原題:Tatarak

2009年/ポーランド/87分/カラー/ポーランド語/シネマスコープ/字幕・資料作成:久山宏一 配給:紀伊國屋書店、メダリオンメディア 配給協力:アークフィルムズ/後援:ポーランド広報文化センター

2012年10月20日(土)岩波ホールにて公開

公開初日 2012/10/20

配給会社名 0736

解説


「なんて美しいこと。生き生きとして‥」

第二次世界大戦下、ソ連軍の捕虜となった多くのポーランド将校が虐殺された「カティンの森」事件。東西冷戦下で永らくタブーとされていた悲劇を描く映画「カティンの森」(07)は、文字通り、ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督の集大成ともいうべき壮大な歴史作品であった。 
この一大叙事詩ともいえる渾身のライフワークの後に、休む間もなくワイダ監督が製作に入り、完成させた本作「菖蒲」は、前作とは打って変わってみずみずしい抒情に満ち、人間の根元的なテーマである「生と死」をとおして、生きることの源泉に触れた文芸映画の傑作である。

「菖蒲を集めるの。明日は聖霊降臨祭だから」

「菖蒲」の原作は、名作「尼僧ヨアンナ」で知られるポーランドを代表する作家ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチの同名の短篇小説である。ワイダ監督は、この小説がもつ深遠なテーマを、映画芸術として見事に昇華させ、あらためて自身の限りない力量と才能を世界に知らしめた。そして2011年ベルリン国際映画祭では、多くの映画人の称賛を受け、「映画芸術の新しい展望を切り開いた作品」に授与されるアルフレード・バウアー賞に輝いた。 

「春が終わって夏到来の祭りよ。命が目覚める」

「菖蒲」は、撮影半ばに、主演のクリスティナ・ヤンダの夫であり、ワイダ監督の盟友でもあった撮影監督エドヴァルト・クウォシンスキの病死によって大きく改変されていった。このことにより完成した映画は大きく三つの世界に分けられ、それらが交差し、織り成すように構成されている。その三つの世界とはイヴァシュキェヴィチ原作の本来の物語、夫が亡くなる最期の日までを語るヤンダ自身によるモノローグ、そして本作におけるワイダ監督の演出風景である。

「忘れているようだね。生はとても簡単に死に転じる」

あまりにも遅く訪れる恋と、いつもあまりにも早く訪れる死——この映画では、春から夏へと移ろう美しい季節のなかで、生のみずみずしさ、若さの輝きとともに、老いや病、そして不慮の事故による死が浮き彫りにされていく。そして本作が描写する生のはかなさや死への不安の背景には、いつも大河が悠々と流れている。その姿は、無常な時の流れのように心に残り、ここには今年86歳を迎えたワイダ監督自身の思いが少なからず反映されているのだろう。

「なんて時代でしょう。でも河は流れていく」

ワイダ監督は、作家ヤロスラフ・イヴァシュキェヴィチ(1884-1980)の小説を好み、これまでに「白樺の林」(1970)と「ヴィルコの娘たち」(1979)を映画化している。いずれも美しい田園風景を背景に、人間の揺れ動く心理を繊細に表現したものだ。ワイダ監督はその理由として、彼の小説が人間の現実にしっかりと根を下していること、登場人物の興味深い性格、恐ろしいほどの孤独感、そしてリアルなディテールを通じて示される人間ドラマなどをあげている。

「夫を愛している。命をかけて愛した」

女優クリスティナ・ヤンダはポーランドを代表する大女優である。日本ではワイダ監督の「大理石の男」(1977)「鉄の男」(1981)などで知られている。「大理石の男」では、歴史の彼方に忘れられた伝説の労働者についてドキュメンタリーを撮る学生を演じ、鮮烈な印象を与えたが、本作では、成熟し、倦怠と諦念を色濃くにじませた魅力的な中年女性マルタ役とともに、実人生で長年連れ添った夫を亡くした彼女自身の痛切な思いを語るというきわめて難しい役どころを見事に演じきっている。

「あんなに激しく泣いたのは、あの時だけだ」

ヤンダが語る「この映画は、去年撮る予定だった。…ワイダには出演は無理と伝えた」で始まるモノローグは心をうつ。彼女が独白する部屋の空間は、アメリカの画家エドワード・ホッパー(1882-1967)の代表作『朝日に立つ女』『朝の日ざし』からインスパイアされてデザインされた。孤独や憂愁、寂寥といった、ヤンダの思いが見事に反映された、この印象的な導入部は、本作が通常のフィクションとはまったく異なった語りの構造をもつことも明示している。

「生きていることが、私は死んでいった人や息子たちに恥ずかしい」

劇中、小説が読みたいという青年ボグシに、マルタが差し出す本は、ワイダ監督の代表作「灰とダイヤモンド」の原作(イエジ・アンジェイェフスキ作)である。「灰とダイヤモンド」は、<ワルシャワ蜂起>で、祖国への報われぬ愛を表明し、無残な死をとげた若きテロリスト、マチェックをめぐる慟哭に満ちた映画だった。マルタのふたりの息子が<ワルシャワ蜂起>で戦死し、夫婦の心に深い悔恨となって影を落とすエピソードは、ワイダ監督の創作である。彼にとっての永遠のテーマ、歴史と悔恨、そして失われた青春——「菖蒲」は、この普遍的なテーマを、みずみずしい描写でより一層深く掘り下げた名作である。

ストーリー


映画は三重構造となっている。マルタ演じるクリスティナ・ヤンダの独白と、映画撮影現場のドキュメント、さらにヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチの原作『菖蒲』を元にした物語が展開する。

 女優のクリスティナ・ヤンダはいま、ホテルの部屋で目覚めたばかりだ。物憂げな表情で彼女は語り出す。「この映画は去年撮る予定だった。わたしはワイダに出演は無理だと伝えた」と。ヤンダがカメラに向かって語るのは、この映画の撮影をする予定だった撮影監督で夫のエドヴァルト・クウォシンスキの深刻な病気の発症と、そこからの死への軌跡、そしてふたりの愛と苦悩の日々についてだった…。

大河を望むポーランドのある小さな町。医師(ヤン・エングレルト)と妻マルタ(クリスティナ・ヤンダ)は長年連れ添ったものの、第二次大戦中のワルシャワ蜂起で二人の息子を亡くしたことが大きな傷となっている。さらに最近、体調がすぐれないというマルタを診断した夫は、妻が重病で余命いくばくもないことを知るが、妻には告白できずにいる。
マルタの体調を心配した女ともだち(ヤドヴィガ・ヤンコフスカ=チェシラク)が遠方から訪ねてきた。久々の再会もそれは、自分の過去の無為な生活を振り返るきっかけにしかならない。そんなとき船着き場のカフェで、マルタは一人の美しい青年を見かける。それはマルタがすでに失った、むせかえるような若さを生きている、輝くような存在であった。そして彼は息子たちが亡くなったのと同じ年頃でもあった。次の日、彼女は河辺で、その青年ボグシ(パヴェウ・シャイダ)を見かけ、つい声をかける。恋人ハリンカ(ユリア・ピェトルハ)との付き合いに不満を抱くボグシの悩みや不満を、暖かい目で見守るマルタ。町を出ることなく、水運技師として人生を全うしようとしている彼に、マルタは本を読み教養を高めるよう勧める。そして一緒に河で泳ぐことを約束するのだった。
午後の太陽を全身に浴び、水着の恥ずかしさも忘れて約束の河辺に向かうマルタは、恋人といるボグシを見かける。そのとたん、水着でいることの恥じらい、その場から逃げるように踵を返すが、それを見たボグシが追いかけてくる。河辺でマルタは河に生息する菖蒲を取ってきてほしいとボグシに頼む。春が終わり、夏が到来することを祝う聖霊降臨祭のための、生命の祝祭であるその祭りには菖蒲が必要なのだ。息を弾ませて河に飛び込むボグシ。2度目に飛び込んだとき、河面に青年が浮かび上がることはなかった…。マルタとボグシの直前の抱擁は、嘘のように消えていく——。

 その河辺の撮影現場で、ヤンダは自身の体験からかひどく動揺し、そこから逃げ出す。雨の中、カメラだけが彼女を追い、その動揺を捉えていく。

 ホテルの一室でのヤンダの独白は続いている。夫エドヴァルトとの最期の夜のことについての。初日の舞台を迎えようという前夜、夫が「今、君に別れを告げて、ここから去ってもいいか?」と言った夜のことを。「あれは、わたしだけの夜だった」という独白が、部屋に呼応する。

スタッフ

監督:アンジェイ・ワイダ
撮影監督:パヴェウ・エデルマン、パヴェウ・ミキェティン
美術:マグダレナ・デュポン
メイクアップ:マルチン・ロダク
音響:ヤツェク・ハメラ
編集:ミレニャ・フィドレル
ポスプロ・コーディネイター:モニカ・ランク
プロダクション・マネージャー:エヴァ・ブロツカ
プロダクション・スーパーバイザー:マウゴジャタ・フォゲル=ガブリシ
エグゼクティブ・プロデューサー:カタジナ・フカチ=ツェブラ
プロデューサー:ミハウ・クフィェチンスキ
製作:Akson studio, Telewizja Polska S.A, Agencja Media Plus
共同製作:Polish Film Institute

キャスト

クリスティナ・ヤンダ
パベル・シャイダ
ヤドビガ・ヤンコフスカ=チェシラク
ユリア・ピェトルンハ
ヤン・エングレルト

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