VANISHING POINT
原題:Vanishing Point
衝撃的な解散宣言から、13 年— Blankey Jet City のラストツアー密着映像が、 ドキュメンタリー映画となり、スクリーンに甦る!
2013/日本/約90 分/カラー/4:3/ステレオ/Blu-ray 上映 配給:ローソンHMVエンタテイメント
2013年1月26日(土)渋谷シネクイント2週間限定レイトショー&新宿ピカデリーほか【期間限定】全国ロードショー!
©2013 WILD CORPORATION Ltd. ©2013 『VANISHING POINT』製作委員会
公開初日 2013/01/26
配給会社名 1284
解説
衝撃的な解散宣言から、13 年—
ブランキー・ジェット・シティラストツアー密着映像が、
ドキュメンタリー映画となり、スクリーンに甦る!
2000 年5 月10 日、8 枚目のアルバム『HARLEM JETS』のリリースと同時にブランキー・ジェット・シティは解散を発表した。内向的で繊細な詩人の魂をもった浅井健一(ヴォーカル、ギター)、骨太の逞しいベースラインでバンド・サウンドを支える照井利幸(ベース)、手数の多いパワフルでエモーショナルなプレイで圧倒する中村達也(ドラムス)。強い個性と高い技量をもった3 人の突出した音楽家たちが、自らの実存を賭けて食うか食われるかの闘いを演じ、刺青だらけの逞しい肉体を誇示する筋金入りの不良たちが、純粋で孤独な少年のこころを歌う。サウンド、演奏、歌詞、個性豊かな3 人のキャラクター、すべてが高い次元で昇華したブランキーの音楽は日本のロック史上画期的なものであり、多くの人たちに強い衝撃と深い感動をもたらしたが、安直なエンタテイメントとは無縁な、妥協のないハードでストイックな姿勢ゆえ、いずれ解散は避けられない運命だったと言えるかもしれない。
同年5 月21 日、ZEPP 札幌を皮切りに、ラスト・ツアー『LOVE IS DIE DIE IS A CHANGE』がスタートする。
7 月8 日〜9 日の横浜アリーナ公演まで、約2 ヶ月をかけて全国12 箇所17 公演をまわるこのツアーこそが、ブランキー最後のツアーだった。。
写真家・映像作家として活躍、PV、ミュージックビデオなどブランキーの映像作品もいくつか手がけていた翁長裕が、このラスト・ツアーへの同行撮影をブランキーのマネージメントに申し入れたのは、解散が発表になってすぐのことだった。青春時代をバンドマンとして過ごし、80 年代初頭の東京のパンク〜アンダーグラウンド・シーンの空気を肌で知っていた翁長は、一切の媚びへつらいなく、本音でぶつかりあい、切磋琢磨しながら己の信じるロックをストイックに追求し続けるブランキーに、彼にとっての「ロックの理想」を見出していた。その最後をどうしても見届けなければならないと思い定めたのである。
「長年彼らの作品に関わらせてもらっていた僕には、この3 人の男達が音楽を通して交わる様が、面白くて仕方なかった。仲が良いとか悪いとか、そんな価値観を超越した人間関係に惹かれていた。最後の横浜アリーナの収録を任された僕ではあったが、やがてラストライブ以外の全てのツアーも記録したくてたまらなくなった。
何故なら、こんなバンドが2 度と現れないことを、容易に理解していたから。残された時間に起こる出来事を、余すところなく残しておくのが僕の役目だと、勝手にそう決めていた」(翁長の手記より)
多忙なスケジュールの合間を縫い、単身ビデオカメラ1 台を担いでツアー全日程に同行した。翁長は横浜アリーナでのラスト公演のシューティングも任されることになり、それは解散後発表されたビデオ作品『LASTDANCE』に結実している。オフショットは一切なし、徹頭徹尾ステージ上のバンドの姿だけを追った『LASTDANCE』は、いわばブランキー10 年の歴史の集大成であり、同時に90 年代の日本のロックがたどり着いた到達点だった。そしてそこに至るまでの長く苦しい過程を追ったドキュメンタリー作品が、翁長の撮影したツアー同行映像を中心に編集され、リリースされる予定だった。これはブランキーというひとつバンドの最後の姿を捉えたドキュメンタリーであると同時に、翁長の私的なロック観を吐露するものになるはずだった。しかしさまざまな事情から作品化は実現しないまま映像は封印され、13 年もの歳月が流れてしまったのである。
そのあいだ、3 人のメンバーはそれぞれに充実した活動を展開していた。ブランキーの影響を受けた若いバンドやアーティストが次々と登場し、シーンを大きく塗り替えてもいた。ブランキーの存在は忘れ去られるばかりか、ますます強まるばかりだった。21 世紀になり、かって人を寄せ付けないような厳しく孤高な存在だったブランキーは、その世界観を広く共有されるようになっていたのである。翁長も映像作家として着々と地歩を固め、機をうかがっていた。
そして2013 年。時は熟した。眠っていた映像の封印がついに解かれたのである。残された膨大な量のビデオから選びぬかれた13 年前の記憶の残像。それが本作『VANISHING POINT』だ。
「あのツアーの映像を出せないままずっと眠らせていたのは、僕にとってある種のトラウマだった。失敗した素材じゃなくて、横浜アリーナに至るまでの3 人の葛藤がちゃんと撮れていたから。ずっと目撃して記録してきたんだから。でもずっとお預けを食っていて、今度こういう機会を与えられた。だから単に映画館にお客さんが一杯来てDVDがたくさん売れて良かったね、じゃなく、彼らの身近にいた人たちやずっと応援していたファンが納得して喜んでくれるもの作りたい。今これを出す意味があったんだな、必然だったんだなと思ってほしい。何度でも見たくなって、そのたびに違うものが感じ取れるような作品にしたいと思ったんです」舞台裏で翁長が目撃したメンバー3 人の素顔。楽屋での3 人のやりとり。ツアーが終われば解散することがわかっていても、決して「ほどほど」で妥協しない。「理想のバンド・サウンド」「理想のライヴ」を求めてやまず苦悩し、衝突し、話し合いを重ねる。そのつどの感情の揺れ、葛藤がライヴ演奏にそのまま反映される。
生身の人間同士がぶつかりあいスパークする、その瞬間のスリルと膨大なエネルギー、感情の爆発。どん底に落ちたバンドがふとしたきっかけで持ち直し、クライマックスに向かって突き進む。ステージ脇からカメラ1台で手持ち撮影した、その映像の生々しさに息を呑む。紆余曲折の果て、たどり着いた横浜アリーナの圧巻のステージ。そのすべてが感動的だ、
あまりにも激しく、熱く駆け抜けたブランキーの10 年間。その最期に燃え尽きた瞬間が、ここに記されている。
ストーリー
スタッフ
監督:翁長裕
企画・制作:イフ
協力:ワイルド・コーポレーション・リミテッド
製作:「VANISHING POINT」製作委員会(ローソンHMV エンタテイメントパルコスペースシャワーネットワーク)
制作:パルコ
配給:ローソンHMV エンタテイメント
キャスト
Blankey Jet City
浅井健一
照井利幸
中村達也
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