原題:Lumumba

1960年コンゴ動乱 −−打ち砕かれた革命家の理想は、永遠となった・・・。

2000年カンヌ国際映画祭監督週間正式出品作品 2000年トロント国際映画祭出品

2000年9月27日ベルギー初公開

2000年/フランス・ベルギー・ドイツ・ハイチ/カラー/ ヴィスタサイズ(1:1.85)/35mm/115分/Dolby SR 配給:アルシネテラン

2002年2月8日ビデオ発売&レンタル開始 2001年9月15日(土)よりBOX東中野にて独占ロードショー

公開初日 2001/09/15

配給会社名 0013

公開日メモ パトリス・ルムンバ−−−1960年にベルギーの植民地支配 から脱し、独立を果たした後のコンゴ初代首相である。わずかな在位にもかかわ らず、その人気は今も衰えることなく、世界中に信奉者がいると言われているル ムンバ。そんな彼を知るラウル・ペック監督も幼少時代にコンゴで過ごし、故国 ハイチでは文化大臣を務めたこともある彼が綿密な下調べに裏打ちされた解釈に ドラマ性をもたせた脚色とドキュメンタリータッチの手法がルムンバ暗殺の真相 を探る『ルムンバの叫び』。

解説



コンゴの英雄パトリス・ルムンバ——真実の物語
2001年1月16日、コンゴ民主共和国(旧ザイール)のカビラ大統領が護衛官に射殺されるというニュースが飛び込んできた。30年以上も独裁を続けた当時のモブツ大統領を97年に追放し国民の支持を集めたカビラ大統領であったが、98年からは周辺6カ国を巻き込んだ内戦が泥沼化していた折の出来事だった。そして今、コンゴの政治情勢はいっそう厳しさを増している。
そんなコンゴにかつて、志半ばにして命を奪われた1人の英雄がいた。パトリス・エメリー・ルムンバ——60年にベルギーの植民地支配から脱し、独立を果たしたコンゴの初代首相である。
わずかな在位にもかかわらず、その人気は現在も衰えることなく、世界中にルムンバの信奉者がいると言われている。
田舎の一郵便局員にすぎなかったルムンバは、上京後、その巧みな話術と真のコンゴ独立への熱意によって、民衆の強力な支持を獲得していった。しかし妥協という言葉を知らないこの革命家は、やがて旧宗主国ベルギーをはじめ、国連など列強国の利害関係の渦に巻き込まれ、かつての仲間たちからも見放されていくことになる。
本作は今なお語り継がれるルムンバの生涯を、決して歴史上の英雄としてではなく、またセンチメンタルな回想でもない、極力脚色を抑えたドキュメンタリータッチの手法で描いている。ルムンバと彼をとりまく人々との間で繰り広げられる、ぎりぎりの駆け引きや牽制、陰謀や策略はまさに現実と見まがう程のリアリティを感じさせる。今なお闇の部分を残しているルムンバ暗殺の真実が今明らかになる。

ハイチを代表するラウル・ペック監督——渾身の一作
綿密な下調べに裏打ちされた解釈に基づき、ドラマ性を引き出しながらも事実に即したルムンバ像を作り上げたのは、1963年からの幼少時代をコンゴで過ごしたハイチ出身の実力派ラウル・ペック。ハイチで文化大臣を務めていたこともあるペック監督は、91年にはルムンバにまつわる人々へのインタビューを集めたドキュメンタリー”Lumumba−La Mort d’un prophete ルムンバ—予言された死”を発表、見事モントリオール国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞の他、世界中の映画祭で多数の賞を獲得した。首相就任後、自らの理想を全うすることなく暗殺されたルムンバの悲劇の生涯を綴った本作は、ペック監督が長年温めてきた入魂の一作であると言える。 
ルムンバの死から40年以上経った現在も、コンゴは依然、緊張関係の中にある。この時期にルムンバという人物を改めて検証することは様々な問題を提起するものでもあり、本作は2000年カンヌ国際映画祭の監督週間に正式出品され、大きな話題となった。

ルムンバを体現、迫真の演技のエリック・エブアニー
理想に燃える熱血漢ルムンバを演じるのは、セドリック・クラピッシュの『猫が行方不明』(96)でデビューし、最近ではジャン・ベッケルの『クリクリのいた夏』(98)にも出演したエリック・エブアニー。革命家の顔を持ちながらも、一方で家族を愛するルムンバを演じ、その迫真の演技で堂々の主演を果たした。その他、オリヴィエ・アサヤス『イルマ・ヴェップ』(96)や『ラスト・ハーレム』(99)のアレックス・デスカスもモブツ大統領役で出演している。

ストーリー



1961年1月。アフリカのサバンナの夜は、奇妙でおぞましい光景によってかき乱された——恐れと酒に酔った2人の白人が、血の跡に染まった袋に包まれた3つの死体を片付けようとしていた。ジョスパー・オキト、モーリス・ムポロ、そしてパトリス・エメリー・ルムンバの死体の痕跡を残すことは許されなかった。しかし闇の中、・・彼らが人生も死も否定しようとした男の声がわき上がってくる…。

1957年。冷戦と東西の”壁”の対立に直面した世界では、自由闘争と独立要求の動きが活発化し、植民地時代の終焉を告げていた。コンゴはベルギー領であった。”レオポルドヴィル”はまだ”キンシャサ”とも”スタンレーヴィル キサンガニ”とも呼ばれていなかった。
パトリス・ルムンバは32歳であった。滑稽なくらい軽蔑的な状態での”進歩した人間”として、植民地行政によって育てられたこの若き郵便局員は、自由と統一を果たすコンゴの未来への、意志と信仰に奮い立っていた。

 やがてルムンバは、郵便局の金庫から政治活動資金を横領したとして刑務所へ送られた。しかし、思慮深いベルギー人ビジネスマンは、”ポラール”ビールの商業管理を任せるためにルムンバを出所させた。彼の演説者そして戦略家としての才能は、”ポラール”ビールを成功に導き、とりわけ首都でのルムンバ人気を増長させた。次第にルムンバの友達や支持者が増えていき、その中には、公安軍書記で記者志望のジョゼフ・モブツがいた。
 しかしカサヴブやチョンベといったコンゴ独立における著名人と比較してみると、”コンゴはアフリカにおいて、自らの運命を真に司る統一国家でなければならない”というルムンバの主張は、波風を立てるものでもあった。

 1959年。レオポルドヴィルでの暴動の後、若き王ボードゥアンはコンゴの独立推進を約束した。その後スタンレーヴィルが混乱に陥ると、ルムンバは逮捕され、虐待を受けた後隔離された。
しかし、コンゴの連合政党によって釈放されると、独立へのプロセスを話し合うブリュッセルでの円卓会議に党を代表して派遣された。これらの交渉はすべてにおいて不利な状況であった。ルムンバはベルギー政府の独立引き延ばし、そしてベルギーと同盟を結んでいるコンゴ人とベルギー人の”アドバイザー”による策動の両方に、同時に立ち向かわなければならなかった。

 1960年。ルムンバと彼の同志は、カサヴブ率いるアバコ党を抜いて、独立コンゴにおける最初の選挙に勝利した。しかし政府の組閣を一刻も早く行いたいルムンバらに対し、ベルギー政府は組閣より報告を促した。
 1960年6月30日、独立式典の会場で、ルムンバはボードゥアン王の家長的なスピーチに、80年にわたる植民地化を喚起させる非外交的なスピーチで対抗した。それは、ベルギー人の耳には、宣戦布告ともとれる発言であった。しかしそれでも、夜のパーティーの時には、まだすべてが可能なように見えた…。
 ルムンバが居を移した”レオ”の邸宅は、まだ前任者の慌しい出発の後が残されていた。ここが、彼が昼夜なく仕事をし、時に妻のポーリーンと時を過ごす場所である。あまりに彼が忙しいので、娘はしばしばカメラの前でポーズをとった。なぜなら”ルムンバの経験”を追いかけるジャーナリストが山のようにいたからである。

 独立の祝祭ムードはすぐに忘れられた。反逆は公安軍で突然起こった。”独立前も後も何一つ変わらない”と言うヤンセン将軍らベルギー将校に軍人たちが反発し、旧体制では拒否されてきた昇進を要求したのだ。しかし国中で、いまだ行政と軍隊は入植者たちの手に委ねられており、交わされた約束は操作と破壊活動に取って代わられた。
 この混乱に乗じて、鉱山資源の豊かなカタンガ州の分離独立を宣言したのが、モイゼ・チョンベであった。

 既に逃げ道がないことは分っていたが、ルムンバは闘った。彼は常に巧妙であったわけではなく、ミスを犯したりもしたが、試行錯誤しながら急場をしのいだ。しかし、議会にいようと、閣議に出席していようと、大使と一緒にいようと、ルムンバは独立と権利という一徹した考えを主張した。

 ルムンバは言葉で闘った。軍人や怒りに満ちた群集に向かって演説をし、安心させ、批判に耐えた。カタンガの独立分離主義者によって、飛行機がエリザベートヴィルへの着陸を拒否された時も、ルムンバはベルギーの軍人や入植者たちの罵声に耐えた。

 反乱は収まらず、パニックは拡大した。ルムンバに残された残りわずかの4ヶ月は地獄だった——ベルギー軍の上陸、国連の介入、暴力、大量虐殺…。そしてついに、最終的な裏切り——カサヴブ大統領はルムンバを解任し、ベルギー政府の後ろ盾を得た軍の新しい実力者モブツはルムンバを追いつめていった。かつての味方や仲間たちは、より有益な同盟を選んだのだった。

 ルムンバは首相官邸で囚われの身となった。首都が大雨に見舞われていたある夜、ルムンバは毛布の下に隠れてどうにか逃亡を果たした。しかし、北部の賛同者たちのもとへと続く道で、モブツの軍隊がルムンバを追いつめて捕らえ、妻と子供も連れ去られた。ルムンバはもう逃げたくなかった。
 ルムンバの苦しい試練が始まった。スタンレーヴィルへ送還される飛行機の中で、軍人はルムンバとその仲間に襲いかかった。ベルギー人のパイロットは視線を背けた。ルムンバが首都に到着すると、コンゴ動乱を取材している記者たちのカメラは、人々が侮辱し苦しめてきた男の悲しみと尊厳に満ちた視線に釘付けとなった。
 1961年1月17日、ルムンバはカタンガに移送され、彼の失脚を宣言した男の手に委ねられた。カタンガ公使や外人傭兵、ベルギー人顧問は、夜のサバンナで行われた最後の拷問、そして死刑執行に立ち会った。そしてその死体と死刑の痕跡は抹消する必要があった…。
 ルムンバは殉教者ではなく、伝説になるはずだった。

スタッフ

監督:ラウル・ペック
監督:ラウル・ペック
脚本:ラウル・ペック、パスカル・ボニツェール
撮影:ベルナール・ルティック

キャスト

エリック・エブアニー
アレックス・デスカス
テオフィル・ムッサ・ソウイエ
マカ・コット

LINK

□IMDb
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http://www.lumumba-lefilm.com/
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