原題:Nowhere in Africa

壮大なアフリカの大地を舞台に少女の成長と家族の心の軌跡を描いた真実の物語。

2003年アカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞

2001年12月27日ドイツ初公開

2001/ドイツ/141分/シネマスコープ/SRD 配給:ギャガ・コミュニケーションズ Gシネマグループ 宣伝:ギャガGシネマ海×キネティック 後援:ドイツ連邦共和国大使館

2004年02月26日よりDVDリリース 2003年8月9日より、シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー

公開初日 2003/08/09

配給会社名 0025

解説


第75回アカデミー賞受賞<外国語映画賞受賞>!!
世界各国の観客に至福の感動を与えた名作、ついに日本上陸。
壮大なアフリカの大地を舞台に少女の成長と家族の心の軌跡を描いた珠玉の傑作。
 乾いた熱い風の吹く草原がどこまでも続く大地。一人のユダヤ人少女レギーナがその未知の世界に足を踏み入れたのは台頭するナチスドイツの迫害を逃れるためという運命の悪戯だった。しかし、彼女は偶然に辿り着いた地ですくすくと育ってゆく一粒種子のごとく、アフリカの自然を豊かな感受性でいっぱいに受け止め成長していく。遠い祖国ドイツを愁うる彼女の両親もまた大自然のなかで自らの人生に向き合っていくのだった・・・・。

2001年に本国ドイツで公開されるやいなや、なみいるハリウッドの大作を押さえ大ヒットを記録。その後、ドイツ映画賞主要5部門受賞、バヴァリアン映画祭作品賞及び観客賞受賞など数々の映画賞に輝き、ドイツ内外の映画祭を席巻、米国ではゴールデン・グローブ賞、そしてついにアカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞という快挙を成し遂げるなど、世界各国で絶賛された、近年稀に見る壮大なスケールのヒューマン・ドラマである。
第二次大戦下、ナチスの迫害を逃れるため祖国ドイツを離れ、アフリカへ渡ったユダヤ人一家の幼いひとり娘、レギーナ。育ちの良い内気な少女が、聡明な料理人オウアやケニアの子どもたちとの交流を通して新天地アフリカでたくましく成長していく姿は、見るものすべての心に静かな感動を呼び起こす。それと同時に、残される祖父母の安否を気遣いながらも、愛する祖国を離れなければならなかった両親の世代の苦悩が、幾度となく描かれてきた歴史にもうひとつの視点を与え、物語に深い奥行きを生み出している。さらにその悲しみを静かに包み込むアフリカの自然と文化。その描写のリアリズムが映画に真摯な輝きを与えている。

2000人の中から選ばれた天才子役

 レギーナの幼い頃を愛くるしく表情豊かに演じるのは、「子どもを描かせたら右に出るものなし」の評価を確立させているカロリーヌ・リンク監督が2000人の応募者の中から抜擢したレア・クルカ。『ビヨンド・サイレンス』のタチアナ・トゥリーブ、『点子ちゃんとアントン』のエレア・ガイスラーに続く、次の天才子役として注目を集めた。本作では特訓を受けたスワヒリ語の成果も披露している。
 レギーナの母親を演じるのは『点子ちゃんとアントン』でアフリカからなかなか帰ってこない母親を演じたユリアーネ・ケーラー。『AIMEE & JAGUAR』でベルリン映画祭主演女優賞を受賞している実力派である。今回は、お嬢様育ちがなかなか抜けない母親が、アフリカの過酷な生活を通して次第に自分自身に目覚め、自立してゆくまでを、確かな演技力で演じきる。
 ナチスのために愛する人々と仕事を失うなかで、自分と家族の生きる道を必死に模索する父親を演じるのは『ルナ・パパ』のメラーブ・ニニッゼ。また一家の友人となるジュスキント役で、祖国を捨てた人間の哀愁をにじませた奥深い演技を見せるのは『スターリングラード』のマティアス・ハービッヒ。本作の演技でドイツ映画賞助演男優賞を受賞している。

原作はドイツでベストセラーにもなった真実の物語

 原作は女性作家シュテファニー・ツヴァイクが、自らの少女時代の体験をもとに描き、1995年にドイツでベストセラーになった自伝的小説。実話ならではの、真実の感動を伝えることにこだわったリンク監督は、映画化にあたって困難なケニアでの一大長期ロケを敢行。道路も設備もない村にテントを張り、現地の部族の人々に協力をあおぐなど、すべてに渡って”本物”にこだわった。単なるエキゾチズムではない、真実のアフリカの姿を捉えたという点も、本作が高い評価を得ている理由のひとつである。
 主要スタッフには『ビヨンド・サイレンス』組が再結集。光あふれるケニアの自然をありのままに捉えてみせた撮影監督のギャルノット・ロルは、本作でドイツ映画賞撮影賞を受賞。音楽のニキ・ライザーも本作で同・音楽賞を受賞している。

ストーリー



 レギーナには、ドイツでの記憶が断片でしかない。ホテル経営者の祖父、弁護士の父、やさしく美しい母・・・。家族に囲まれて過ごした暖かで幸福な生活。だがそんな幸せな生活もナチスの台頭によってもろくも崩れ去ってしまう。幼いレギーナが理由を尋ねると、母はいつもこう答えた——「私たちがユダヤ人だから」。遂にレギーナたちはドイツをはなれ、未知の国、アフリカへ渡る——。

1938年4月、イエッテル(ユリアーネ・ケーラー)とレギーナ(レア・クルカ)はナチスの迫害を逃れるため、先にケニアに渡っていた父ヴァルター(メラーブ・ニニッゼ)のいるロンガイの農場へやって来る。しかし再会の喜びも束の間、イエッテルは予想以上に厳しい暮らしに打ちのめされる。農場は荒地同然で井戸もなく、ヴァルターもマラリアから回復したばかりだった。そんな夫婦の支えとなったのは、ヴァルターの友人ジュスキント(マティアス・ハービッヒ)だった。5年前にドイツを離れ、今はここが故郷だと語る彼は、ケニアの人々の考え方や暮らしを心から愛していた。

日照りが続く。井戸を掘っても水は出ず、レギーナを学校へ通わせる金もない。お嬢様育ちのイエッテルは始終不平をもらし、ドイツへ帰りたいと言う。ヴァルターは欧州の情勢悪化のニュースに、残してきた父や妹が心配でならない。厳しい現実にとまどう二人の間では小さないさかいが絶えず、気持ちが徐々にすれ違っていく。
そんな両親を横目に、レギーナは次第にアフリカの暮らしになじんでいった。料理人のオウア(シデーデ・オンユーロ)は彼女のことを”小さなメンサブ(奥さん)”と呼んで可愛がった。オウアに言葉を教わったり、あちこち案内してもらったりするうちに、二人の間には友情が芽生えていった。

第二次大戦が始まると、ドイツ人は敵国人として英国軍に身柄を拘束される。ヴァルターやジュスキントらはナイロビの収容所へ移されたが、女性と子供たちの収容先はなぜか一流ホテルだった。もてなしは滞在客並みだったが、数週間も経つと、女たちは軟禁生活に耐えられなくなった。

特別許可を得て収容所のヴァルターに面会したイエッテルは、悪い知らせを聞かされる。農場主に解雇され、収容所を出ても仕事も家もないというのだ。頼みの綱のユダヤ人会も、イエッテルの個人的な願いには耳を貸してくれない。落ち込む彼女に、ひとりの英国兵がヴァルターに仕事を紹介してもいいと声をかける…。

レギーナと両親が収容所を出て、オル・ジョロ・オロクの農場に移ったのはそれから間もなくしてだった。今度の農場は緑豊かで、経営も順調だった。オウアも彼らを探しあてて姿を現し、再会を遂げる。

1941年になると、レギーナは寄宿生活を送るために農場を離れる。英国人の学校に入った彼女は、言葉のハンディを乗り越えて、優秀な成績を修める。
学校が休みになり、ちょっぴり大人になったレギーナ(カロリーネ・エケルツ)がオル・ジョロ・オロクへ戻ってくる。しかし、レギーナを待っていたのは、悲しい知らせだった。イエッテルの母と妹から、ポーランドへ送られるという手紙が届いたのだ。それが死を意味することは容易に察せられた。ヴァルターの父と妹の消息も、もうとうにわからなくなっていた。

1944年、ジュスキントの勧めで英国軍に加わることになったヴァルターは、一緒にナイロビへ行こう。とイエッテルを誘う。しかし、イエッテルはヴァルターの誘いを断り、オル・ジョロ・オロクに残ることにする。あれほど嫌っていたはずの農場生活に、今や彼女は自分の居場所を見つけ出していたのだ。ヴァルターは、ここでは自分が無益な人間に思えてくると言い残して、一人でナイロビへ去ってしまう。
両親の心が離れていくことに胸を痛めるレギーナ。そんな彼女にイエッテルは、人は違いにこそ価値があることをこの地で学んだ、と語るのだった。

そして、終戦。1947年になると、ヴァルターにフランクフルトでの判事の仕事のオファーが来る。家族3人でドイツに帰ろうというヴァルター。しかし、そんなヴァルターの申し出にとまどうイエッテルとレギーナ。イエッテルもレギーナもすでに、ケニアでの生活に生きがいを見出すようになっていたのだった・・・。

スタッフ

監督・脚本:カロリーヌ・リンク
製作:ペーター・ヘルマン
撮影監督:ギャルノット・ロル
原作:シュテファニー・ツヴァイク

キャスト

イエッテル・レドリッヒ:ユリアーネ・ケーラー
ウォルター・レドリッヒ:メラーブ・ニニッゼ
レギーナ(幼少の頃):レア・クルカ
レギーナ(ティーンの頃):カロリン・エケルツ
ジュスキント:マティアス・ハービッヒ
オウアー:シデーデ・オンユーロ

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