エルミタージュ幻想
原題:Russian Ark
体感する映画、美のジェットコースター
第3回東京フィルメックス・特別招待作品::http://www.filmex.net/ 第55回カンヌ国際映画祭正式招待作品
2002年/ドイツ・ロシア・日本/カラー/96分/1:1.85 配給:パンドラ
2003年09月20日よりDVDリリース 2003年2月22日よりユーロスペースにてロードショー
公開初日 2003/02/22
配給会社名 0063
解説
2002年のカンヌ国際映画祭は、前代未聞の映画の話題でもちきりだった。映画史上、誰もなし得なかった90分ワンカットで、しかも世界の宝物エルミタージュ美術館の内部で撮影された映画が上映されたからだ。その見事な完成度の高さに、集まった世界中の映画人は手放しの賛辞でこの映画<エルミタージュ幻想>を迎えた。日本でも朝日、日経、毎日と全国紙で大きく報道されている。体感する映画美のジエットコースター、過去と現在、うつつと幻想が交叉する。画面外からの声(ソク一口フ自身の声である)として登場する主人公と、実在したフランス外交官キュスティーヌ伯爵をモデルとする人物の二人の案内人に導かれて、エルミタージュの回廊を時が流れるように経巡る間に、ロシア近世・近代300年間の歴史が描かれてゆく。観劇するエカテリーナ大帝、ニコライ1世に謁見するペルシャの使節、悲劇的な最期を迎えるニコライ2世の家族の晩餐、ロシアの歴史を知らなくても、エルミタージュに展示されている貴重な絵画の知識がなくても、エルミタージュという壮大な迷宮の華麗な回廊や内装の数々に、目を奪われ、堪能しているうちに、ラストの豪勢な舞踏会シーンに目を瞠る。ミハイル・グリンカのマズルカをバックに、優雅に展開する大舞踏会。指揮は世界的マエストロのワレリー・ゲルギエフ。演奏は、かつてくキ一口フ>の名で高い人気を誇ったマリーンスキ歌劇場管弦楽団である。そして、くエルミタージュ幻想>のハイライトシーン、舞踏会が終わり帰途に着く人々が、さんざめきながら螺旋階段を下りてくるモブシーン。延々と人々の動きをとらえるカメラに観客は寄り添って、90分ワンカット〈一呼吸>の旅を終える。まさに美のジェットコースターに乗っていたような体感である。この映画を楽しむのに、理屈も知識
の準備もいらない。ただただ、あるがままを素直に〈体感>すればいい。
<エルミタージュ幻想>の企画は、ソク一口フの才能を評価したマーチィン・スコセッシの勧めに、ソク一口フが応えたことにより始まった。それは4年以上前のことだった。夢物語のようだったが、わかりやすかった。実際の時間に合わせて部屋から部屋ヘデジタルで撮影してゆくソク一口フのアイデアは、素晴らしくて、聞いた時には簡単のようにも思えた。編集なし、デジタルビデオ、撮影は一日だけ。これこそ、プロデューサーの夢だと思った」と、ロシア側プロデューサーのアンドレイ・デリャービンは述懐する。もちろんそれは大間違いだった。<エルミタージュ幻想>の製作はかってないほど、困難を極めた。この壮大なプロジェクトが正式にスタートしたのは、2001年4月9日のことであるが、それから、一日だけの本番撮影に向けて、ロシア人とドイツ人とから主に構成された総勢2000人あまりのスタッフ、キャストは、膨大な量の打ち合わせ、下見、リハーサルを繊密に重ねていったのである。まず、ソク一口フは主演のフランス人外交官キュスティーヌ役のセルゲイ・ドレイデンと、役作りに関するディスカッションから始めた。4月23日にソク一口フと撮影のビュットナーは、ソニーのHDW-F900とステディカムを用い、エルミタージュ美術館でテスト撮影を行ない、本番撮影を2001年12月23日と決めた。解決しなければならない技術的問題は残されていたが、4月29日に記者発表。6月19日に、世界的マエストロのワレリー・ゲルギエフが出演を承諾。9月になりロシア文化省の助成金が受けられることになる。一方、ドイツでも資金集めと技術開発が進められていた。
完全なワンカットで撮りきるというソクーロフのアイデアには、技術の支えを必要とした。従来のフィルムでは最長12分までしか撮影できない。必然的にビデオでの撮影を選択。ドイツのHD撮影のスペシャリストグループであるコッパメディアが、移動撮影に適した装置を考案し、物語の進行に合わせて、1300メートルも手持ちで移動しなければならないカメラのための精級な設計図が、脚本に加えられた。ブレずにカメラを動かすにはステディカムが不可欠であった。撮影のティルマン・ビュットナーはその日に備え、ジムでひたすら体力作りに励む。「ラン・ローラ・ラン」でローラの全力疾走をまったくブレずに追えたのは、彼のおかげである。しかし、ブットナーの肉体的負担の大きさをスタッフの多くは撮影終了後まで気付かなかったそうだ。
2001年12月23日、本番撮影は一回で見事に成功した。撮影は光の持続する4時間のうちに行なわれなければならなかった。33ものスタジオに相当する広さの館内は、360度方向のカメラの動きに合わされるように、ダ・ヴィンチやレンブラントといった第一級の美術品が展示されたままの状態で、同時に万遍なく照らされなければならなかった。867人の俳優、数百人のエキストラにオーケストラは3つ、そして、22人の助監督は、それぞれ、正確に位置と動きを覚えていった。技術と芸術がみごとに融合した傑作がここに誕生した。「ロシアとドイツのスタッフが相互的に機能しなければならなかった。アドレナリンが吹き出るような緊張の連続だったが、終わったら、実に単純なものだった。ソクーロフのビジョンがしっかりしていたから、一瞬に凝縮できたのだと思う。すべてが彼の頭の中にあり、90分後にはすべてが<フィルム>の上にあった。映画はカメラが取り仕切ったのだ。時間の流れを正確に映し出した<フィルム〉である」(プロデューサーのアンドレイ・デリヤービン)
<エルミタージュ幻想>は、カンヌ国際映画祭で上映後、2002年の世界の映画界最大の話題となった。公開もドイツ・イタリア・アメリカカナダ・日本イギリスと続々と決まっている。日本はNHKが製作出資をしている関係上、ハイビジョンでの放映後の劇場公開となる。
ストーリー
現代に生きる映画監督(=ソク一口フ自身である)は、自分がエルミタージュにいるのに気付く。「目を開けても何も見えない…私に何が起きたのかは覚えていない」どうやら、彼の姿は周
囲の誰にも見えないようだ。物語は画面外からの監督自身の声と、姿を見せる19世紀のフランス人外交官キュスティーヌとの掛け合いで進んでゆく。夢なのか、幻影なのか。若い男女がはしゃぎながら宮殿の中に入ってゆく。監督はキュスティーヌと一緒に、激動のロシアの過去と現代を行き来する、不思議な時間旅行をすることになった。2人は、はしゃぐ男女を追いかける。するとピョートル大帝が将官に体罰を加えているところを目撃する。きらびやかな劇場を抜け、ラファエロの回廊の先には、監督の友人がいた。2人はこの友人たちをはじめ、盲目の女性、絵のまわりでおどる初老の女性などと芸術論をたたかわせてゆく。第2次大戦がもたらした傷を目撃したあとに彼らはエカテリーナ大帝に遭遇する。慌しく走って行<彼女を追うが、距離は縮まらない。一般人は彼女に追いつけばしないのだ。冬宮では、ペルシャの使節団がニコライ1世にロシア人使節団殺害を謝罪する謁見式が行われている。そこを「うるさい」と追い出されたキュスティーヌは会食の準備をしている部屋に行くが、見事な食器に対する講釈を述べる。しかし再び「邪魔だ!」と、召使たちに追い出されてしまう。明りのない部屋では、歴代のエルミタージュの館長たちが語り合っている。ニコライ2世の家族が午後のお茶の時間に談笑している。妻のアレクサンドルの不安げな様子から革命が迫っているのがうかがえる。キュスティーヌとはなれ離れになってしまった監督は大広間に迷い込んでしまう。そこでは着飾った紳士・淑女・軍人でひしめきあって、今まさに大舞踏会が始まろうとしている。オーケストラの指揮はワレリー・ゲルギエフ。ようやく監督はダンスを楽しんでいるキュスティーヌを見つけると、彼に「先に行こう」と誘う。しかし彼は拒否するのだった。
「この先に何がある。私は残る」
舞踏会が終わり、数多くの人々が長い階段をさんざめきながら降りてゆく。
「周りは海だ。私たちは永遠に泳ぎ、永遠に生きるのです」
なお、フランス人外交官キュスティーヌ伯爵は実在した人物(1790-1843)で、職業としては軍人・外交官であったが、大した功績は残さず、文筆家としては知られた。「1839年のロシア」
(1843年パリ刊)という旅行記を著し、その中でロシアを痛烈に批判したために、ロシア国内では、長く禁書になっていた。
スタッフ
監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ
共同脚本:アナトリー・ニキーフォロフ
撮影:ティルマン・ビュットナー
キャスト
セルゲイ・ドレイデン
マリア・クズネツォワ
バレリー・ゲルギエフ(特別出演)
LINK
□IMDb□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す
http://www.russianark.spb.ru/eng/index.html
ご覧になるには Media Player が必要となります