カティンの森
2008 年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品 2008 年ベルリン映画祭正式出品作品 2009 年東京国際女性映画祭参加作品
2007年/ポーランド映画/122分/R-15/ドルビーSRD/シネスコ/ポーランド語・ドイツ語・ロシア語/字幕翻訳:久山宏一 原作:アンジェイ・ムラルチク「カティンの森」集英社文庫10月下旬刊予定 後援:在日ポーランド共和国大使館(ロゴ)/「日本・ポーランド国交樹立90周年」認定事業 提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
2010年05月07日よりDVDリリース 2009年12月5日(土)より岩波ホールにてロードショー
公開初日 2009/12/05
配給会社名 0012
解説
映画『カティンの森』は、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の数ある作品のうちで最も重要であり、長らく完成が待たれていた作品である。
本作はワイダ監督の両親に捧げられている。ワイダ監督の父親は、第二次世界大戦中の1940 年春、「カティンの森」事件で他のポーランド将校とともにソ連軍に虐殺され、母親も夫の帰還の望みが失われていくなかで亡くなった。監督デビュー間もない1950 年代半ばに、事件の真相を知り、自ら映画化を強く熱望していたが、冷戦下にタブーとされたこの事件は、描くことはもとより語ることすら叶わなかった。しかし冷戦の崩壊とともに、尐しずつ真実が公にされ始め、事件から70 年近くの歳月がたった今日、ついに積年の思いのこもった映画が完成した。
ドイツのヒトラーとソ連のスターリンの密約によって、ポーランドは1939 年9月1日ドイツに、9月17 日ソ連に侵略された。そしてソ連の捕虜になった約15,000 人のポーランド将校が、1940 年を境に行方不明になった。当初は謎とされていたが、1943 年春、ドイツがソ連に侵攻した際に、カティンでポーランド将校の数千人の遺体を発見し、「カティンの森」事件が明らかになった。ドイツはソ連の仕業としたが、ソ連は否定し、ドイツによる犯罪とした。戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは、カティンについて語ることは厳しく禁じられていた。
1989 年秋、ポーランドの雑誌が、虐殺はソ連軍によるものであると、その証拠を掲載した。翌1990 年、ソ連政府は、ソ連の内務人民委員部(後のKGB)による犯罪であることを認め、その2年後、ロシアのエリツィン大統領は、スターリンが直接署名した命令書によって行われたことを公式に言明した。その後、この事件についてさまざまなことが明るみになっていくが、まだ多くの事実が確認されないままである。
映画は、実際に遺された日記や手紙をもとに、「カティンの森」事件の真実を、ソ連軍に捕らえられた将校たちの姿と、彼らの帰還を待つ家族たちの姿をとおして描く。
[アンジェイ大尉とアンナ] 捕らわれたアンジェイと行方を探していたアンナは再会を果たす。しかし逃亡を潔しとしないアンジェイは、他の将校たちとソ連の軍用列車で東へ連行される。一方アンナは苦労してクラクフのアンジェイの両親のもとに戻るが、大学教授の義父はドイツに逮捕され、収容所で病死する…。
[大将とその妻ルジャ] クリスマス。捕虜となった将軍の妻は、夫の不在による孤独をかみしめている。無事の帰還を望んでいたが、1943 年、ドイツが発表したカティンの犠牲者リストに夫の名があった。ドイツは、ソ連の虐殺行為を非難するプロパガンダの文書に署名するように説得するが、ルジャは拒否する…。
[ピョトル中尉とアグニェシュカ] ワルシャワ蜂起に参加したアグニェシュカは、戦後、カティンで発見された兄ピョトルのロザリオを受け取る。彼女は兄の墓碑をつくり、そこに「1940 年カティンに死す」と記した。彼女は反ソ宣伝の罪で逮捕され…。
[イェジ] 捕虜生活のなかで、イェジはアンジェイに自分の名前が入ったセーターを貸す。そのためにアンジェイの死がイェジと間違えられていた。生き残って戦後、親ソ ポーランド軍将校となった彼は、ソ連側の公式見解を繰り返す。しかし大将の妻ルジャに裏切り者と糾弾され、耐えられずに自殺してしまう…。
[タデウシュ] 父親を虐殺されたアンナの甥タデウシュは、レジスタンス活動をしていた。戦後、美術学校入学の手続きに行った帰り、ソ連を受け入れられない彼は、秘密警察を挑発し、警察の車にひき殺されてしまう…。
捕虜となったポーランド将校たちの、国家への忠誠と、家族への愛の狭間での引き裂かれるような想い。戦火の
下、ひとすじの希望をたよりに、耐え忍び、生きる家族たちの不安。幾重にも語られる人々の運命は、戦争に翻弄されるなかで、交錯し、交わり合う。そして悲劇は戦後も終わることなく、ソ連の影響下、社会主義国家となったポーランドは、長い歳月、「カティンの森」事件について国民に沈黙を強い、その真実に触れようとする者たちを厳しく処罰した。本作のラストシーンには、無念の思いで亡くなった多くのポーランド人とその遺族の万感の思いがこめられている。
映画『カティンの森』は、2008 年アメリカ・アカデミー賞外国語映画賞の最終ノミネート作品に選ばれた。同年、ドイツのベルリン国際映画祭にて特別上映され、メルケル首相も出席し盛大に行われた。一方、ロシアでは2008 年サンクトペテルブルグ国際映画祭でクロージング上映されたものの、未だに商業公開の予定はない。
ストーリー
1939 年9月17 日、ドイツ軍に西から追われる人々と、ソ連軍に東から追われた人々が、ポーランド東部ブク川の橋の上で出くわした。前者のなかには、クラクフから夫のアンジェイ大尉を探しにきたアンナと娘のニカ、後者には大将夫人ルジャがいた。アンナとニカは川むこうの野戦病院へ、大将夫人はクラクフへ向かう。アンジェイや友人のイェジら将校たちは、ソ連軍の捕虜になっていた。妻と娘の目の前で、彼らは軍用列車に乗せられ、東へと運ばれてゆく。アンジェイは、目撃したすべてを手帳に書きとめようと心に決める。ソ連占領地域に取り残されたアンナはクラクフへ戻ろうとするが、国境を越える許可がおりない。
同年11 月、アンジェイの父ヤンを始めとするクラクフのヤギェロン大学教授たちが、ドイツ軍に逮捕され、ドイツのザクセンハウゼン収容所に送られた。
同年、クリスマス・イヴ。大将家ではポーランド伝統のクリスマス・ディナーの席にルジャ夫人がつき、娘のエヴァが庭で一番星を待っている。同じ時刻、コジェルスク収容所に閉じこめられている大将や将校たちも一番星が見えるのを待っていた。見張りの兵の合図で彼らもクリスマスの食卓につく。大将は、将来のポーランド再建のための担い手になるようにと部下たちを励まし、全員で聖歌を歌う。
1940 年初め、国境近くの町でアンナとニカ、アンナの兄の妻エルジビェタとその娘ハリンカの4人が、ロシア人尐佐の家にかくまわれている。アンナたちをソ連奥地への強制移住から守ろうと、尐佐は名目だけの結婚をアンナに申し込むが、アンナは拒絶する。すぐにエルジビェタ母子が連れ去られた。しかし尐佐の機転で、アンナとニカはソ連軍の手を逃れた。
春、アンナとニカは国境を越えてクラクフの義母のもとに戻る。義父ヤン教授死亡の報が届くなか、アンジェイの生存を信じる母、妻、娘の3人の女性は、アンジェイの帰りを待ちつづける。
その頃、収容所で発熱したアンジェイは、コジェルスク収容所でイェジからセーターを貸してもらった。そのセーターを着てアンジェイは、大将、空軍中尉ピョトルらと共に別の収容所に移送される。イェジはその場に残された。
1943 年4月、ドイツは一時的に占領したカティン(ソ連領)で、“虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見”と発表した。「クラクフ報知」に載った犠牲者のリストに、大将とイェジの名前はあったが、アンジェイの名はなかった。大将夫人はドイツ総督府に呼び出され、遺品の軍功労賞を返される。そしてドイツがカティンで撮影した記録映画を見せられた。
1945 年1 月18日、クラクフがドイツ占領から解放された。そして物語は新たな登場人物を加えてさらにつづいてゆく。
ソ連が編成したポーランド軍の将校となったイェジは、クラクフのアンナを訪ね、セーターゆえのカティン・リストの間違いを伝えた。夫の死を知ったアンナは気を失う。イェジはその足で、犠牲者の遺品を管理するクラクフ法医学研究所に赴き、学生時代の教授に、アンジェイの遺品をアンナに届けるよう頼んだ。
クラクフの広場では、ソ連側が撮影したカティンの記録映画の野外上映が行われていた。そこで出会った大将夫人から<カティンの嘘>を知らされたイェジは、自らの頭を撃ちぬいた。
エルジビェタの息子で、戦争中はトゥル(原牛の意)の変名で国内軍のパルチザンだったタデウシュがクラクフに現れ、今は写真館で働いている叔母のアンナと邂逅する。美術大学入学を夢みるタデウシュは、高校の校長イレナから、履歴書には父親がカティンで死亡したことを書かないようにと説得される。カティン問題は、ポーランド人民共和国のタブーになっていた。しかしタデウシュはこれを拒否する。
帰り道、国内軍を侮辱する人民政府のポスターを剥がして警察に追われたタデウシュは、大将の娘エヴァに助けられる。束の間に心を通わせた若い二人は、映画を観に行く約束をするが、警察はタデウシュを見逃さなかった。
イレナ校長の妹のアグニェシュカは、国内軍兵士としてワルシャワ蜂起に参加、奇跡的に故郷クラクフへ生還した。アグニェシュカはアンナの写真館で、兄ピョトル中尉の墓碑用写真の修正を依頼し、ついで司祭を訪ねた。司祭は1943 年4 月、ドイツ軍による遺体発掘時に、カティンで葬式を司っていた。
司祭から兄の遺品であるロザリオを受け取ったアグニェシュカは、墓碑の費用を得るために、長い金髪を劇場のかつら職人に売る。妹が兄の墓碑に刻んだ「1940年にカティンで悲劇的な死を遂げた」の文字は、ソ連の犯罪を示すものであった。しかし秘密警察の監視は、すでに教会にまで及んでいた。司祭もアグニェシュカも消えゆく運命にあった。
法医学研究所の助手グレタが、ひそかにアンナの家の扉をたたき、カティンで発見されたアンジェイの手帳を渡す。そこに記されていたのは‥‥。
スタッフ
監督:アンジェイ・ワイダ
原作:アンジェイ・ムラルチク 長編小説『死後』工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』として集英社文庫から10 月刊行予定
脚本:アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
撮影:パヴェウ・エデルマン
編集:ミレニャ・フィドレル、ラファウ・リストパト
製作:ミハウ・クフィェチンスキ
音楽:クシシュトフ・ペンデレツキ
美術:マグダレナ・ディポント
衣装:マグダレナ・ビェドジツカ
キャスト
アンナ:マヤ・オスタシェフスカ
アンジェイ:アルトゥル・ジミイェフスキ
ヴェロニカ:ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ
アンジェイの母:マヤ・コモロフスカ
ヤン(アンジェイの父):ヴワディスワフ・コヴァルスキ
イェジ:アンジェイ・ヒラ
ルジャ(大将夫人):ダヌタ・ステンカ
大将:ヤン・エングレルト
イレナ:アグニェシュカ・グリンスカ
アグニェシュカ:マグダレナ・チェレツカ
ピョトル・バシュコフスキ:パヴェウ・マワシンスキ
エヴァ:アグニェシュカ・カヴョルスカ
タデウシュ〔トゥル〕:アントニ・パヴリツキ
エルジビェタ:アンナ・ラドヴァン
グレタ:クリスティナ・ザフファトヴィチ
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