原題:Sous le Sable

2001年トロント国際映画祭招待 2001年サンセバスチャン国際映画祭出品 2002年セザール賞作品賞・監督賞・主演女優賞ノミネート

2001年/フランス/95分/カラー/35mm 配給:ユーロスペース

2003年03月28日よりビデオ発売&レンタル開始 2003年03月28日よりDVDリリース 2002年9月14日よりシネマライズにて独占公開

公開初日 2002/09/14

配給会社名 0131

解説


マリーとジャンは幸せに連れ添って25年になる50代の夫婦。毎年夏になるとフランス南西部のランド地方にヴァカンスに出かける。今年もまたランドにやってきたふたりだったが、マリーが浜辺で午睡する間に海に入った夫は、手がかりひとつ残さず消えてしまう。事故なのか、失綜なのか。それとも自死なのか。幸福な日常を波にさらわれ、喪失の深い溝におちていくマリー。しかし彼女は、透徹なまでの心の旅を経てありのままを享受し、不変的な愛を引きよせる。やがてそれは万物となって、彼女のなかの隅々にまで満ちていくのだった・・・。

●愛するものを突然失ったとき
永年連れ添った、かけがえのない伴侶を突然失ったことで引き起こされる、耐えがたいまでの苦悩と哀しみを、いかに受け容れればよいのか。この最も切実で普遍的なモチーフを探求した『まぼろし』は、シンプルで類い稀な美しさ、主演のシャーロットランプリングの驚嘆すべき名演ゆえに公開されるや全世界で絶賛を浴び、フランスで70万人を動員、アメリカでもフランス映画としては異例の150万ドルの興収を上げた話題作である。監督のフランソワ・オゾンはこれまで、“欲望の挑戦者”“タブー侵犯者”といったキャッチに形容されるように、センセーショナルなイメージで語られることが多かった。しかし、『まぼろし』では一転して絶頂期のアントニオーニやジョゼフ・ロージーの傑作群を想起させる円熟した語り口で、ひとりの中年女性の内面へ深く分け入ってい<。その揺るがなき透徹したスタイルは、観る者にあたかも彼女の魂の遍歴をそのまま追体験するように促すのである。この作品によって、オゾンは間違いなく、フランスの新世代監督の中でも一頭地を抜いた存在に位置づけられたといえるだろう。 ●オゾン×ランプリングーー奇跡の出会い マリーを演ずるシャーロット・ランプリングは、まだ三十代半ぱのオゾンにとってはまさに生きる神話のような存在。『地獄に堕ちた勇者ども』『愛の嵐』でデモーニッシュな背徳性を強烈に発散させ、世界中を震撼させた少女も確実に歳月を重ね、今や内面的な深みや賜りを全身にゆきわたらせた 大人のエロティシズムを感じさせている。ランプリングがノーメイクで鏡の中の自分の顔をみつめる場面が何度か登場するが、目尻の皺がこれほど切ないまでに美しく映える五十代の女優は、もはや稀であろう。また、ヴァンサンと束の間の情事に耽るシーンで、ランプリングは大胆に裸身をさら すが、そこには自分の肉体に対する慎ましやかな自負すらが色濃く滲んでいる。 一方で、この映画では、デリケートで傷つきやすい神経がむきだしになったような彼女を目撃することになる。そこにはこの作品の通奏低音としてある、イギリスの女流作家ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)のイメージが重ねあわせられている。ウルフは神経を病んで入水自殺をした作家だが、大学で英文学を講じているマリーは、ウルフの代表作「波」の一節を授業で朗読するのだ。 喪の仕事を経てたどりつく、愛の持続性 映画『まぼろし』は、寄せては返す波うち際が、生と死の境界線そのもののメタファーであるような印象をあたえる作品である。オゾンは、初期の中篇『海をみる』でも死出を抱え込んだ海の恐怖を描いていたが、この映画は、オゾンが幼少期に実際に映画の舞台となったランド地方で目撃した事 件を基に発想されたものだという。 古くはカール・テオドール・フライヤー監督の名作『奇跡』から、近年ではラース・フォン・トリアー監督の『奇跡の海』、ペドロ・アルモドバル監督の『オール・アバウト・マイ・マザー』に至るまで、愛するものを失った哀しみを“喪の仕事”として真撃に描いてきた作品は数多く存在する。しかし『まぼろし』では、愛する者を失ったことによって引き起こる狂気が、決して悲惨な現実を回避しようとする退嬰的なものではなく、むしろ、失われた人間的な感情を回復するために不可欠な条件でもあることをも謳い上げている。 映画は後半、夫の死体らしきものが発見されたと警察から通報があり、確認のためマリーがふたたびランドを訪れるシーンを映し出す。損傷が激しい死体はDNA鑑定と歯型から90%ジャンであると説明を受けても、遺品の時計を見せられても、頑なに夫のものではないと主張するマリー。そんなマリーが海岸に出て、初めて辺りをはばかることなく鳴咽する場面の名状しがたい感動は、彼女がジャンの屍士という現実に屈服したのではなく、むしろ愛の持続という天啓をみずから引き寄せた至福感の表明として受けとめられる。シャーロット・ランプリングの女優としてのすべてのキャリアが結晶作用を起こしたような、奇跡的なまでに美しいソーンである。 ●スタッフ、キャスト ジャンを演じたのは、かつてランプリングとは『蘭の肉体』で共演し、フランスを代表する名優でもある、ブリュノ・クレメール。細く引き締まったランプリングの肢体とはまったく対照的に、寡黙で、大木を思わせる巨体が安定感を感じさせ、ふたりがさりげなくキスをかわすシーンなどは、長い歳月をくぐり抜けてきた中年夫婦の屈託のない情景として際立って印象的である。それゆえに、彼の唐突なまでの悲劇が、やりきれない理不尽な苦い記憶となって沈殿することになる。ジョゼ・ジョバンニの新作『父よ』と同様に、ここでも燃し銀のような演技を見せてくれるが、フランス本国では、91年から始まったTVシリーズ『新メグレ警視』のメグレ役として国民的スターの知名度を誇っている。監督は『ホームドラマ』『クリミナル・ラヴァーズ』『焼け石に水』のフランソワ・オゾン。三本の長篇を経て、33歳にして愛の普遍性を描いた『まぼろし』という傑作を生み出すに至った。彼は今年、フランスの8大女優を起用して50年代ハリウッド風ミュージカルにも似た『8人の女たち』を撮り上げ、ベ ルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞する。そしてついに新作「Swimming Pool」で、シャーロット・ランプリングとのコラボレーションが再実現するというニュースも飛び込んできている。 かつて夫と共に生きた海、太陽、そして許された時間。すべてを波にさらわれた妻のたどる先には、空虚な海などではなく、万物に満ちた海そのものがあった。ラストの波打ち際でマリーが見せる柔和で開放された表情が、それを見事に物語っている。

ストーリー


●第一幕ーーそして夫はいなくなったーー
マリー(シャーロット・ランブリング)とジャン(ブリュノ・クレメール)は、幸せに連れ添って25年になる50代の夫婦。子供はいない。長期の休暇がとれると、パリを出、フランス南西部・ランド地方の海辺の別荘で過ごすのが習慣になっている。その夏も例年のように、ふたりはパリから車を走らせる。彼らの間に会話はほとんどないが、長い年月に培われ、信頼感に満ちた空気が、厚い層のようにふたりの時間を支配している。別荘は深い森の中に存在していた。到着まもなく、暖炉に火をくべるため、ジャンは燃料となる木片を探しに庭に出る。朽ちた木の下に群がる蟻の大群をじっとみつめるジャン。やがてふたりは、日が落ちたテラスで簡単なパスタとワインの夕食をとる。ゆるやかで穏やかな時間が、しのびこんだ冷気を溶解していく。翌日、ランドの海岸は目がさめるほどの快晴だった。人気のあまりない浜辺に横たわるふたり。マリーの背中に丁寧にオイルを塗るジャン。マリーはうつぶせとなってまどろむ。ジャンは泳ぎに行く。波も空も穏やかだ。ほんの少しの午睡から目覚めたマリーは、まだジャンが戻ってこないことに気づく。気になりながらも本を手にするマリー。もちろん気もそぞろのままだ。しかしまだ騒ぐ時ではない。やがて思い余って立ち上がり、海を見渡す。しかしいくら見渡しても、そこにジャンの姿はなかった。浜辺にいたドイツ人のカップルに聞いても、ジャンらしき姿は見かけていないと言う。不安は現実のものとなり、マリーの前で世界は急激に倭小化していく。ヘリコプターまで出た救助隊の捜索だったが、ジャンを見つけることはできなかった。夜、マリーはふたり分のコーヒーをあたりまえのように用意する。深夜の物音は、しかし空耳のようだ。いてもたってもいられない彼女は、夜の海岸に出向く口もちろんそこには漆黒の闇と波の音があるだけだ。闇
は幾重にも重なり、マリーを押しつぶす。
数日後、彼女は別荘を出てひとりパリに戻る。その表情は、片腕をもがれた老女のように硬くこわばっている。

●第二幕一マリーのたどる、こころの旅
パリ。マリーの親友アマンダ(アレキサンドル・スチュワルト)の家では、気心の知れた友人たちが集まりディナー・パーティが行われている。しかし、ジャンとの日常生活が続いているかのような会話をするマリーに、友人たちはとまどいの表情を隠せない。アマンダはひとりになったマリーを心配し
て、このディナーにヴァンサン(ジャック・ノロ)という出版社を経営する独身男性を招いていた。ヴァンサンはマリーを一目で気に入った様子で、車で彼女を家まで送り、別れ際に思わずキスをする。軽くあしらうマリー。
帰宅したマリーを「夕食会はどうだった?」とジャンが迎える。マリーはジャンの体を確かめるように寄り添う。翌朝、彼女の願いが叶ったかのようにジャンはまだそこにいた。いつも通りふたりの朝食の儀式が、永遠の時間の中にのみこまれていく。マリーは大学で英文学を教えている。その日の授業で、彼女はヴァージニア・ウルフの小説「波」を朗読する。しかし学生のひとりの顔に気づき、うろたえるのだった。授業は中断される。授業後、その学生が声をかけてくる。「夏、ランドで救助隊の実習をして、ご主人の捜索をしました」と。マリーは「ランドになんか行ってないわ」と強く否定する。帰り道、ブティックで買い物をするマリー。ボルドー色の、ラインの美しいドレス。そして青い瞳のジャンのためのネクタイとシャツ。しかし、クレジットカードでの決済が出来ないと知ると、シャツは諦め、小切手で買い物をする。不信そうな表情を見せる店員。
留守電にはヴァンサンからの食事の誘いのメッセージが入っていた。ジャンが現れる。ヴァンサンがどんな男なのか、マリーを質問攻めにする。うれしそうにかわすマリー。中華レストランでのヴァンサンとの夕食。マリーの過去の理想について、ジャンとの出会い、ヴァ-ジニア・ウルフの小説、そしてウルフが選んだ入水自殺という“美しい死”。時間を忘れさせるような会話が続く。ひとり部屋に戻り、ドレスのままヘッドに横たわるマリー。ふたりの男の4本の腕が、彼女の身体を這う。友人の弁護士ジェラール(ピエール・ヴェルニエ)の事務所。ジャンの死亡が確認されるまで、彼の銀行口座にタッチできないので浪費に気をつけるよう忠告されるが、マリーは「大丈夫、ジャンに相談しておくから」と微笑むばかりだ。
ヴァンサンとの昼下がりの情事。セックスの最中、「何か違うの。あなた軽いんですもの」と言って、思わず笑い出すマリー。とまどうヴァンサン。情事の後、「不倫は初めてなの」と告白する。マリーは軽やかな足取りでスーパーでの買い物をする。しかし自宅に帰ると留守電にランドの警察から不穏な連絡が入っていた。ジャンと思われる水死体が見つかったというのだ。立ちつくすマリー。すぐに思い直してジャンを家中探すが、彼の姿はどこにも見当たらない。夜の街に出るマリー。レストランではカップルが思い思いの時間を楽しんでいる.それを尻目にマリーはファーストフードでひとりの食事をとる。さいなまれる深い孤独感。翌朝のヴァンサンからの電話にもぞんざいな口調で出るのだった。
マリーは引越しをしょうと決意する。不動産屋の案内で紹介された部屋を気にいるも、眼下に墓地が広がっていることに気づき、めまいをおこす。その帰り、病院で健康診断を受ける。帰り際、会計より「ご主人の立替え分を」と催促を受けたことに不信を抱いたマリーは診察を受けたのはいつだったか確認する。それはヴァカンスの直前だった。家に戻り、ついさっきまでジャンがいたかのような、以前と変わらない表情をもつ書斎に入ると、処方箋の書類を捜し出す。薬局でその薬の種類を調べるマリー。
アマンダとの昼食。「ジャンは自殺したのでは?わたしと一緒で不幸だったのでは?」不安と疑惑を初めて口にするマリー。薬はうつ病のためのものだった。ヴァンサンを夕食に招くマリー。彼は暖炉に火をくべ、マリーはテーブルをセットする。穏やかな夜の時間が流れていく。やがてふたりはベッドを共にする。セックスの最中、ジャンが覗いていることに気づいたマリーは、夫に微笑みかける。ヴァンサンは気づかない。深夜、ヴァンサンの横が落ちつかないマリーは、ベッドを抜け出し、ジャンの誉斎で眠る。朝、マリーがそばにいないと気づいたヴァンサンは、慌ててマリーを探す。ジャンの書斎で眠っていたマリーに「もう自分のことを考える時だ」と忠告するが、マリーは取り合わない。「真実を知りたいんだ」というヴァンサンに「あなたには重みがないのよ」と、冷たい態度で突き放すだけだった。
ある日マリーはジャンの母が暮らす施設を訪ねる。「ジャンはうつ病で薬を服用していて自殺したかも」と不安を告白する。一方・義母はその告白を一笑に伏し「病気のことは知っていたわ。自殺でもなくあなたに飽き飽きして失踪したのよ」と冷酷に言い放つ。
 死体確認のためマリーはひとり列車でランドに向かう。別荘は何事もなかったかのように、以前と同じようにひっそりと森の中にたたずんでいる。警察の死体安置所。法学医は、死体の損傷が激しいが、DNA鑑定と歯形から90%ジャンであることは間違し・ないと説明する。死体の腐乱が激しい
にも関わらずそれを見ることにこだわるマリー。しかしその死体を見て動揺は激しくなる。遺物の時計を見ると、これは夫のものではないと、正気を失ったように笑い出すのだった。ひと気のない灰色に沈んだ海岸。季節は冬になっていた。マリーはその砂浜で初めて泣く。ありのままの現実を受け入れ、愛を生きぬくことを決意したかのように。やがて遠くの海岸線に男性のシルエットを見る。マリーの表情が一瞬ほころび、彼女はそのまぼろしに向かって遠く走り出す。やがてマリーの残した足跡が、砂浜にくっきりとした弧を描くのだった。

スタッフ

監督・脚本:フランソワ・オゾン
共同脚本:エマニュエル・バーンヘイム、マリナ・ド・ヴァン、マルシア・ロマーノ
製作:オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ
撮影:ジャンヌ・ラポワリー(第二幕)、アントワーヌ・エベルル(第一幕)
美術:ピエール・ヴァロン、パトリス・アラ
音楽:フィリップ・ロンビ
衣装:パスカリーヌ・シャヴァンヌ
配給:ユーロスペース

キャスト

マリー:シャーロット・ランプリング
ジャン:ブリュノ・クレメール
ヴァンサン:ジャック・ノロ
アマンダ:アレクサンドラ・スチュワルト
ジェラール:ピエール・ヴェルニエ
スザンヌ:アンドレ・タンジー

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