原題:AMERICAN ACTRESS

あなたはジーン・セバーグという女優を知っていますか?

☆1995年度ロサンゼルス映画批評論家協会賞インディペンデント:実験映画・ヒデオ賞受賞

1995年/スイス・ドイツ合作/82分/ビデオ/カラー

2000年4月25日よりビデオレンタル開始 1999年11月20日より公開

公開初日 1999/11/20

解説

あなたはジーン・セバーグという女優を知っていますか?
サガン原作『悲しみよこんにちは』のセシルカットでコケティッシュな魅カをふりまき、『勝手にしやがれ』でヌーヴェル・ヴァーグの女神となり、天使と悪魔の両面を合わせ持った女優として、世界中を魅了した。しかし彼女の出演作品で印象に残っているのはこの2作品ぐらいで、他はほとんど忘れ去られている。生涯に37本の映画に出演。3度結婚。(3人の夫はそれぞれ監督として彼女の主演作品を作っている。)黒人活動運動の過激派ブラック・パンサーを支援したことからマスコミから攻撃を受けFBlのプラックリストにあげられ、1979年パリの路上に放置された車の中から、全裸死体で発見された.死因はアルコールと睡眠薬の大量摂取で、自殺と発表されるが、その真相は謎のままである。
『ジーン・セバーグ:アメリカン・アクトレス』はジーン・セバーグと親交のあった人々へのインタビューと貴重な未公開映像を中心に構成。登場するのは最初の夫フランソワ・モレイユ、『勝手にしやがれ』のカメラマン、ラウール・クタール、彼女が公民権運動で支持したブラック・パンサーのメンバーなどが、セバーグの知られざる横顔を語る。晩年の彼女の孤独な心の内なども語られ、華やかなスクリーンとは違った素顔が明かされている。

ストーリー

1979年9月8日、パリ郊外で白のルノー車の中から無惨な遺体で発見されたジーン・セバーグ。ゴダールの『勝手にしやがれ』で一世を風靡し、ヌーヴェル・ヴァーグの女神と謳われた彼女の一生は、あまりにあっけない幕切れだった。享年40歳。検視による結果、彼女の死は自殺と断定されるが、20年経った今も、その真相は謎である。
本作品では、セバーグとゆかりのある人々に話を聞き、彼女の足跡をたどっている。それは彼女のデビュー作『聖女ジャンヌ』で、セバーグがジャンヌ・ダルクの足跡を訪ねたのと同じように…。
映画はジーン・セバーグが『聖女ジャンヌ』でオーディションを受けた時の映像や、セバーグ・カット誕生の瞬間を収めた貴重な写真などを織り混ぜ、スターになる前の初々しいセバーグの姿を映し出している。しかしこの作品の撮影中、監督オットー・プレミンジャーから執拗なまでのしごきを受け、続く『悲しみよこんにちは』を最後にプレミンジャーと袂を分かつ。これはハリウッド映画との最初の決別でもあった。しかしゴダール監督に注目され、『勝手にしやがれ』に出演。アメリカ南西部出身の少女は、ヌーヴェル・ヴァーグのアイドルとして見事にスクリーンに復活する。
その後のセバーグのキャリアは順調のように見えた。『聖女ジャンヌ』は失敗作に終わったが、その後ショーン・コネリーやクリント・イーストウッドなどと共演したり、ヨーロッパにおいての活動も続けられた。また作家ロマン・ギャリと63年に結婚。夫の監督第1作品に主演した。しかしブラック・パンサーの活動を支援擾していたことから、FBIに目を付けられ、盗聴、尾行などに悩まされることになる。この頃、セバーグが妊娠したことから、子供の父親がブラックパンサーのリーダーであるとの噂がマスコミに流れ、心労から子供を早産。2日後、赤ん坊は死亡。それらのことからアルコールや薬に依存する日々が続き、病院を転々とする。そして1979年8月29目の夜を最後に消息を絶ち、その10日後、愛車ルノーの中から、遺体となって発見される。
本作では、元夫のフランソワ・モレイユや、『勝手にしやがれ』のカメラマン、ラウール・クタール、そしてエージェント、ボディガードなど、生前のセバーグと親交のあった人々が彼女の思い出を語り、貴重な映像とともに、女優セバーグの知られざる実像に迫っている。

スタッフ

監督:ドナテロ・デゥビニ/フォスコ・デゥビニ
撮影:ドナテロ・デゥビニ
録音:マティアス・クンケル/カルド・デゥビニ
編集:ドナテロ.デゥビニ/フォスコ・デゥビニ
音楽:マーシャル・ソラル/ジャズ&シネマ Vol.1 1959-1964

キャスト

ジーン・セバーグ

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