈴蘭と街頭を見比べてにっこり微笑むバーバラたち観光客を乗せて、バスは走る。
戦後フランス映画史上屈指の70ミリ超大作であり、興行的失敗によりタチを破産に追い込んだ究極の野心作。前作から九年後、国民的期待を担った待望のプレミア上映後のマスコミの批評は惨憺たるもので、興行の出足を挫かれる。一部の批評家の熱狂的支持にもかかわらず、ユロ氏の群衆への消失と無数のできごとの集合というべき映画の構成の大胆さが、一般観客にもそっぽを向かれる結果となり、翌年以降30分以上の短縮版で公開され、今日に至る。完全版は存在しているが、日本ではいまだに見られる機会はない。この映画の主役は、ヴァンセンヌ近郊に半年以上の歳月を費やして建設した「タチヴィル=タチの都市」と呼ばれる巨大なセットであり、ユロ氏に限らぬ無数の人々であり、アフレコによる音と映像の自由な結合であろう。

撮形期間:64年10月〜67年10月
エスクァイアマガジンジャパン刊 『E/Mブックス4:ジャック・タチ』より

スタッフ

監督・脚本:ジャック・タチ
協力:ジャック・ラグランジュ
撮影監督:ジャン・バダル、アンドレアス・ヴィンディング
助監督:アンリ・マルケ、ジャン・ルフェーフル、ニコラ・リボウスキ
美術:ユージェンヌ・ロマン
録音:ジャック・モーモン
編集:ジェラール・ポリカンノ
編集助手:ド二一ズ・ジトン、ソフィー・タティシェフ、J・F・ガラン
衣装:ジャック・コタン
プロデューサー:ベルナール・モーリス
製作会社:スペクタ・フィルムズ
音楽:フランシス・ルマルク
テーマ:『Take my Hand』デイヴ・スタイン
アフリカ音楽テーマ:ジェイムズ・キャンベル

〈修復スタッフ〉
監修:フランソワ・エド
光学処理アドバイザー:ジャン=ルネ・ファイヨ
デジタル処理アドバイザー:パスカル・ローラン
デジタル検定アドバイザー:ジル・ガイヤール
音修復:アンヌ・ルイ、ジェラール・ムナジェ
編集:カミー二・ロランティ
ミックス:ジャン=ポール・ループリエ
製作:リエール・ダシルヴァ、ドミニク・ヴェレンスキ
フィルム:コダック
サウンド:DTS

キャスト

ユロ氏:ジャック・タチ
若い外国人の女性:バルバラ・テネック
若い外国人女性の友人:ジャックリーヌ・ルコント
ラック氏の秘書:ヴァレリー・カミーユ
メガネの売り子:フランス・リュミリー
カウンターの客:フランスードラアル
ランプの夫人(1):ロール・パイエット
ランプの夫人(2):コレット・ブルースト
ジファール夫人:エリカ・テンツラー
ヴエスティエール嬢:イヴェット・デュクルー
シュルツ氏の連れ:リタ・メデン
歌手:二ニコル・レイ
ガイド:ジャック・ゴーティエ
VIP氏:アンリ・ピコリ
ポーター:レオン・ドイアン
ジファール氏(サービス長):ジョルジュ・モンタン
ラック氏:ジョン・アピー

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