エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜
原題:Môme, La / LA VIE EN ROSE
そして「愛」は歌い継がれる─ "あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて・・・。"
第65回米国ゴールデン・グローブ賞 最優秀主演女優賞受賞(ミュージカル・コメディ部門) 第80回米アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
2007年2月14日
2007年/フランス/カラー/??分 配給:ムービーアイ
2008年02月22日よりDVDリリース 2007年9月29日(土)より有楽座ほか全国拡大ロードショー
(C)2007 LEGENDE-TF1 INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION OKKO PRODUCTION s.r.o.- SONGBIRD PICTURES LIMITED
公開初日 2007/09/29
配給会社名 0366
解説
愛を生きた世界の歌姫─涙と喝采の物語
”あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて…。”このフレーズは私たち日本人には特に馴染みの深い歌詞であるといえるだろう。戦後の日本の歌姫、越路吹雪の代表曲である。そしてこの名曲「愛の讃歌」の生みの親が、世界の歌姫エディット・ピアフなのである。
1915年にピアフは誕生した。世界は第一次世界大戦の真っ只中である。彼女の母親は路上で歌を歌い、その僅かな収入で彼女を養っていた。やがて、祖母が経営する娼館にピアフは預けられた。この激動の幼少期に彼女は光を一時失ってしまう。失明した彼女に、娼館の女たちは精一杯の愛を注いでいった。そして聖テレーズに祈りを捧げた際に奇跡的に光を回復する。彼女の生涯に渡る信心深さは、この時に生まれたと言われている。
そういった経験が彼女を早熟にし、16歳の時には自立した人生を送るようになった。母と同じく路上で歌を歌い、日銭を稼いでいたが、稼ぎは母親の数倍もあった。その声に目をつけたのがパリの名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレである。ルイは彼女の歌声の虜となり、彼女を自らのクラブの舞台に立たせる事を決意する。この時ルイがつけた彼女の舞台名が”ラ・モーム・ピアフ(小さい雀)”である。この瞬間に伝説の歌姫エディット・ピアフが誕生し、そして世界に羽ばたいていくのである。
このピアフの波乱に満ちた生涯を綴ったのが本作『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』である。本作はフランスで今年2月に公開され、わずか8週で動員500万人を突破。この動員数はフランス国民の約10人に1人に相当する。
21世紀に歌い継がれる「愛の讃歌」
時代を超え、国境を越え、彼女の歌は歌い継がれている。ここ日本も例外ではない。彼女が残した名曲の数々。「愛の讃歌」「バラ色の人生」「水に流して」「ミロール」等をそれぞれの世代が歌い継いでいる。前出した越路吹雪に始まり、美空ひばり、加藤登紀子、美輪明宏、中島みゆき、桑田佳祐、椎名林檎、SOPHIAなど、世代・ジャンルを超えて歌い継がれているのである。
1963年10月に短い生涯を閉じたエディット・ピアフ。彼女の葬儀のためにパリ中から人が集まり、パリの交通網が完全にストップ。パリの交通が麻痺したのは第二次大戦以降初めての事であった。世界の人々に愛され、ジャン・コクトー、マレーネ・デートリッヒと交友を持ち、シャルル・アズナブール、イヴ・モンタンを世に送り出した不世出の歌姫の47年の人生は21世紀になった今もなお、輝きを放ち続けている。
ストーリー
そして「愛」は歌い継がれる─
“あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて・・・。”
哀切と情熱が混在する名曲”愛の讃歌”誕生には、最愛の恋人を飛行機事故で失う悲劇的秘話があった。
1915年、パリ下町の貧しい家庭に生まれたエディット・ピアフが、世界的に有名となり伝説の歌姫になるまでの成功や挫折や熱烈な恋愛など、47年間のドラマティックな人生をオリジナルヒット曲にのせながら描いた、珠玉の”愛”の物語。
スタッフ
監督:オリヴィエ・ダアン
製作:アラン・ゴールドマン
脚本:オリヴィエ・ダアン
イザベル・ソベルマン
撮影:永田鉄男
音楽:クリストファー・ガニング
配給:ムービーアイ
提供:ムービーアイ・エンタテインメント+東宝+テレビ東京+朝日新聞社
キャスト
マリオン・コティヤール
シルヴィー・テステュー
パスカル・グレゴリー
エマニュエル・セニエ
ジャン=ポール・ルーヴ
ジェラール・ドパルデュー
クロチルド・クロ
ジャン=ピエール・マルタン
カトリーヌ・アレグレ
マルク・バルベ
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