俺たち、遠くに来すぎたよ

2001年/韓国/118分/カラー/ヴィスタサイズ/ドルビーSRD/ 共同提供:ポニーキャニオン/テレビ朝日/ニッポン放送/東宝東和/IZENTECH/C.C2000 配給:東宝東和/配給協力:シネカノン/特別協力:Soma Office ノベライズ:文春文庫 サントラ盤:SOOM 特別協賛:マルハン 協賛:大韓航空

2014年9月6日(土)〜9月12日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷にて限定上映 2005年03月02日よりDVD発売開始 2002年09月19日よりビデオ発売&レンタル開始 2002年09月19日よりDVD発売&レンタル開始 2002年4月6日より日比谷みゆき座ほか全国東宝洋画系にてロードショー公開

公開初日 2002/04/06

配給会社名 0002

公開日メモ 『シュリ』『JSA』が持つ記録(約600万人)を半分にも満たない日数で軽々と抜き去り、最終的に800万人を超える観客を動員し、韓国映画史上のあらゆる興行記録を塗り替えた

解説


“チングという言葉は「親旧」と漢字で書いて、長く親しい友という意味だ”
1976年夏釜山。地元の元締めを父に持つジュンソクは、口ベタながらケンカが強くて情にも厚く、みんなから一目置かれていた。
葬儀屋の息子のドンスもケンカっ早いが憎めない存在だ。それに優等生のサンテクとお調子者のジュンホの4人の小学生は、いつでも一緒に遊んでいた幼なじみだ。4人は別々の中学に進むが、再び高校で顔を合わせ一緒につるむようになる。しかしある事件をきっかけにジュンソクとドンスは退学処分になり、やがて二人は裏社会に足を踏み入れ対立してゆくようになる…。
●韓国で社会現象を巻き起こした衝撃の感動作が遂に日本上陸
『シュリ』『JSA』が持つ記録(約600万人)を半分にも満たない日数で軽々と抜き去り、最終的に800万人を超える観客を動員し、韓国映画史上のあらゆる興行記録を塗り替えた『友ヘチング』。この数字は、この映画が韓国ではR48指定だったので、19才以上の人口を約.3500万人と考えると、約4人に1人が観たというとてつもない数字になる。70年代後半から90年代前半の韓国が激しく揺れ動いた時代を背景に、運命に翻弄される四人の幼なじみの壮絶な人間ドラマを浮き彫りにした作品で、普段はあまり劇場に足を運ばない30代から40代の多くの男性も劇場に駆け付けたという。そしてその内容から『韓国版スタンド・バイ・ミー』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・プサン』とも言われ、公開と同時に様々な分野で話題を呼び、その経済効果は150億円を超えるとも評価され、韓国中を巻き込む大きな社会現象にまでなっていった。
●ノスタルジー香るプサンの街並みと度肝を抜くフィルム・ノワール
少年時代を描いたプロローグには、誰もが「いっか通ったことがある」と錯覚するような、かつての日本にも通じる美しいプサンの街並みの中で遊び回る子供たちの姿が、瑞々しい映像で切り取られている。そして成長してからは、組織内の血で血を洗う派閥抗争を迫真の演技と怒涛の迫力で描き切り、男たちの壮絶な生きざまは、魂が震えるほどの圧倒的な昂揚感を導き出す。静から動ヘノスタルジーからノワールヘ、そして一挙に深い感動へとなだれ込む。ラストでは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を超える程のむせび泣く観客の姿が劇場に溢れ、誰もが自分の過去を懐かしく振り返り、友の姿を切なく思い浮かべ、そして忘れてしまった大切な”何か”を胸に劇場を後にしたと言う。
●胸を打つトゥルーストーリーに韓国の才能が集結
監督/脚本は長編三作目となるクァク・キョンテク。プサンで育った自らの実体験をもとに、二年間の執筆期間を経て半自叙伝的
な脚本を書き上げた。そのあまりの完成度の高さに、多くの出資者やスタッフ、キャストがこの映画に参加することを切望。特に主演のユ・オソンは、予定されていた他の作品(豪華キャストで注目の歴史超大作『武士(ムサ)』のオファーを断ってまでこの作品にこだわり、その結果一挙に人気が大ブレイクし、それまでの単なる“演技派俳優”の名を返上することになる。そして既にスーパースターだったチャン・ドンゴンも、それまでのイメージを覆すような影のある役柄を熱演し、名実共にNo.1の座を獲得した。二人は第46回アジア太平洋映画祭で、それぞれ最優秀主演男優賞と最優秀助演男優賞を受賞した。
●少年時代を彩る胸躍る70〜80年代アイテム
黄金バット、ブルース・リー、ヌンチャク、ビックリ・ナイフ、ベータマックス・ビデオ、テレビ・ゲーム(最初期のテニス・ゲー
ム。それも街角の軒下で!)、ヒロポン(!)、消毒液散霧車、ブロンディやロバート・パーマーのヒット・ナンバー、「ベン・八一」などの手書きの映画看板、その他様々な生活用具…。当時に幼少期から青春期を過ごした人ならば、思わず顔がほころぶようなグッズが続々登場する。

ストーリー



1976年夏、プサン。地元の元締めである厳格な父を持ち、裕福な家庭に育ったジュンソクは、ケンカが強くて頼りがいがあり情にも厚く、みんなから一目置かれていた。3年生の時に転校してきたドンスは、貧しい葬儀屋の息子で、ケンカっ早くて見栄っ張りだが憎めない存在だ。それに真面目でおとなしいサンテクと、ブルース・リーに夢中のお調子者ジュンホの4人の小学生は、いつでも一緒に悪さをして遊んでいる仲良しだ。父親が日本と商売をしているジュンホの家に集まって、当時はまだ珍しかったビデオ機でエロ・ビデオを見たり、プレイボーイ誌をドキドキしながら回し見してグラビアを友だちに売りつけたり、古タイヤを調達して海で遊んだり…。そこにはのどかで美しいプサンの風景が広がっていた。
1981年。それぞれ別々の中学に進んだ4人だったが、再び高校で顔を合わせ4人で一緒につるむようになる。4人はある女子高の開校記念祭に遊びに行くが、ジュンソクとドンスとサンテクは講堂で演奏をしていた女の子バンド「レインボー」のボーカル・ジンスクに目を奪われる。ある日の授業中、ジュンソクは先生から怒られている時に「親父がヤクザで羨ましい」といたぶられて逆上し、同じクラスで一緒に怒られていたドンスと教室を飛び出してしまう。そして二人はその後学校に顔を出さなくなる。ジュンホは、ジンスクがジュンソクの友だちトルコといとこ同士で、レインボーのメンバーが日曜日にジュンソクの家に集まると聞きつけ、サンテクと一緒に行ってみることにする。ジュンソクはサンテクに「もっと早く、女でなく俺に会いに来て欲しかった」と告げるがサンテクとジンスクを別の部屋で二人にしてあげる。しかし、それを見たドンスはトイレで「俺はお前のパシリか」と初めてジュンソクに詰め寄るが、ジュンソクは「死にてえか」と一言いって立ち去ってしまう。その頃サンテクは初めてのキスを経験する。優等生のサンテクが、授業を抜け出して行った先はローラースケート場。ジンスクとのデートだ。他の3人もいる。しかしジンスクが他校のツっパリにちょっかいを出されているのを見て、サンテクは彼女を守ろうとするが、逆にツっパリはナイフを取り出して向かって来た。そこにジュンソクとドンスが助太刀に入り、一
挙に片を付けてしまう。その夜4人は竜頭山公園のタワーに上って夜景を眺めながらバカ話で笑いあった。その後サンテクの計らいで、ジュンソクとドンスは先生に謝りに行き、また学校に行けることになった。4人は復学祝いに映画を見に行くが、そこでサンテクはまたあのツッパリと遭遇してしましう。再びジュンソクとドンスが助太刀に入るが、今度は関係のない生徒まで入り乱れて大乱闘になってしまう。この事件でジュンソクとドンスは退学、サンテクは停学処分になり、ジュンホも転校することになってしまった。自分のせいで大事件になってしまったことで悩んだサンテクは、家のお金を持ち出してジュンソクに一緒に家出してソウルに行こうと持ちかける。しかしヤクザの親分の父から愛されることなく育ち、人一倍普通の家庭の愛に飢えていたジュンソクは、自分とは正反対の環境に育ったサンテクに家に戻るように言い「これからはお前の人生を生きろ」と諭し、「俺も俺なりに生きる」と自分に言い聞かせた。
 1984年。大学に進んだサンテクとジュンホは、久しぶりにジュンソクの家を訪ねるが、最初に出てきたのはジンスクだった。二人は結婚していたのだ。そしてジュンソクは元気そうに振る舞っていたが、薬物中毒になって体を震わせていた。最愛の母が死に、ヤクザになって刑務所にも入っていたのだ。ドンスも現在服役中だと言う。サンテクとジュンソクは、真冬の寒さの中を二人で外出する。サンテクの背中にもたれて震えながら、ジュンソクは「頼れるのはお前しかいないんだ」と弱音を吐いた。その頃ジュンソクの父は、自分はもうすぐ引退してNo.2のヒョンドゥにその座を譲ることを決めていた。そしてジュンソクはヒョンドゥと盃を交わす。ジュンソクの父が死んだ。刑務所から出てきていたドンスが葬儀を進めてくれた。そしてその夜、ドンスはジュンソクに対する憧れにも似た信頼感を口にするが、同時に小さい頃から忌み嫌っていた家業の葬儀屋を継がずに、同じ組内でヒョンドゥと対抗するサンゴンと盃を交わす事を告げた。
 1990年。サンテクは偶然ジュンソクと再会する。サンテクは海外に留学することを決めていて、ジュンソクは子分を何人も従えていた。ジュンソクは、久しぶりに気の置けない楽しい酒を飲んで酔っぱらった。サンゴンのグループは建設業に進出し、汚いやり方でどんどん資金を増やして派手に勢力を拡大していたが、その先鋒には常にサンゴンの右腕となったドンスがいた。ジュンソクは、幼馴染みで弟分のトルコが「ドンスを叩こう」と言うのを「両親の葬儀を仕切ってくれたんだ」と義理立てして諌めるのだった。そしてジュンソクは久しぶりにサンテクとジュンホと集まることになったのでドンスにも声をかけるが、小さい頃からジュンソクに対して憧れと同時にコンプレックスも抱いていたドンスは、「時間があったら行く」と強がるだけだった。サンゴンのグループの者がタレ込んで、ヒョンドゥが警察に連行される。その報復のためにジュンソクの手下が、ジュンソクには内緒でドンスの寝込みを襲うが、逆に返り討ちにあって恨みを買ってしまう。ここに血で血を洗う派閥抗争が始まった。そして数日後、ドンスを先頭にした数名がジュンソクの手下たちを襲い、トルコが殺される。ジュンソクはこの抗争の行く手を危ぶみ、海外でほとぼりが冷めるのを待つ決意をし、ドンスも海外に出るように説得しに行く。しかし最後まで素直になれないドンスの答えは「お前が行け」と言うだけだった。そしてジュンソクが店を出て、次にドンスが店から出てきた時、数名の暴漢がドンスに襲いかかった。
 1993年。サンテクは留学を終えて帰り、結婚をして料理屋を開いたジュンホを訪ね、事件のあらましを聞く。ジュンソクは2年間逃亡生活を送っていたが、最後は疲れて弱気になり、些細な事件を起こして逮捕されていた。そして間もなく裁判が開かれる。ジュンホはなんとかジュンソクだけでも助かるように方々に根回し
をし、何度も面会に来てジュンソクを励ました。そしてドンスの父親も面会に行って「お前は息子同然だ。お前を信じている」と言い聞かせた。しかしジュンソクは裁判で「私が指示しました」と証言をする。サンテクはジュンソクに面会に行き、なぜあんな証言をしたのかを尋ねる。そしてジュンソクは一言答えた。「ヤクザはカッコ悪くちゃダメなんだ」。面会が終わりジュンソクが歩いて行く先の光の中には、遠い日に4人で遊んだ海が広がっていた。

スタッフ

監督/脚本:クァク・キョンテク
プロデューサー:ヒョン・キョンリム、チョ・ウォンジャン
撮影:ファン・ギソク
編集:パク・コクチ
音楽:チェ・マンシク、チェ・スンシク
照明:シン・ギョンマン
録音:カン・ボンソン
美術:オ・サンマン
衣装:オク・スギョン
メイク:チョン・ナムギョン

キャスト

ジュンソク:ユ・オソン
ドンス:チャン・ドンゴン
サンテク:ソ・テファ
ジュンホ:チョン・ウンテク
ジンスク:キム・ボギョン

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