原題:HUMANS FORGOT 15 AUG.1945

生きよ、そして記憶せよ。 こうして今、生きていることも、 いつかはただの想い出になってしまうのか… 「戦後」など見えもしない。

平成14年度 文部科学省選定作品

2001年/日本/40分/カラー/ドキュメンタリー&スチルアニメーション/ビデオ作品 配給:ガムブーツ

2002年8月3日(土)〜16日(金)まで シネマ・下北沢にてレイトショー公開 連日、PM 9:30より一回上映 上映終了後に豪華ゲストを招いてのトーク&ライブイベントを連日開催

(C)2001 スペースリンク/伝達社

公開初日 2002/08/03

公開終了日 2002/08/16

配給会社名 0315

公開日メモ 作家・野坂昭如(「火垂るの墓」「文壇」)による「戦争童話集」が「婦人公論」に連載されたのは、七〇年安保の翌年、一九七一年のこと。 その頃の日本は万博景気に沸き、高度成長のもたらした豊かな時代を謳歌しつつ、「戦争」を遠い過去の記憶にしようとしていました。そんな少しぬるま湯につかりはじめた日本を警告するかのように、この「戦争童話集」の連載がはじまったのです。

解説



戦後なんて、この地球上に一度もおとずれていない。

作家・野坂昭如(「火垂るの墓」「文壇」)による「戦争童話集」が「婦人公論」に連載されたのは、七〇年安保の翌年、一九七一年のこと。
その頃の日本は万博景気に沸き、高度成長のもたらした豊かな時代を謳歌しつつ、「戦争」を遠い過去の記憶にしようとしていました。そんな少しぬるま湯につかりはじめた日本を警告するかのように、この「戦争童話集」の連載がはじまったのです。
一九九四年、イラストレーター・黒田征太郎(「空から堕ちた」)は、ニューヨークの書店でこの本を手に取り、何度も読み返すうちに、こう考えました。
「みんな戦後などと簡単に言うけれど、戦後なんて地球上に一度もおとずれていないじゃないか」と。
そこで、黒田の想いを熱く受けとめたクリエイターたちにより「戦争童話集」映像化プロジェクト『忘れてはイケナイ物語り』が開始されました。
全十二話の原作は五年間をかけて数作ずつ映像化され、すでにビデオシリーズとして発売されており、次の世代をになう子供達へ語り継がれています。

沖縄、オキナワ。
近いようで、遠いところ。
その島で、あったこと……。
一九九九年夏、「戦争童話集」全十二話の映像化を完結させた黒田は、動画として描き上げた膨大な原画の展覧会を、沖縄県宜野湾市にある佐喜真美術館で開催しました。
第二次世界大戦中、国内で唯一の地上戦を体験した沖縄。現在も国内の在日米軍基地の七十五パーセントが集中しています。
おりしも沖縄ではサミット開催を間近に控え、マスコミのあおり立てる歓迎ムードが高まっていました。その一方で、サミット主会場の決定が普天間基地の県内移設とリンクしたものであることや、戒厳令に近い警備体制の下で生活を規制されるといったサミットの実態を、沖縄県民の多くは静かに見すえているようでした。
黒田は、沖縄の地で出会う人々の表情に触れ、海の風に吹かれる中、戦争童話集に含まれていない「沖縄」の物語を語り継がなければと、使命にも似た想いを抱きました。
「地上戦を知らない僕には書けない」と言っていた野坂も、「日本政府が再び沖縄をステイツにしようとしている今、書ける書けないなどと言っていられない」と想いを固め、沖縄へ何度も足を運ぶことから構想を練り始めました。

海を越え、島を渡る、魂のロードムーヴィー。

監督の御法川修は、一九九八年に黒田の創作風景を記録した短編映画『KAKIBAKA』を発表。その後も黒田の活動を追い続けていたことから、今回の軌跡を目の当たりにすることになりました。黒田とは親子ほどに年の離れた御法川の視線は、不屈の精神を持つ表現者たちへの尊敬と愛情にあふれ、詩的な映像世界を創りあげています。黒田の原画を一コマずつフィルムに焼きつけ、透過光処理なども全て手作業による画面は、CG全盛のフル・アニメーションとは異なる「電動紙芝居」といった趣の心懐かしい画面を創り出しています。
セミ・ドキュメント部分の撮影は『ファザーファッカー』『みすゞ』の名手・芦澤明子。沖縄という固有の風土と、憂いをおびた東京の街角を、それぞれ違ったルックで描き分けています。
アニメーション撮影は『銀河鉄道999』『走れメロス』のベテラン森下成一が担当。
特筆すべきは、世界中でそのメロディーを歌い継がれる『花〜すべての人の心に花を』の喜納昌吉が音楽を提供してくれたこと。さらに、女優・松田美由紀のナレーションが、感情を抑えた言葉の響きで物語を包み込み、水や風といった自然音と美しいハーモニーを奏でています。

ストーリー



窓の向こうにエンパイアステートビルを眺める画家・黒田征太郎のアトリエ。そこはニューヨーク。六十歳を過ぎて今や初老とも云うべき年齢にさしかかっている黒田であったが、その瞳は力強く発光している。記憶に焼きついて離れない敗戦国日本の姿。アメリカがもたらした西洋文化の呪縛を解いて、自身の体の中を流れる血の記憶が描かせる絵を描いてみたい。そのためには、昭和二十年八月十五日からはじめてみよう、と考え出したところに「野坂昭如 戦争童話集」が目の前に。
一九九四年から五年間をかけた映像化プロジェクトは完結するも、物語りの中でぬけ落ちている「沖縄」のことが気になっていた。二〇〇〇年七月、その沖縄でサミットが開催される。沖縄から遠く離れたニューヨークの街で、黒田の掌からオキナワのイメージが生まれる。それは「波」の絵だった。想いは海を越え、島を渡り、野坂と喜納昌吉のもとへたどり着く。

昭和二十年六月、沖縄における激しい地上戦で祖父母を失い一人ガマ(自然壕)に逃れた少年・哲夫は、米軍の艦砲射撃の中、浜辺に産卵するアオウミガメを目撃する。卵が迫撃の犠牲にならないよう掘り返し、ふ化させようと努力する哲夫。しかし、飢えの苦しみから卵をすべて食べてしまう…。
その二ヵ月後、昭和二十年八月十五日。アオウミガメが再び島を目指して泳いでくる。その時、島の方から産まれたばかりの小さなカメが泳いできた。哲夫の生まれ変わりなのだろうか…。

スタッフ

原作:野坂昭如 + 絵 黒田征太郎 + 音楽 喜納昌吉
戦争童話集:沖縄篇 ウミガメと少年(講談社刊)
企画:忘れてはイケナイ物語り 沖縄篇をつくる会
プロデューサー:黒田征太郎
エグゼクティブ・プロデューサー:長友啓典+永用万人
監督:御法川修
撮影:芦澤明子
アニメーション撮影:森下成一(スタジオトゥインクル)
ライン・プロデューサー:石黒美和
制作担当:本藤雅浩
アソシエイト・プロデューサー:本多徹至+西前拓
沖縄コーディネーター:小場紀夫
ヘアメイク&スタイリスト:三浦啓子
音響効果:丹雄二
整音:井上秀司(東京テレビセンター)
スーパーバイザー:今井一+佐喜真道夫+知花昌一+和多田進
事務局:沢渡麻知
協力プロデューサー:大木雄高
宣伝写真:野村恵子
協力:紀伊國屋書店・映像情報部+ポルケ+ケイツー
製作:スペースリンク
制作プロダクション:伝達社
配給:ガムブーツ

キャスト

語り:松田美由紀

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