原題:How Is It Going?

1976年/フランス/カラー/78分/16ミリ/スタンダード/字幕翻訳:高部義之 配給:ハピネット・ピクチャーズ

2005年11月25日より<限定版>DVDリリース 2003年4月5日よりシネセゾン渋谷にてレイトショー

公開初日 2003/04/05

配給会社名 0187

解説


製作から四半世紀のときを経て日本初公開となるこの映画は、人民大衆のための情報の生産について、共産党の反動性について問題提起する。フランスの左翼連合(社共、急進左派)は共同政府綱領を掲げていたが、社会党の躍進に反して人気の後退した共産党は親ソ連路線からの脱却を余儀なくされていた。一方、1974年の革命の翌年、急進派と穏健派の対立が深まる中、ポルトガルの政権は極左クーデタ失敗を機に右寄りの中道路線をとり、軍政から民政への移管を決めた。

 1974年、グルノーブルに「ソニマージュ」という映像実験工房を設立したゴダールはミエヴィルと共に、ビデオ技術を活用し、情報伝達の媒体としての映画の政治教育的活用を考えていた。『ヒア&ゼア・こことよそ』にひき続いて、この映画でも「わかりやすさ」は放棄され、画面外の音声(ソン)と映像(イマージュ)の意味を「目と耳を使って分析すること」が要請される。
 ヒッピー風の青年が新しい恋人を車に乗せてフランスの地方都市の街を走る。印刷工場で働く彼は、二日前、パリに住む父親から手紙を受け取った。そこには父と女性の対話が記されていた。映画を通じて、青年と恋人がデートを重ね、やがて同棲する様子の映像と、画面外で手紙を読む父の声が何度も挿入される。

 彼の父ミシェル(ミシェル・マロ)は、共産党系新聞社の編集者で、国内最大の共産党系労働組合組織、労働総同盟の職場代表で、共産主義者がどのように情報を作り出すかを示すため、自分の勤める新聞社と印刷所に関するビデオ映画を作ろうとしていた。かつて国有銀行クレディ・リヨネ情報処理部に勤務し、フランス民主労働同盟(国内第二の労働組合組織で労働総同盟より急進的)の元職場代表だった極左主義者のオデット(ミエヴィルが演じているが顔は見えない)が共同製作者だ。彼らは製作中のビデオ映画用の映像を印刷所の地下室のモニターで見ながら、映像・音声の構成をめぐって激しく論争する。

 オデットはビデオ映画についての知人たちの意見を取材して録音し、ミシェルに聞かせる。ミシェルの記事と共に新聞に掲載された、1975年9月22日、ポルトガルのポルト市における「団結した兵士は勝つ」の2千人の左派兵士と1万人の市民の反政府デモの市街行進の際の、両手の拳を振り上げる兵士と、右手の拳を突き上げ、左手で兵士の右腕をつかむ男性市民の写真についての意見などが述べられる。

 オデットは、ポルトガルの写真と、ミシェルがかつて報じたもうひとつの事件、1972年、ブルターニュ地方サン=ブリュー市における「ジュワン=フランセ社争議」(ブルターニュの地域ナショナリズムと結びついた労働争議)で工場スト参加者の男性が機動隊員の襟首をつかんで糾弾する写真を対比する。彼女は機械的に言葉にする前にまず「見ること」の重要性を説く。

 ミシェルは労使代表による企業運営委員会を招集し意見を聞くが、予想に反してオデットの提案は支持された。彼らはさまざまな印刷物の広告写真や報道写真(その中には、「軍服の国王」の見出しのついた、1975年11月20日のフランコの老衰死にともなう王政復古で即位したスペイン国王フアン・カルロスの表紙写真もある)を見ながら、先の二枚の写真をどう扱うべきかを考える。ビデオ映画の方針は修正され、ミシェルも彼女を支持する。だが、共産党中央委員会の上層部の判断によりビデオ映画の製作は却下され、オデットはそのまま失踪する。

ストーリー

スタッフ

監督:ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル
脚本:ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル
撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー
音楽:ジャン・シュヴァルツ

キャスト

アンヌ=マリー・ミエヴィル
ミシェル・マロ

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