原題:Jose Rizal

1998年/フィリピン 配給:岩波ホール

2001年12月15日より岩波ホールにて公開

公開初日 2001/12/15

配給会社名 0253

公開日メモ 映画「ホセ・リサール」は、フィリピン独立運動の理論的指導者であったホセ・リサール(1861〜1896)の短くも劇的な生涯を描いた歴史大作である。この作品は 1998年の独立100周年を記念して企画され、監督には名実ともにフィリピンを代表するマリルー・ディアス=アバヤが選ばれた。

解説

映画「ホセ・リサール」は、フィリピン独立運動の理論的指導者であったホセ・リサール(1861〜1896)の短くも劇的な生涯を描いた歴史大作である。この作品は 1998年の独立100周年を記念して企画され、監督には名実ともにフィリピンを代表するマリルー・ディアス=アバヤが選ばれた。国内では人々の熱烈な支持を受けて、観客動員、興行収入などで記録的大ヒットとなった。  ホセ・リサールは、フィリピン人の民族意識を高め、スペインの植民地からの独立運動を推進させた小説『我に触れるな』(1887)、『反逆』(1891)を書いたことで知られている。しかし、彼は植民地政府や聖職者たちの不正義を告発したことで権力者の憎しみをかい、国家反逆の罪を着せられて35歳で処刑された。
ホセ・リサールは、22カ国語に通じ、文学だけでなく、美術、医学、博物学、言語学など、多方面で才能を発揮した天才だった。マハトマ・ガンジーと同じく非暴力主義を貫き、「人種間の平等」「男女間の平等」「教育の価値」「人間性の大切さ」など、現代にも通じる理念を持つ思想家であった。 アバヤ監督は、リサールの小説作品を紹介しながら、民衆や家族を思い、恋に悩み、芸術に打ちこむ一人の人間の物語として描いていく。家族のあたたかい愛情につつまれて育った少年時代、監禁されたリサールとスペイン人弁護人タビエルとの交流、人生に疑問を抱き、自らの思想を見つめ、悩みながらも信念を貫いていくリサールの姿は、観る者の心を強く揺り動かす。
監督のマリルー・ディアス=アバヤは1955年生まれ。フィリピン監督協会の創立メンバーでもある彼女は、1980年の初監督作品”Tanikala”(鎖)以来、精力的に製作を続けている。レイプの問題を扱った「貴女のためにたたかう」(1995)、貧困のため国外でメイドとして働く母親の物語「マドンナ・アンド・チャイルド」(1996)など、社会的なテーマを女性の視点で描いた作品で知られる。日本でも、アジアフォーカス福岡映画祭、国際女性映画週間を通して、最も知名度の高いアジアの女性監督の一人である。アバヤ監督は、95年からアジアフォーカス福岡映画祭に毎年参加しており、今年、福岡アジア文化賞の芸術・文化賞に選ばれた。
ホセ・リサール役のセサール・モンタノは、聡明で人間性豊かな人物像をつくりあげ、この作品でフィリピンの大スターとなった。アバヤ監督の次回作「ムロアミ」(2000)では、スキンヘッドの荒々しい漁師を演じて、幅広い才能を観客に印象づけた。

なお、フィリピン映画の本格的日本公開は「ホセ・リサール」がはじめてとなる。日本にとって大変関わりの深い国、フィリピンを知るうえでも見逃せない作品である。

ストーリー

19世紀末、スペイン植民地であったフィリピン。ホセ・リサールは、フィリピンの人々の啓蒙と、祖国の独立を願って、小説『我に触れるな(ノリ・メ・タンヘレ)』と『反逆(エル・フィリブステリスモ)』を書いた。映画は、この小説の主人公・革命家イバラをときおり登場させ、リサールとイバラが対話をするようにホセ・リサールの人生を描いていく。

ホセ・リサールは、1861年、フィリピンのラグナ州カランバという町に、裕福な家庭の、11人兄弟の7番目の子として生まれた。教養ある両親のあたたかい愛情のもと、幼い頃からさまざまな才能を発揮し、5歳の時には読み書きが自在にできた。彼はその頃画家になりたいと言い、素描や粘土細工で家族を驚かせた。8歳の時には、タガログ語で詩を書いている。16歳でマニラのアテネオ学院を優秀な成績で卒業し、文学の学士号を取得。サント・トマス大学の哲学部と文学部に入学し、その後同大学の医学部に入学する。しかしドミニコ会教師によるフィリピン人生徒への不当な差別に反発し、学業を続けられなくなる。

 1882年、スペインのマドリッド中央大学に留学。23歳で医学の修士号を取得し、翌年には心理学部、文学部を優秀な成績で卒業した。その後、彼はヨーロッパ、アメリカ、アジアを広範囲に旅行し、22カ国語を修得した。ヨーロッパ滞在中、圧政下にある祖国への思いを小説に託して出版した。1887年5月には、『我に触れるな』がベルリンで出版され、1891年9月18日には、続編である『反逆』が、ベルギーのへントで印刷された。この2冊に描かれた、スペイン聖職者や当局の横暴や不正は大きな反響を呼び、独立急進派には熱烈な支持を受けるが、権力者には激しい憎しみをかう。そして、リサールの親戚や同郷の人たちも権力者との争いに巻き込まれていった。リサールを脅威に感じたスペイン当局は罪状をでっちあげ、国家反逆の罪でミンダナオ島のダピタンに流刑する。そこで、人生の伴侶となるジョセフィンとの出会いがあり、彼女は終生リサールの心の支えとなる。

流刑の後、リサールはスペイン当局によりマニラの監獄に投獄される。監禁生活で、彼は自己の思想と向きあい、迷い、葛藤しながらも、しだいに信念を貫く決意をする。牢獄では弁護士についたスペイン人タビエルや世話をしてくれる青年との面会にささやかな憩いの時を得る。タビエルはフィリピンの民衆のために苦悩するリサールの姿に心を打たれて無罪を確信し、裁判では情熱をこめてリサールを弁護する。しかし、ついに死刑が宣告された。残された僅かな時間、リサールはやり残した仕事を思い、無念の思いを募らせるが、最後の夜には、心静かに祖国への愛をこめて絶筆となる詩『最後の訣別』を書き、家族に託した。

1896年12月30日の寒い朝、35歳のリサールは、バグンバヤンの草原で銃殺された。

スタッフ

監督::マリルー・ディアス=アバヤ

キャスト

セサール・モンタノ
ハイメ・ファブレガス

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