原題:FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS

1971年に発表された伝説のジャーナリスト、 ハンター・S・トンプソンの原作が遂に映画化。 世紀末に風穴を開けるこの作品をあなたは観るのではなく体験する!

1998年/アメリカ映画/カラー/ドルビー・デジタル,DTS,SDDS 118min/スコープサイズ/日本語字幕:林完治/配給:株式会社東北新社 オリジナル・サウンドトラック盤:ユニバーサル・ビクター株式会社

2000年6月23日よりビデオレンタル開始 2000年6月23日よりDVD発売 1999年12月18日より シネスイッチ銀座・関内アカデミーにてロードショー

1998 UNIVERSAL CITY STUDIOS PRODUCTIONS.INC

公開初日 1999/12/18

配給会社名 0051

解説

1971年のアメリカ合衆国は最低な時代を迎えていた。どん底もどん底であった。

ニクソン大統領は未だホワイトハウスで政治を行い、米国軍はベトナムで戦っていた。南カリフォルニア大地震と、ビートルズ解散に拠ってもたらされた集団ショック余波が収まらぬ中、1971年の幕が開けた。この年の締め括りとして、TIMEの表紙を、マン・オブ・ザ・イヤーとして紙粘土で作られた、短気で怒りっぽい表情のニクソン大統領の胸像が飾った。
サンフランシスコの郊外オルタモントで催されたローリング・ストーンズの無料コンサートで、『悪魔を憐れむ歌』にのって若い黒人青年がヘルズ・エンジェルスにナイフで殺傷される事件が起こり、60年代は死んだ。(1971年にこの事件は『ローリング・ストーンズ イン ギミー・シェルター』と言うタイトルで映画化された。)ウッドストックから発せられた「LOVE&PEACE」というメッセージは既に過去の遺物と化していた。
ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、時代と共に死を迎えたのは全員27歳のロック界の神様達であった。ニクソン大統領とエルビス・プレスリーの秘密会合の席で、エルビスは麻薬の秘密捜査官の役を、自らかって出たそうである。
一般大衆に歓迎されたニュースと言えば、チャールズ・マンソンと3人の女性ギャング・メンバーに対して死刑の判決が下りたことであろう。この1969年に起こったテイト/ラビアンカ殺害事件は、フラワー・パワー終焉の前兆となった。60年代に理想とされたものは冷笑される憂き目に在った…そうする他に論理的に納得の行く方法が見つからなかったということだ。少数の人々を憂鬱にさせたニュースではダニエル・エルズバーグの非暴力ゲリラ活動や、『ニューヨーク・タイムズ』及び『ワシントン・ポスト』紙上に掲載された『ペンタゴン・ペーパーズ』からのスクープ、米国国防総省のベトナムでの極秘活動情報がある。この事件後に、ウォーターゲート事件が明るみとなりニクソン大統領が辞任に追い込まれていった。
アメリカン・ドリームはもはや悪夢と化していた。ある真面目なジャーナリストにとって、この事態をまともに報道するのは、『ゴンゾー』の名の元に大げさに表現することだった。

18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクいわく、
「行過ぎも極めれば、知恵の殿堂をも成す」

スポーツ記者のラウル・デュークと彼のサモア人弁護士ドクター・ゴンゾーの二人は、『レッド・シャーク』と名付けられた真赤なオープンカーで、ラスベガスに直結した高速道路をわが物顔で自慢げに走っていた。トランク一杯に幻覚性の人工薬物と植物性“治療薬”を詰め込み、アメリカン・ドリームの実現に向かって荒野の道へと踏み出した。デュークにとっては使命、ゴンゾーにとっては依頼人を守るための聖なる職務義務を果たす旅路かもしれない。『その理由』が何であろうと、二人は走り出した、猛烈なスピードで。
ハンター・S・トンプソンが「1971年は神が創造をしくじった年。」と妙ながら神髄を突いたコメントを残している原作『FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS』は、痛快さとおぞましさの間を行き来しながら失踪する、個人の波瀾万丈な放浪記を更に虹色に脚色した作品であり、今日アメリカの多くの大学で、必読書リストにも名を連ねる文献となった。ゴンゾー・ジャーナリズムは類を見ない文学であり、80年代の「ニュー・ジャーナリズム」の副産物である。
1971年10月10日、発売されたローリング・ストーン誌4周年記年版(第95号)の表紙に狂気と紙一重のラルフ・ステッドマンのイラストと共にハンター・S・トンプソンの秀作が紹介された。翌月の96号に、シリーズ第二部として『FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS』が連載された。アメリカン・ドリーム目指しての過酷な旅路はジャン・ウィナー率いるストレイト・アロウ・ブックス(出版社)の目玉商品に成長し、書評も評論家の拍手喝采を浴びた。トンプソンとステッドマンのコンビでの冒険シリーズは70年代の要となる節目的事件(大統領選、スーパーボール)を押えて、遂には、クリネックスやドレイノーの様なアメリカの時代の申し子的ブランド・ネームの域に達したのであった。
映画化は不可能…いや、向かないと言われ続けた原作の映画化に果敢に挑むのは『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』の奇才テリー・ギリアム。「恥さらしで侮辱的な作品になった事を、心から申し訳ないと思っています。この映画を世に送り出した事で、何をしでかしたか、何を招いたかは定かではありませんが、前もって謝っておきます、、、。」(ギリアム談)。
本作品のプロデューサーは以前にもハンター・S・トンプソンと“THE CURSE OF THE LONO”で一緒に仕事をしたライラ・ナブルシー。またパトリック・カサベッティ(『エマ』『モナリザ』)、ステファン・ネメス、エリオット・ローゼンブラット等もプロデューサーとして関わっている。ギリアムを支えた有能なアーティスト陣は、撮影監督にニコラス・ベコリーニ(『ラスト・エンペラー』(‘87)『魅せられて』(‘96))、プロダクション・デザイナーにはアレックス・マクダウェル(『クロウ−飛翔伝説−』(‘94)『バーチャル・ウォーズ』(‘92))、衣装にはジュリー・ワイス(『12モンキーズ』(‘95)にてオスカーにノミネート。)、編集にはギリアムの作品ほか、無数の作品に名を連ねているレスリー・ウォーカー(『フィッシャー・キング』(‘91)『ガンジー』(‘82)『エマ』(‘96)が参加している。

ストーリー

1971年、ジャーナリストのラウル・デュークとサモア人の弁護士ドクター・ゴンゾーは「レッド・シャーク」と名付けられた真っ赤なオープンカーに乗り込み荒野へと続くハイウェイを時速150キロの猛スピードで走らせていた。彼らの目的は、スポーツ雑誌(SPORTS ILLUSTRATED)の依頼でラスベガスで開催されるオートバイとバギーレースの祭典“ミント400”を取材する事であった。トランク一杯に“治療薬”と称するドラッグ−大麻、コカイン、ペーパーアシッド、アッパーズ興奮剤、笑い薬に泣き薬−を詰め込み彼らは一路ラスベガスへと向かった。超一流ホテルのスィート・ルームに宿泊した彼らは、取材もそっちのけで早速ドラッグを一発キメこんで、フワフワ。ホテルは荒らし放題、ルームサービスは使い放題。とにかくやりたい放題メチャクチャ。前途多難なこの旅の先にあるものは?一見、狂ったような行動を続ける彼らの本当の目的とは...。

スタッフ

監督:テリー・ギリアム
脚本:テリー・ギリアム、トニー・グリソーニ、トッド・デイヴィーズ
アレックス・コックス
原作:ハンター・S・トンプソン
プロデューサー:ライラ・ナプルシー、パトリック・カサベッティ
ステファン・ネメス
エグゼクティブ・プロデューサー:ハロルド・ブロンソン
リチャード・フーズ、パトリック・ワチャスバーズ
撮影:ニコラ・ペコリーニ
プロダクション・デザイナー:アレックス・マクドゥエル
編集:レスリー・ウォーカー
衣装:ジュリー・ワイス
共同製作:エリオット・L・ローゼンブラッド
キャスティング:マージェリー・シムキン
オリジナル・スコア:レイ・クーパー、布袋寅泰

キャスト

ラウル・デューク:ジョニー・デップ
ドクター・ゴンゾー:ベニチオ・デル・トロ
ヒッチハイカー:トビー・マグワイヤ
雑誌社レポーター:マーク・ハーモン
ブロンド・TVレポーター:キャメロン・ディアス
ミュージシャン:フリー
ルーシー:クリスティーナ・リッチ
裁判官:ハリー・ディーン・スタントン
ウェイトレス:エレン・バーキン

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