リーベンクイズ
原題:JAPANESE DEVILS a.k.a. RIBEN GUIZI/日本鬼子
実に憎むべき、わたくしであります。
2001年トロイア国際映画祭シルバー・ドルフィン賞受賞 2001年ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭特別賞受賞 2001年ベルリン国際映画祭正式出品 2001年トロント国際映画祭正式出品
2001年/日本/16mm /カラー/スタンダード/160 分 配給:「日本鬼子」製作委員会、イメージフォーラム
2002年8月3日より23日までシアター・イメージフォーラムにてモーニングショー公開 2001年12月8日よりシアター・イメージフォーラムにて公開 2002年1月大阪シネ・ヌーヴォにて公開 2002年2月京都みなみ会館にて公開 2002年1月12日(土)より名古屋シネマスコーレにて公開 2002年札幌より新春公開 他、順次全国各地で公開予定
公開初日 2002/08/03
公開終了日 2002/08/23
配給会社名 0250
公開日メモ 実に憎むべき、わたくしであります。
解説
戦争は、いつも私たちの隣にある
世界の各地で、今なお繰り返されている悲惨な戦争。平和と世界有数の経済繁栄を謳歌する日本も、20 世紀前半まではその当事者であった。
第一次世界大戦以降、大日本帝国は世界屈指の軍事強国として、また、アジア唯一の帝国主義大国として、東アジア・西大平洋の覇権を列強各国と争っていた。
1931 年9 月、日本は帝国主義的な国家エゴイズムを貫徹するために、中国東北部を占領し、中国の主権回復、民族解放を武力で圧殺する侵略戦争を開始した(満州事変)。
やがて、この侵略の対象は中国全土(日中全面戦争)、そして東南アジア・太平洋へと拡大していった(アジア太平洋戦争)が、1945 年8 月15 日、日本はポツダム宣言を受諾、連合国に無条件降伏した。
その15 年間、日本の中国に対する武力侵略は間断なく継続、それに伴い戦争は拡大・膨張し、そして破綻した。その意味から一連の戦争を総称して日中15 年戦争という。
長年にわたる教育によって、天皇と日本国家を絶対視する観念(皇国史観)を植えつけられ、軍国主義的、排外主義的な心情を強固に抱かされていた日本の国民の圧倒的多数は、この戦争を支持し、時には熱狂さえして戦争に協力した——- 。
こうした事実は、日本だけのものではなく、その思想こそ違うものの、現在戦争が行われている世界中の国々がまさに直面していることなのだ。
証言者:おじいちゃん達が死んだら、封印されてしまう現実聖戦の名のもとに銃を握らされ、中国・アジアの大地を軍靴で踏みにじったのは私たちの祖父や父であった。
この戦争を通じて、日本の国民は大きな被害を被ったが、一方で天皇の軍隊は大和民族の優越性を誇り、民族的偏見をもって中国・アジアにおいて大量・無差別の虐殺、暴行、拷問、破壊、生体実験、化学細菌戦、強制連行など幾多の反人道的な行為(戦争犯罪)を犯していた。
日本の敗戦から半世紀以上が経過し、戦後生まれの人口も3 分の2 を占めるようになった今、かって大日本帝国が行った侵略戦争、天皇の軍隊が犯した戦争犯罪を、日本人自らが直視し、検証することなく、その 責 任と反省を曖昧にしたまま、戦争への認識は風化、忘れ去られようとしている。
「自国の歴史と向かい合おうとしない日本人」という海外からの批判をどのように受け止めていくのかに、未だにその答えは見いだされていない。その一方で、侵略や加害の歴史的事実を歪め、否定し、戦争を美化したり肯定するような動きもみられる。
21世紀を迎え、私たち日本人は自らが行った侵略戦争の実態を正確に把握し、認識する義務がある。あの時代に、ごく普通の人たち、私たちの祖父や父が、どのようにして侵略戦争の実行者となり、そこで何をしたのかを、今こそそれを知る最後の機会なのです。
戦争体験者の高齢化が進む中、戦争を知らぬ世代が戦争の実体験に触れる機会には、すでにタイム・リミットが迫ってきている。そんな今だからこそ、ここに記録された14 名の証言は、貴重なものとなっている。
広島、長崎、沖縄ではない戦争の真実
戦争で酷い目にあったという被害の体験については多くの事が語られてきたが、酷い事をしたという加害の体験が公にされ、深く考察されることは非常に稀である。被害の体験は話し易いが、加害の体験は話し難い。話さないから伝わらず、知られず、臭いものに蓋をするように隠蔽され、消却されていく。
歴史を歪めたり、隠したりすることは次の戦争を生み出すことに繋がる。何をされたかではなく、何をしたのかという側面に目を向けない限り、戦争の実態、人間の弱さと恐ろしさは見えてはこない。加害の体験の中にこそ戦争と人間の真実があり、再び過ちを繰り返さないための貴重な歴史の教訓がある。
自らの戦争犯罪を隠蔽せず、告白する人は世界でも稀である—— 。そのたぐい稀なこの作品を制作するうえで、松井監督が14 名の証言者に依頼したことは、『ここで話してもらうのは、誰かから聞いた、或いは他の人がやっていたという話ではなく、自分が何をしたのかだけを話してもらいたい』そして、『語ってもらう気持ちは、今、振り返ってみてこう思うではなく、戦争に行く前、そして戦争中、まさにその時にどう感じていたのかを語ってもらう』ということだった。そのため、
時にはインタビューが3 時間に及ぶものもあったが、ひとり平均2 時間、14 名約3000 分の真実が、全国各地に住む元皇軍兵士たちの口から語られた。
ラストの衝撃映像は語る
終戦後、国共内戦に勝利した人民解放軍が中華人民共和国を建国した翌年の1950 年、彼ら14 人を含む1109 人の日本人が対中国戦犯として、中華人民共和国の撫順(遼寧省)と太原(山西省)の戦犯管理所に拘禁された。厳罰を覚悟していた戦犯たちは、周恩来の「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という主導により、人道的な暖かい処遇を受けた。
ラスト近く、管理所での彼らの穏やかな生活の様子がかいま見ることが出来るが、これは後になって彼らの元に送られてきたその当時の映像だ。そういった生活を経て、やがて彼らは人間的良心に目覚め、自らの罪行を認め、中国人民に謝罪した。
世界でも類を見ない貴重なドキュメンタリーとしての評価
1985 年に制作された「SHOAH ( ショア) 」(1985 年/フランス/クロード・ランズマン製作・監督)は、ナチス・ドイツのユダヤ人に対する虐殺を、被害者:奇跡的に収容所から助けられたユダヤ人だけではなく、加害者:元ゲシュタポのメンバーや収容所周辺でそれらの事実を傍観していた人々の貴重な証言から浮き彫りにした、世界で初めての作品だった。
570 分という時間の中に治められた“歴史の真実”は、観るものを圧倒し、人間というものを深く考えさせた。そして、この「SHOAH ( ショア) 」と並んで、現在海外で高く評価を受けはじめたのが、中国での加虐の真実を、日本人が証言したこの作品だ。
実際、2001 年2 月のべルリン映画祭フォーラム部門での上映が、海外での最初の上映だったが、その際には地元ドイツの若者達までもが関心を示し、大きな話題を呼んだ。そして、そこではドイツ語字幕で上映されていたが、その上映を観て感銘を受けた日本生まれのアメリカ人女性が、世界中の国々にこの作品を英語字幕で見せることの必要性を説き、自ら英語字幕版を作成。9 月のトロント映画祭でも北米プレミア上映され、中国系アメリカ人の観客から「祖母から日本軍の話は聞いて知っていたが、この作品を観て、彼らがしたことを責める気持ちよりも、人間として、こうして事実を証言してくれたことに深く感謝する」というコメントが寄せられた。
東京でも、9 月5 日に外国人記者クラブにて約100 名が集まる試写が行われたが、「日本人がカメラの前でこういった証言をしたことは極めて珍しく、これを記録しているこの作品は極めて価値がある」という高い評価を得た。
「侵略戦争の責任を明確にし、その実態を次の世代に伝えていくことが、その実行者であった自分たちの役目であり、加害者としての贖罪である」と、勇気ある告白を続けてきた元皇軍兵士たちの想いを、若い世代をはじめとして、現代に生きる世界中の人々に伝えることが、この作品の大きな課題だ。そして、政治的、思想的な背景はまったく関係無く、『戦争というものは、良いも悪いもない、人を殺さなければならないものなのだ。これからもどんな状況が来るかわからないのだから、そのためにも良く人間というものを知っておくべきだ』という監督のメッセージが込められている。
ストーリー
この作品は、日本が本格的な侵略戦争を開始した1931 年の満州事変から、日本の敗戦までの日中15 年戦争の軌跡と世界情勢を追いながら、中国大陸で侵略戦争の実行者となった元皇軍兵士14 人を日本の各地に訪ね、自らが行った加害行為の告白を記録している。
彼らの生い立ち、学歴、職業は様々であり、軍隊での経歴も陸軍ニ等兵から下士官、将校、さらに憲兵、軍医と多岐にわたる。中国人を人間とみなさず、虫けら同然の感覚で平然と生体解剖、細菌実験を繰り返した軍医、七三一部隊隊員。
自らの功績、名誉のために数々の残忍な拷問、大量処刑を行った憲兵。軍隊では、上級者(古兵)の下級者(新兵)に対する徹底した私的制裁によって、「上官の命令は天皇の命令である」という日本軍特有の軍隊機構をたたき込み、人間性を喪失し、上官の命令に盲目的に服従する兵士たちが作り出されていった。
初年兵教育では生きた人間(中国人)を標的にして、銃剣で刺し殺す実的刺突という殺人訓練が頻繁に行われ、やがて兵士たちは人を殺すことに無感覚になっていった。
日本軍が共産党八路軍の根拠地に対して行った掃討作戦は、住民の集団殺戮、生活基盤の徹底的破壊を目的とし、中国側が「三光」(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)と名づけた情容赦のないものであった。
部落への無差別砲撃、兵士・農民の区別なしの殺戮、捕虜の拷問と虐殺、食料・家畜の略奪、生活器具の破壊、放火、そして婦女子への強姦とその後の殺害、面白半分の殺人ノノノ。このような行為が日常的に行われていた。
「物の一つも奪えない、女を見て強姦できない、人を見て殺せない。そんな兵隊は戦友から仲間外れですよ」
日米開戦によって国内の労働力不足に直面した日本は、軍による中国人狩り(労工狩り)を行い、日本へ強制連行した。
その数約4 万人。牛、豚並みの扱いに、途中で死亡した中国人が多数いた。
やがて、米軍の圧倒的物量の前に南洋諸島での玉砕が相次ぎ、日本の敗色は決定的となっていく。中国戦線では、そんな日本の情勢を知らぬままに、中国人を地雷探知機がわりに使っての物資運搬、強制連行した中国人農民に対する作戦秘匿のための大量殺害などが平然と行われていたが、食料不足からついに人肉事件も引き起こされた。
終戦で、この作品の証言者14 人のうち2 人は中国国民党軍に加わり、1949 年まで人民解放軍(中国共産党軍)と闘った。12 人はシベリアに抑留され、強制労働に科せられた。
国共内戦に勝利した人民解放軍が中華人民共和国を建国した翌年の1950 年、彼ら14 人を含む1109 人の日本人が対中国戦犯として、中華人民共和国の撫順(遼寧省)と太原(山西省)の戦犯管理所に拘禁された。
厳罰を覚悟していた戦犯たちは、周恩来の「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という主導により、人道的な暖かい処遇を受けた。やがて、彼らは人間的良心に目覚め、自らの罪行を認め、中国人民に謝罪した。
「なんと人間性を無くした残忍な姿であったということが、ひしひしと解ります。実に憎むべき私であります」
1956 年、敗戦から11 年後、中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷で、病死、自殺を除く1062 人中45 人だけが起訴され(判決は死刑、無期はなく禁固8 年から20 年で抑留、勾留期間が算入され、殆どが満期前に釈放されている)、残り1017 人は起訴免除、即時釈放という寛大な処分を受け、日本への帰国が許された。
ところが、日本で彼らを待ち受けていたものは、<中共帰りの洗脳組>という偏見であつた。公安、警察から監視され、就職にあたっても様々な嫌がらせや妨害を受け続けたため、その暮らしは、とてもかの地で夢見ていた平穏な生活どころではなかった。
しかし、彼らは数奇な体験から得た反省をもとに、再び同じ過ちを犯さぬために、自らが行った侵略戦争の実態、残虐な加害の真実を語り続けてきた。それには様々な葛藤の克服、たいへんな勇気が必要だった。
「うちの女房がびっくり仰天しましてね。正義の戦争に行って、無垢の住民を殺してきたなんて思いもしないから。ここまで言う必要があるのか、黙っていればわからないこと、自分の恥になることをなんで言わなければならないのかって」「みんな喋れない、喋らない。良心に苛まれているのか、罪の意識はあるのか。戦争ではこんなことは当たり前だと思って、忘れてしまっている。そのことが怖いんです」
時の流れと無関心・・・・・しかし、彼らの贖罪に終わりはない。..「過去に目を閉ざすものは現在も見えなくなる。
非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、又そうした危険に陥る」元西独大統領・ワイツゼッカ−
スタッフ
製作・監督:松井稔
製作・撮影:小栗謙一
ナレーション:久野綾希子
音楽:佐藤良介
制作補:花井ひろみ
制作協力:中国帰還者連盟葫蘆島を記録する会
制作:「日本鬼子」製作委員会
英語版字幕:リンダ・ホーグランド
配給・宣伝:「日本鬼子」製作委員会
配給・宣伝協力・問い合せ:イメージフォーラム
キャスト
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