原題:HERE AND ELSEWHERE

1976年9月15日フランス初公開

1974年/フランス/カラー/55分/16ミリ/スタンダード/字幕翻訳:寺尾次郎 配給:ハピネット・ピクチャーズ

2005年11月25日より<限定版>DVDリリース 2003年4月5日よりシネセゾン渋谷にてレイトショー

公開初日 2003/04/05

配給会社名 0187

解説


 ゴダールが商業映画から離れていた1970年代の「政治の時代」を代表するこの映画は四半世紀ぶりの日本公開となる。
 この映画の出発点は、ジガ・ヴェルトフ集団によるファタハ(「パレスチナ解放運動」という意味のゲリラ組織)の宣伝映画『勝利』あるいは『勝利まで』あるいは「パレスチナ解放運動の思想と実践の方法」とも呼ばれる未完の映画である。ゴダールとゴランおよび撮影技師アルマン・マルコが1970年前半にヨルダン、レバノン、シリアで撮影した素材を元に、ゴダールは1972年まで編集を試みた後、結局断念した。

 1970年は、占領国家イスラエルに対するパレスチナのフェダイー(解放戦士)たちのハイジャックなどの武装闘争が熾烈をきわめた年だった。だがゴダールがフランスに戻った後、王政打倒革命が起きるのを恐れたヨルダン国王フセインは国内のパレスチナ人の攻撃を開始、後に「黒い九月」と呼ばれるこの事件で、この映画に映っているある部隊は全滅した。1971年7月にはパレスチナ解放運動はヨルダンから追放され、レバノンのベイルートに本拠を移した。その後、1973年の第四次中東戦争を経て、イスラエルを承認し、ヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ国家を建設するという妥協的方向に、ファタハは路線変更を強いられた。これらの政情変化は、人民戦争路線を掲げる『勝利まで』の製作続行を不可能にした。

 1970年にパリで知り合ったゴダールとミエヴィルが、1974年から翌年にかけて『勝利まで』の素材を転用し、自らの方針転換を総括するために作ったのが『ヒア&ゼア・こことよそ』である。
 この映画は「ここ」と「よそ」を「と[et]」でつなげるために映像と音声を利用する。「ここ」を代表するのは、テレビで情報を消費するフランスの労働者の映像と音声であり、「よそ」を代表するのは、テレビで情報化されない闘争に殉じたパレスチナのフェダイーたちの映像と音声である。

 しかし多くの場合、フェダイーたちの発言や歌にはフランス語字幕は付けられず、その音声はしばしば編集で消去される。画面外で聞かれる、ヨルダン川東岸の前線の司令官で詩人のハーリド・アブー・ハリドによる自作の詩「ビーサーン」の朗唱、前線の廃虚での少女による抵抗詩人マフムード・ダルウィーシュの詩「私は抵抗する」の演説調の朗唱にも字幕は付けられていない。

 一方、ヒトラー、ニクソン、キッシンジャー、ブレジネフ、イスラエル首相ゴルダ・メイア女史、ダヤン国防相らの政治権力者の顔写真や各種印刷物の広告写真は権力を代行する紋切り型の記号として繰り返し示され、フェダイーを描いたイラストや世界各国の人民戦争や闘争の戦士、闘士らの写真、アラビア語を含む各国語の政治的な歌やスローガンなどの人民を代行する記号と対比される。

 映画の終盤、この映画そのものをめぐる画面外のゴダールの声とミエヴィルの声が挿入される。ミエヴィルはフェダイーたちが公に語る時の型通りの言葉や身ぶり、またそれに対するゴダールの解釈や演出の教条的な形式性を批判する。この映画は、フェダイーたちの公式的、演劇的な声明を代行するのではなく、実践的な闘争現場の声を紹介すべきだったのではないか。

ストーリー

スタッフ

監督:ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル
製作:アンヌ=マリー・ミエヴィル、ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ウィリアム・ルブチャンスキー
編集:アンヌ=マリー・ミエヴィル

キャスト

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