原題:Man Without A Past

人生は前にしか進まない

第55回カンヌ国際映画祭正式招待作・グランプリ、女優賞受賞

2002年/フィンランド・ドイツ・フランス/カラー/97分/ 配給:ユーロスペース

2003年09月26日よりDVDリリース/2003年9月26日ビデオビデオ発売&レンタル開始 2003年3月15日より恵比寿ガーデンシネマにてロードショー

公開初日 2003/03/15

配給会社名 0131

解説


 ヘルシンキに流れ着いたひとりの男。しかし彼は暴漢に襲われ瀕死の重傷を負い、一命をとりとめるも、過去のすべての記憶を失ってしまう。過去を失った男は、絶望の淵でささやかな人生をひとコマづつ重ねていく中で、イルマという女と出会う。それは男にとっては初めての、あたたかで満ち足りた思いとなって、人生を柔らかく包みこむのだった…。
 ミニマルかつ叙情的、ユーモラスで牧歌的でありながらも人生の苦渋を浮かびあがらせ、やがて生まれる再生と希望を見事に描いたアキ・カウリスマキ監督の最高傑作。都会の片隅で静かに息づく人間の営みと幸せのありかを、カウリスマキ独特の時間軸の中で美しく表出させた至福の映画が誕生した。

人生は、前にしか進まない———。今と未来を見つめ、前を向いて歩き続ける

 暴漢に襲われ瀕死の重傷を負った男が、透明人間のような全身包帯姿で病院から抜けだした後に発見されるのは、職にあぶれた者たちが暮らす、コンテナが放置された港湾地区。彼はそこに住む一家の献身的な看病の末回復に向かうが、自分が今までどんな仕事をしてきたのか、そして何よりも自分の名前すら思い出せないことに唖然とする。
この管理社会にあって、男はいわば‘透明人間’のような存在となってしまったのだ。
 カウリスマキは、こんなふうにして‘まっさらな人間’をスクリーンに登場させる。名前や仕事(地位)がないというだけで、人は人として認められないのだろうか? 名前や仕事(地位)があるというだけで、人は血の通った人間であるといえるのだろうか? 彼は‘過去のない男’を通じて、人間とは何かという根元的な問題に疑問を投げかける。そして紋切り型に則って過去を蒸し返すことよりも、今ここにある現実、そして未来にこそ大いなる関心を抱いているのだ。
 やがて過去のない、まっさらな男のコンテナ暮らしの人生は、拾ってきたジュークボックスから聞こえてくるブルースやロックンロールといった‘音楽’、港湾地区での慈善活動に従事している救世軍の女性職員イルマ(彼女も隠れロック・ファン!)との‘恋愛’といった、人間の根元的な感情を揺り動かすものを糧に、次第に血の通ったものとなっていく。やがて男は着古した革の上着を脱ぎ捨て、ジャケットの下には真っ赤なシャツをのぞかせるようになるのだ。そして、型どおりの音楽しか演らなかった救世軍の楽団にアップビートの曲を演奏させることに成功し、最後には自分の恋も実らせてしまう。また、映画史上最も道徳的な(!)銀行強盗、互いに‘過去’の判例を読み上げるだけで会話を成立させてしまう刑事と弁護士など、人間性や常識にあまりにこだわるがゆえに、思わず吹き出してしまうほど非常識に見えるユニークな人物を次々に登場させることによって、人間社会における‘過去のない男’のいる位置が際だってくる。
 自分の‘背後’に十分注意を払っていなかったために暴漢に殴られ、記憶を失ってしまった男が、それ以来敢えて後ろ(過去)を振り返らなくなったために、躓いてばかりの人生に弾みがつくというカウリスマキ的皮肉。こうしてこの作品ではしっかりと今を、そして未来を見つめ、前を向いて人生を歩き続ける男(人間)が誕生する。
 ‘過去のない男’の生き方そのものが、まさにリストラや失業の波が押し寄せている今の時代にこそ求められる人生訓のひとつであるに違いない。しかしカウリスマキは、それを決して声高に訴えるのではなく、どこかとぼけた調子で独自の世界観を展開させながらも、観る者の心に静かに、しかし確実にこころに届く作品として提示している。きわめて同時代的な映画として。

ストーリー



 どこからかやってきた、闇の中を走る列車。客席には巻き煙草を手にしたひとりの男(マルック・ペルトラ)。彼はやがて夜のヘルシンキに流れ着く。たどり着いた公園で、彼は突然暴漢に襲われ、身ぐるみ剥がされたうえ、瀕死の重傷を負う。財布は空に、身分証明書はごみ箱へ。血まみれの男はかろうじて人気の残る夜の駅までたどり着くも、そこで意識を失ってしまう。
 深夜の救急病院。男は全身を包帯で巻かれている。脈拍は弱り、やがて心電図は死亡を伝える。午前5時12分、名前もわからぬまま男は死亡宣告を受ける。ところが、医師たちのいなくなった病室で彼の意識は突然戻るのだった。
 男はいつのまにか港のそばの岸辺に倒れている。港湾のコンテナに住む一家に助けられた男は、なんとかスープを口にするまでに回復する。しかし彼には過去の記憶がなくなっていた。かつての仕事も、住んでいた場所も、そして自分の名前すらも。そんなことはよそに、コンテナに住む人々の生活は淡々と過ぎて行く。規則正しく、慎ましやかな市井の人々の暮らし。青空の元には洗濯物がはためき、食事は厳粛で、父親のために息子たちはシャワーの準備をする。男もやがてその静かで緩やかな生活の中に取り込まれていく。
 金曜日。それはそこで暮らす人々にとって特別な日だ。救世軍の計らいよりスープが振るまわれるから。コンテナの主人ニーミネン(ユハニ・ニユミラ)は、とっておきの服装をして男を連れ出す。牧歌的な曲の演奏の元、多くの人々にスープが施される。そこで男は、スープを取り分ける救世軍の女イルマ(カティ・オウティネン)と運命的な出会いをする。
 ニーミネンは男をカフェに誘う。金曜日は給料日でもあるから、妻のカイザ(カイヤ・パカリネン)に知られることなくビールが楽しめるのだ。しかし彼は、自分がアルコールを受けつけられるかどうかもわからない。覚えているのは、自分が列車に乗ってこの街に辿り着たということだけ。そんな男にニーミネンは「人生は後ろには進まない」と進言する。
 一方、イルマの生活もいつものように進んでいく。深夜の帰宅の後、いつものナイトウエアに着替えると、あとはお気に入りのロック音楽を聴いてベッドに入るだけ。それはイルマに限らず、そこに住む人々の生活そのものだった。
 ある日、コンテナの管理をする警官アンティラ(サカリ・クオスマネン)がやってくる。
彼は極秘で人々にコンテナを法外な家賃で貸し、私腹を肥やしているのだ。彼に逆らうとその場所で暮らせないので彼らは、しぶしぶながら従っている。見かけない男に目をつけたアンティラは、男に崩れかかったコンテナを週払いの家賃で貸す。やがてその家は周りの人々の好意によって、静かな生活を営むには最適な、居心地のいい家に変わっていく。家の前にはじゃがいも畑が、拾われたジュークボックスからはブルースやロックンロールが、そして彼の周りには多くの友人がいた。
 家賃の支払いの期日が迫っていた。シャツを洗濯し、いつもより少しだけしゃきっとした男は職安に向かう。しかし申請書に社会保障番号も、誕生日も、そしてなによりも名前も書けない男は、職員から受付を拒否される。疲れ果てて一軒のカフェにたどり着く男。ポケットには出がらしのティーバッグ。お湯だけをもらい、香りも失せたお茶を飲む。しかし店主は男を思いやり、残り物であつらえた食事を提供する。人の暖かさに触れた男はその足で、救世軍の事務所へと出向く。着替えを準備してあげるからと、イルマから住所を聞いていたのだ。イルマは男のための洋服を見繕い、身の上を知った彼女は救世軍の仕事を斡旋する。
しかし、救世軍での給料の前に家賃の支払い期日がやってきてしまい、期日がきても支払いのない男に腹を立てたアンティラは、出張中の見張りの代理としてハンニバル(タハティ)という犬を置いていく。獰猛な犬だと説明する横でハンニバルは、まるで自分の家のようにすっかりくつろいでいる。
 イルマに密かな思いを寄せる男は、終業時を見計らって彼女を待ち、家まで送り届ける。
はじめてのくちづけを交わすふたり。別の日、家にイルマを招待した男は彼女に手料理を振るまい、まるでずっと愛し合っていたカップルのように、抱き合うのだった・・・。

スタッフ

監督:アキ・カウリスマキ

キャスト

カティ・オウティネン
マルック・ペルトラ
アンニッキ・タハティ

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