原題:Rue du retrait

2001年3月28日フランス初公開

2001年/フランス/カラー/90分/ 配給:角川大映

2004年06月16日よりDVD発売開始 2003年9月20日より岩波ホールにてロードショー公開

公開初日 2003/09/20

配給会社名 0058

解説



 パリの懐かしい風情がのこる20区ルトレ通り。この街角にひっそりと孤独に暮らす老女がいた。会社を経営している女性イザベルは、偶然に出会ったこの老女マドをなぜか放っておくことができない。マドを訪ねて語り合ううちに、彼女の人生が決して平坦ではなかったことを知る。やがてイザベルはマドとの絆を深めるなかで、自身のこれまでの生き方が少しずつ変わってゆくのを感じる——。本作「夕映えの道」は、イギリスを代表する女性作家ドリス・レッシング(1919〜)の原作の舞台ロンドンを、パリの下町に移し、二人の女性の交流をとおして老いと人生を見つめた珠玉の作品である。 ルネ・フェレ監督は、1945年にフランス北部の町ラ・ベッセで生まれる。ジャン・ヴィゴ賞を受賞した「ポールの物語」(75)で監督デビュー。寡作ながらも誠実な作風で知られるベテランである。本作でも普遍的な人間のテーマを見事にとらえ、本国フランスでの公開時には批評家の多くの賛辞を受けた。
 原作は、母親の最期を看取らなかったことが心の傷となっているキャリア・ウーマンが主人公。そのために彼女は見知らぬ老女を心からいたわり、愛情をもって接し続ける——。フェレ監督が原作に共感し、映画化しようとした背景には、老いた母親を十数年前に亡くし、その悲しみを忘れられなかった自身の体験があったからだという。
 原作の英語タイトル『善き隣人の日記』(The Diary of a Good Neighbour)が暗示するように、もし隣人に一人暮らしの老人がいて、その人のことが気に懸かったとしたら、私たちに何ができるだろうか。今は元気な若い人たちも、いつか必ず老いてゆく。世代や血縁を超え、老いを共に見つめる———「夕映えの道」は、そんな今日的なテーマを優しい眼差しで真摯にとらえている。
 この作品の製作では資金面での苦労が続いたが、フェレ監督の映画化への思いは、立ちふさがる困難をひとつひとつ乗り越えていった。製作費の不足を周囲の友情がカバーしたともいえる。撮影にはデジタルカメラ(PD100SonyのDVカム)が使用され、狭い小路やアパルトマンで素晴らしい威力を発揮した。ほとんどの撮影は、ルトレ通りにある監督の自宅周辺でおこなわれ、近所の住人、通行人、店の協力を得て進められた。
 マド役は、新聞に「75歳以上の演技経験のある女性募集」と広告を出したところ、舞台や映画で女優として長いキャリアを持つドミニク・マルカスから応募の手紙があり、即座に決まった。現在82歳。イザベル役を演じたマリオン・エルドは、監督の隣の住人でもある女優。脚本を書くにあたって、イザベル像はマリオン・エルドにインスピレーションを受けて作られたが、結果的には彼女の家を使い、彼女自身が演じることになった。ほかにもマリオン・エルドは製作のために様々な援助を惜しまなかった。
 イザベルの元夫ポールを、ルネ・フェレ監督自身が、そして若い恋人フレッドを、監督の息子ジュリアン・フェレが演じている。原題は、撮影、編集などが行われた小さな通りの名前「ルトレ通り」である。この題名には今回の”手作り”の仕事に関わったスタッフ、キャストへの思いが込められている。

ストーリー


 パリ、20区。会社を経営している独身の中年女性イザベルは、ドラッグストアで医者の処方箋の薬を拒否し、かたくなにアスピリンを注文する一人の老婦人と出会う。イザベルは行き掛かり上、彼女を家まで送ってゆくと申し出る。
 老婦人マドは、ルトレ通りの外れの小さなアパルトマンで一人ひっそりと孤独に暮らしていた。マドの部屋に通されたイザベルは愕然とする。そこは座る場所もないほど狭く、快適なマンションで暮らすイザベルの生活からは、想像もできない古ぼけた部屋だったのだ。そんなイザベルの驚きを感じ取ったマドは、伏目がちに言う。
「昔は大きな家に住んでいたの。私は育ちがいいのよ」
「分かるわ」
 イザベルは、再びマドを訪ねることを約束してそこを去った。
 その晩、イザベルは旅行中の若い恋人フレッドに電話をかけた。
「今日、薬局で老人に会ったの。家まで送ったらひどい家に住んでるのよ・・・」
 なぜかイザベルは、一人きりの老女マドのことが頭から離れなくなっていた。
 イザベルは企業のプロモーションを引き受ける宣伝会社を経営している。大きなプロジェクトを成立させるため、彼女は別れた夫ポールに出資を依頼することを決める。イザベルは大胆で有能な女性だった。
 週末、イザベルは約束どおり、マドを訪ねた。マドは最初、彼女が役所から派遣されてきた職員ではないかと疑うが、やがて友人として振舞う彼女を受け入れる。イザベルはマドの部屋の電気の接触が不良なことに気づきそれを注意するが、マドは「別に感電して死んでもいいわ」と、意に介さない。
 イザベルは仕事の傍ら、電気屋の出張修理を頼むが、マドは電気屋を家に入れようとしなかった。マドは自分の生活に他人が干渉をすることを、極端に嫌っていた。「あなたのしていることは、私のためじゃない。自己満足よ!」反発するマドに、イザベルは「そうよ!」と開き直る。イザベルは強固な態度で、マドの部屋の大掃除と彼女の診察を敢行した。
 マドを診察した医師は、イザベルに精密検査が必要だと告げる。だがマドは、病院には断固行かないと言い張る。マドは今病院に入ったら、自分が出てこられなくなることを悟っていた。忙しい仕事の傍ら、マドから手を引くことができないイザベルは、自分の気持ちがわからなくなっていた。
「自分でも矛盾していると思うの。時々あの老女を抱きしめたくなり、同時に突き放したくもなるの・・・。」
 マドはイザベルが手配した看護士の来訪も断った。ついにイザベルは自らマドの世話をすることにした。頑ななマドも友人であるイザベルに対してだけは心を許すことができた。体を拭いてくれるイザベルにマドは小さく御礼を言う。
 やがてマドはイザベルに自分の生い立ちを語るようになった。マドの人生は悲しみと絶望の連続だった。だがそんななかにも楽しかった思い出を生き生きと語るマドの話に耳を傾けるうち、イザベルは不思議な安らぎを感じるようになる。マドは若いとき,帽子の縫製をしていた。「私の帽子はいつもショーウインドウに飾られていたわ」マドは少女のように頬を染め,誇らしげに大切にしまっていた手製の帽子をイザベルに見せた。
 ある日、マドの被害妄想が爆発した。マドには最愛の息子の親権を元夫に奪われた過去があり、時々それが強迫観念となって、全ての人を拒絶するのだ。マドはイザベルさえ拒み、イザベルは絶望する。イザベルはマドのために、仕事もアシスタント任せにし、恋人との時間すら犠牲にしていたのだ。
「ありがた迷惑はもうやめる」
イザベルは決心する。
 長雨で体調を崩したマドは、一人で買い物に行くことができない。食料もトイレットペイパーもない部屋で、腹痛に耐えるマドのもとに、突然イザベルが現れる。やはりイザベルはマドを放っておくことができなかったのだ。マドに買ってきた食料を渡すと、仕事に疲れたイザベルは椅子に座り込んで眠ってしまう。疲労困憊のイザベルの姿に、マドは彼女もまた大変な人生を精一杯生きていることを実感する。
 イザベルはマドを説き伏せ、ついに精密検査を受けさせる。しかし主治医の見解に、イザベルは愕然とする。マドの体は癌に侵され、既にその余命は数週間だったのだ。
 イザベルは仕事も恋愛も中止し、マドの最期を看取ることに決めた。昼下がり、二人はルトレ通りの石畳を散歩し、ベンチに腰をかける。陽だまりのベンチは、まるで人生の休憩所のように温かく穏やかだった。マドは不意にしみじみとつぶやく。
「今が一番幸せだわ・・・」
 そんなマドの目を見て、イザベルはしっかりと語りかけた。
「信じて。あなたの喜びが私の喜びなの。」
 イザベルのその言葉に、マドは静かに嗚咽した・・・。

スタッフ

監督:ルネ・フェレ
原作:ドリス・レッシング
脚本:ルネ・フェレ
撮影:フランソワ・ラーティグ
音楽:バンジャマン・ラファエリ

キャスト

ドミニク・マルカス:マド
マリオン・エルド:イザベル
ルネ・フェレ:ポール
ジュリアン・フェレ:フレッド
サシャ・ロラン:ソフィー

LINK

□公式サイト
□IMDb
□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す