原題:As Far As My Feet Will Carry Me

2002年ヒューストン国際映画祭 グランプリ/最優秀アドベンチャー映画賞 2001年ドイツ・ビーベラッハ映画祭 観客賞/国際審査員賞 2002年フランス・ヴァランシエヌ映画祭 特別賞 2002年ニューポート・ビーチ映画祭 功労賞 2002年フィラデルフィア国際映画祭 正式出品 2003年ゆうばりファンタスティック国際映画祭 審査員特別賞::http://www.nifty.ne.jp/fanta/yubari/sakuhin2003/

2001年12月27日ドイツ初公開

2001年/ドイツ、ロシア/カラー/158分/ 配給:東芝デジタルフロンティア+アルシネテラン

2004年09月24日よりビデオレンタル開始 2004年09月24日よりDVD発売開始 2004年1月17日(土)より、日比谷スカラ座2にて独占ロードショー

公開初日 2004/01/17

配給会社名 0238/0013

解説



遥かユーラシアの大地を命を賭けて歩き続けた男の、愛と信念の不屈の物語。
世界中を感動の渦に巻き込んだ、実話に基づく大ベストセラー小説の完全映画化
          
「必ず帰る—」このひと言を残し、戦犯として極寒のシベリアの強制収容所へと送還された、ドイツ兵士クレメンス・フォレル。ヨーロッパで最も有名な実話として広く知られる本作は、愛する家族との約束を果たすため、遥かシベリアから祖国ドイツまでの9000マイル(14,208km)を、3年もの歳月をかけて歩き続けた男の感動の物語である。
ドイツ本国で、いまだ毎年9万部の売上を記録している原作は、発売以来46年間で15の原語に翻訳され、世界中で3000万部を売り上げている。原作の映像化としては、1959年にフリッツ・ウムゲルダー監督によって、6部からなる長大なテレビシリーズが製作され、高視聴率を記録した。
今回は『カスケーダー』(98)の監督・主演で一躍話題の人となったハーディ・マーティンスが、前作のアクションとはうって変わって、実話を基にした大ベストセラー作品に挑戦。重厚で感動的なヒューマンドラマでありながら、フォレルが直面する苦難や危機的状況をアクションとサスペンスあふれるタッチで描いており、ヒューストン国際映画祭グランプリをはじめ、世界中で数々の賞を獲得している。
撮影はドイツ、ベラルーシ、ウズベキスタンで1年を通して大規模に行われた。時に氷点下32℃の凍てつくような寒さや、52℃という信じられない暑さの中で撮影は続けられ、荒れ狂う濁流の中ではヘリコプターを使って、迫力のあるアクションシーンが実現した。ロシアの誇る撮影監督パーヴェル・レベシェフによってスクリーンに収められた、壮大な大自然とスペクタクルは圧巻である。

ストーリー


1945年秋、ドイツ人中尉のクレメンス・フォレルはモスクワの裁判所で戦争犯罪者として有罪判決を受け、他の3000人の捕虜とともにシベリアに送還された。チタに向け鉄路で移送される途中で、すでに捕虜の3分の1は寒さや飢え、疲労のために命を落としていった。
1946年、生き残った者は北東に向けて行進させられたが、1年にわたる徒歩の末に収容所に辿り着いたのは、たった1,236人だった。そこはシベリア果てデシュネフ岬。果てしない氷の砂漠に囲まれた収容所には鉄条網も監視塔もない。ただ1つの鉛鉱山があり、ランプの光さえ乏しい暗闇の中で捕虜たちは今後働き、生活しなければならない。それは死刑宣告にも等しいものであり、収容所からの逃亡は不可能に思えた。
1947年、クレメンス・フォレルは、愛する家族の待つドイツへ帰ろうと脱走を試みた。計画は失敗に終わったが、家族へ会いたいという確固たる意志がくじけることはなく、フォレルは再び危険な脱走劇を計画していたが、それを知ったドイツ人医師シュタウファーは、元々自分のために準備していた精緻な脱走計画をフォレルに託した。シュタウファーは癌に侵されており、もはや自ら計画を実行することができないのだった。
1949年10月、フォレルは凍てつく寒さの中、脱走計画を決行する。ソ連軍のカメリアフ中尉が差し向けた追ってが迫る中、力の限り広大な氷原を走り抜け、北シベリアの広大な無人地帯に逃げ込むことができた。野生動物からの脅威や、孤独、寒さと飢えによる死の危険に常にさらされながらも、彼は一歩一歩、着実に前進していったのだった。
ある日、フォレルは2人のロシア人脱獄者と出会う。フォレルは2人とともに魚を捕り、猟をしながら西へと進んでいった。しかしある時、金塊がもとで争いが起き、ロシア人の1人が仲間を射殺してしまう。フォレルも谷に突き落とされてひどく傷を負ったが、身を引きずるようにして何とか先へ進んでいった。もうろうとなりながらも頭に浮かぶのは、愛する妻と娘の顔だった…。
そんな時、フォレルを狼が襲った。あわや絶体絶命の瞬間に、彼はユッピック族に助けられ、部族の暮らす集落に連れていかれた。シャーマンの娘イリーナは、傷ついたフォレルを献身的に介抱し、やがてフォレルの怪我も回復していった。旅立ちの時が訪れ、フォレルは1匹の犬をプレゼントされる。
1951年の夏、心強い仲間を手に入れ、フォレルはとうとう鉄路でモンゴル国境まで到達した。ここまで来ればもう安心だろうと思ったのもつかの間、ウラン・ウーデでカメネフ中尉が先回りして待っていた。彼は寸でのところで走行中の列車に飛び乗りあやうく難を逃れるが、いまや旧知の友のようになっていた犬は射殺されてしまう...
1952年夏、貨物列車を乗り継ぎながら、フォレルはコーカサスに辿り着いた。収容所を脱走してから、既に3年が過ぎようとしていた。
疲労と空腹が極限まで達していたフォレルに一寸の光りがさす。イゴールというユダヤ人が、救いの手を差し伸べてくれたのだ。地下組織と繋がりがある彼は、フォレルのために偽造の身分証明書を入手する。それは国境を越えてペルシャに入るために、どうしても必要なものだった。
1952年10月、フォレルはペルシャのタブリーズに到着するが、国境を越えた彼を待ち構えていたのは、カメリアフ中尉の姿だった。
カメリアフ中尉の策略によって、フォレルはソ連のスパイ容疑で再び逮捕された。もし真の身分を証明できなければ、3年に及ぶ逃避行が水の泡になるばかりか、死刑判決は確実だ。最後の望みの綱は、公用でアンカラに滞在している叔父のバウドゥレクセルに、身分を証明してもらうことだけだった。しかし3年に及ぶ逃避行によって、かつてのフォレルの面影は奪われてしまっていた。
果たしてフォレルは、家族との再会を果たすことができるのだろうか…。

スタッフ

監督:ハーディ・マーティンス
脚本:ベルント・シュヴァム、バスティアン・クレヴェー
、ハーディ・マーティンス
撮影:パーヴェル・ルベシェフ
編集:アンドレアス・マーシャル
音楽:エドワルド・アルテミエフ
製作総指揮(ミンスク):ヴォルフ・ブラウナー
製作総指揮:ジミー・C・ゲルム
美術:ヴァレンティン・ギドゥラノフ、イゴール・シュチェロコフ
衣装:タチャーナ・コノトポヴァ
メーキャップ:グリゴリー・フラプツキ
音響:セルゲイ・チュプロフ
キャスティング:ハイデ・ヴォイケ
デジタル効果:ダス・ヴェルク
特殊効果:イェンス・ドルディセン、クリスチャン・ビアリング
製作:ジミー・C・ゲルム、ハーディ・マーティンス、カスケーダープロダクション
エグゼクティヴ・プロデューサー:バスティアン・クレヴェー、ローランド・ペレグリノ、B+Cフィルムプロダクション、CPメディア

キャスト

クレメンス・フォレル:ベルン ハルト・ベターマン
ドクター・シュタウファー:ミヒァエル・メンドゥル
カメリアフ中尉:アナトリー・ヴラディミロヴィチュ・コテニョフ
イリーナ :イリーナ・パンタエヴァ
叔父バウドゥレクセル:ハンス・ペーター・ハルヴァクス
カトゥリン:イリス・ベーム
ドクター・パハムトヴァ:イリーナ・ナルベコヴァ
イゴール:アレキサンダー・イェフレモフ
ライプレヒト:ハンス・ウヴェ・バウアー
マターン:アントニオ・ヴァネック
バウクネヒト:アンドレ・ヘニケ
ダンホーン:ヨハネス・ヒッツブレヒ
クルークマン:シュテファン・ヴォルフ・シェーンブルク
シャーマン:ニコライ・イノケンチェヴィチュ・コンドゥラシュキン
リースヒェン:アナ・ヘルマン
セムヨン:ヴラディミール・コルプス
アナスタス:イゴール・フィルチェンコフ

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